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2014.11.9

猪文化を考える [2:ライオン地域と豹地域]

アフリカの猛獣といえば、ライオンと豹。前者は草原棲で、後者は樹上棲(森棲)。アフリカでのイノシシの天敵は後者。アジアになると虎に変わる訳である。

ただ、ライオンはアフリカに留まっていた訳ではなく、インド亜大陸にまで進出しており、ペルシアから西アジアにまで広がっていたとされる。アジアでは、今は、インドライオン以外は絶滅しているようだが、どこにでも存在した時代があった訳だ。現在のインドライオンの好適地とは、疎林地域とされているが、アジアには草原類似地帯が結構広がっていたことになろう。
そうした草原地帯は、遊牧適地でもあるから、ヒトによって絶滅の憂き目にあったと見ることもできそう。

一方、豹のもともとの分布を見ると、同じようなものだが、インドでとどまらず、さらに東まで進出している。北は満州や朝鮮半島、南は東南アジマまで。昔の東ユーラシアは、森が広がっていたと見てよかろう。
もちろん、豹が棲んでいた東ユーラシアの森には、虎も棲んでいた。豹は樹上生活者だが、虎は木に登れないので棲み分けができていたのだろう。
餌は重なるとはいえ、虎は水辺がお好みだから猪が主体で、機敏な運動神経を活かした狩猟達者の豹のメインは鹿ということで、バランスがとれていたのだと思われる。

そんな発想で、ユーラシア大陸の家畜を俯瞰的に眺めれば、以下のような住み分け環境が基本ということ。
  多雨林地域・・・・猪(豚)
  密集草原地帯・・・牛
  広大乾燥地帯・・・羊
  高地貧草地帯・・・山羊
これを飼養の観点でみると、湿潤地帯の定住民の生活スタイルの猪(豚)とそれ以外に二分することもできよう。牛、羊、山羊は地域状況によっては混在していてもおかしくない訳である。後者は遊牧スタイルが基本。本来は、ライオンが王者となっておかしくない地域を、その餌となる動物を家畜化することで遊牧民が管理するようになったということ。当然ながら、樹木生育が遅い地域の森は、放牧可能な草地へと変貌させられたとも言えよう。
つまり、猪(豚)文化が残っている地域とは、あくまでも森を護る住民が定着している場所と、余りに湿潤で草地化が難しい所ということになろう。

この放牧だが、ユーラシア大陸で、狩猟が下火になったのは1万前〜5.000年の中間ということのようだ。もちろん、状況証拠でしかない訳で、出土するのが鹿骨だらけだった時代から、羊や山羊の骨に代替される時代へと変化していったということ。
( Irven DeVore & Richard B. Lee[Editors]: "Man the hunter" Aldine Publishing Company 1968)
森の動物を狩るよりは、森を焼いて平原にして、そこで放牧した方が楽であり、生産性も高いことに気付いたのだろう。もちろん、東南部の多雨地域を除いての話だが。

これを進歩と呼ぶべきかはなんとも。
技術的にはどう見ても退化だからだ。
まあ、それも進歩のうちということではあろうが。ともあれ、この大変化の結果、自然の観察力は衰え、狩猟に用いた高度な道具類も不要になった。それに遊牧では、移動し易い簡素な生活を旨とするしかないから、食住がらみの技術的発展はほぼ期待薄。
もっとも、狩猟技術は転用され、他部族殲滅のための武器創作につながったと言えるのかも知れぬが。
   日本人こそ、肉食民族で狩猟民族なのかも。[2010.10.29]

定住民文化とは大きな違いである。遊牧文化に席巻された定住民の豹に対するノスタルジーが飼い猫の楽しみに繋がっているのではないかと思うほど。定住民は文化を愉しむ余裕を持つことが最高の贅沢だったに違いない訳で。

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