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2014.11.23

日本の漆を考える

歴史的な漆工芸品といえば、やはり奈良の都か。

正倉院御物に「漆胡瓶」がある。8世紀頃に渡来したもののようだ。驚くような美しい絵柄つき。そのフォルムも柄もいかにもペルシア風。籃(竹籠)胎ではなく、構造的には巻仕上げだそうで、柔軟性より薄さと滑らかさを強調した逸品。
「正倉院御物に秘められた東西交流のあかし」
   奈良県庁観光プロモーション課 平成26年11月

それよりは若干古そうなのが、法隆寺の黒漆塗玉虫厨子。現物を見ても全面煤色なので状況がよくわからないが、仏教説話絵画が描かれており、油顔料だけでなく、主漆も使われたのではないか。こちらも、実に手のこんだ作品。
造形という観点では、興福寺の三面六臂阿修羅像があげられよう。乾漆(布貼粘土胎)造りである。

平安京遷都まもなくの808年には、「漆部司」が編成されており、日本の工業ここに始まるとされているのは、知る人ぞ知る話。

いかにも、仏教伝来と共に、漆工芸技術も渡来してきた印象を与える品々である。

ところが、遺跡の出土物は、そんな見方を一掃。仏教発祥よりはるか昔に漆塗技術が存在することが示されれば、いかに大御所であろうが仏教伝来時に渡来と言い張り続ける訳にはいくまい。
さらに、雲南辺りを中心とする「照葉樹林文化」の象徴的工芸技術として扱っていた状況も一変させる方向に。ところが、こちらは、未だに通用するようだ。

ということで、状況を見ておこう。

函館市垣ノ島B遺跡の土坑墓から、9000-8000年前のものとされる漆塗赤色糸編の装飾品が出土している。(髪飾り、腕輪、肩当て、等の一部分と推定されている。)そのような存在を消したい人もいるようで、ほとんどが焼失。今や確かめる術もない。
他にも、3000年前程度と見られる急須形の土器も漆塗りだったという。黒漆上に赤漆という実に丁寧な作品。
凾館辺りは冷涼な気候であり、漆の木の生育は植生的に無理だろう。従って、日本海流に乗った頻繁な交流が存在したことを意味していそう。
もともと、黒曜石の流通ルートが存在していた訳だから、漆にしても、製品のみならず、原液も運ばれていたと思われる。

それに対応する地域かは定かでないが、福井県三方町鳥浜貝塚からは、赤色漆塗木櫛が出土している。弁柄陶胎土器や赤色漆と黒漆装飾の弓。漆塗品は200点余りと壮観。しかも、1万2,600年前と同定された漆の木の枝まで発見されたのである。
瓢箪や緑豆も出土しているところを見ると、定着農耕を行っていた可能性があり、この漆は野生ではなく、栽培樹木と見るのが妥当では。
「古福井人の生活 漆について」 『福井県史』通史編

石川県能都町真脇遺跡からも、遺骸に赤色漆塗装身具が発見されている。田鶴浜町三引遺跡では漆塗櫛。6000年以上前のもの。

考えてみれば、日本海続きということでは、この北方は、翡翠玉で知られる糸魚川の長者ケ原遺跡である。古事記における八千矛命と奴奈川姫の話の「越」。

こうなれば、出雲から出土しない訳がない。丸木舟と櫂が出土した松江市加茂遺跡からは、精製した良質の漆塗土器片が見つかっている。上塗り用剤の容器ということのようだ。6000年以上前のものと考えられている。

大陸に目を移せば、揚子江河姆渡遺跡では木胎に赤漆椀、跨湖橋遺跡からは漆塗木弓が出土している。7000-8000年前との鑑定らしいが、数字は参考にしない方がよかろう。河姆渡とは会稽近郊であり、まさに「越」地域そのもの。
しかも、出土の稲は栽培種中心で、一部野生種ありとのこと。デルタ域灌漑技術を完成させたことで、長江中流の扇状地の初稲作地域から進出してきた人々の棲家があったと見られる。
倭は越の一族という話が俄然真実味を帯びてくる。

・・・などと考えていると太平洋側の存在を忘れがち。

日本では、上記より新しいとはいえ、福島県三島町荒屋敷遺跡から同様な赤漆塗り糸玉が出土。
「荒屋敷遺跡出土品」@ゆるいばた三島談義
だが、一番よく知られているのは、八戸市是川遺跡の籃胎漆器だろう。
「縄文の華/漆−是川遺跡をめぐって」@東奥日報[2009.9.1-10]

関東でも、千葉県加茂遺跡で漆塗土器。5000年前との見立て。
東村山市下宅部遺跡からは、なんと、漆塗の簪、匙、杓子、注口土器、樹皮製容器片まで出土している。工程がわかる用具類も発見されており、工作現場でもあったことがわかる。推定4000〜3000年前とされている。
「下宅部遺跡10のひみつ 2.縄文時代の漆」@東村山市役所
小田原市羽根尾遺跡からは、精緻に加工した部材を漆で固めて赤漆を上塗りした櫛が出土。6000年前の品とか。

数千年前に、すでに、本州から北海道南端まで漆文化が広がっていたのは間違いなさそう。
雲南辺りで原初漆技術が生まれ、それが日本列島に伝わってきたと考える必然性は皆無と言わざるを得まい。
日本で栽培されている漆の木は大陸から移植されたの解説もほとんど破綻状態。

そうそう、照葉樹林型の西日本地域で見られるのはウルシより、ハゼノキあるいはヤマハゼ。このハゼノキだが、漆塗用というよりもっぱら蝋燭用だ。その北方の夏緑落葉樹林地帯ではヤマウルシが自生。ウルシは、どちらかと言えば砂礫が混入しているような、肥沃で陽当たりが良いところが栽培適地らしいから、もともと照葉樹林帯向きではなかろう。
こんな状況を見ると、日本のウルシは移植ではなく、夏緑落葉樹林地帯に自生していたと見るのが自然。
言うまでもないが、照葉樹林型と言えるハゼノキは、ベトナム辺りでは漆塗原料樹木である。日本とはいささか異なる訳である。そして、東南アジアでは、素人が見てもわかるほど異なる種の樹木から、漆を採取している。

今や、日本の漆は照葉樹林文化の典型例どころの話ではなく、夏緑落葉樹林文化の一例と見なされつつある訳だ。

もともと、英語のJapanという命名は、中国製漆塗工芸品の入手難後だから、日本の特産品というよりは、中国の代替品という意味合いがありそうな気もするが、歴史的に見ても日本が一大製造拠点だった可能性もあろう。大陸の夏緑落葉樹林は畑や草原になったり、禿山化しがちな訳だから。

─・─・─ ウルシの類縁樹 ─・─・─
日本に渡来したとされてきた栽培種
 /漆樹
   暖温帯の照葉樹林に分布
   西安辺りを始め中国(新疆以外の全国)
   ヒマラヤ
 黄櫨の木(アンナン漆 or インド漆)/野漆
   琉球より渡来とか(関東以南)
   台湾、ベトナム
   東南アジアに分布
もともと日本に生育
 蔓漆/毒漆藤-"Asian poison ivy"・・・落葉性蔓(強毒性)
   北海道・南千島・サハリン
   本州・四国・九州
   南西諸島・台湾
 山黄櫨/木
   関東以南
   南西諸島・台湾
   長江中下流地域
 山漆/毛漆樹
   北海道・南千島・サハリン
   本州・四国・九州
   華北・朝鮮半島
 白膠木[ヌルデ]/鹽膚木
   北海道
   本州・四国・九州
   南西諸島・台湾[台湾白膠木]
   朝鮮半島
   中国(新疆・海以外の全国)
   インドシナ・スマトラ
中国の近縁種[Rhus/Toxicodendron系]
 [小漆樹 or 山漆樹]@雲南・四川の高地
 [麩楊]
 [紅麩楊]
東南アジアに生育の別種
 ・・・落葉性高木で葉は種々の楕円形
   ビルマ、タイ南部、マレー半島、
   スマトラ、ボルネオ、ジャワ、セレベス、モルッカ諸島に分布

 ビルマ漆[Melanorrhoea usitata]
 カンボジア漆/Rengas漆類[Melanorrhoea laccifera]
 ツクバネ漆[Gluta wallichii]

(参考) 平井先生の樹木と木材研究@木の情報発信基地-中川木材産業(株) [平井信二農学博士(木材物理学):2010年没]
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