表紙 目次 | 2014.12.2 八音と日本の雅楽「八音」とは孔子の時代にすでに完成していた概念だが、随/唐の中華精神文化の一端でもあった。両者がどうつながるのかは定かではない。残念ながら、残存する遺物と文献的情報しか手に入らないので、それぞれに該当する楽器名はわかっても、その実態や演奏状況は勝手に想像するしかない。しかしながら、その一部は日本に渡来しており、雅楽として現代に残っている。かなりの部分、当時のママでの演奏が保たれていると見てよいらしい。驚異的。 朝鮮半島にも、朝鮮併合時の王朝維持政策の結果、残存している訳だが、日本に禅宗が伝わった頃のものでしかない。小中華の風土であるから、そういうものとして見ておく必要があろう。 と言うのは、中華文化は革命毎にできる限り残らないように消し去ることが一大特徴だからだ。それに対して、日本は逆。極めて対照的。大陸的文化と島嶼的文化の違いなのだろうか。 ただ、中華意識高揚のためとか、権力者の正統性主張のオマケとして、突然、過去のものを復活させることもある。もちろん、その中身はつくりもの。というか、都合よく変質させた見世物にすぎない。言うまでもないが、そのような音楽を嬉しがらないと、反権力体質の輩と認定されることになりリスクを背負い込むことになる。 どういうことかわからない方もおられるので、書いておこう。・・・小生は、ソ連で行われたと言われる民族音楽撲滅は中国革命史の認識に根差していると見ている。スターリンの民族文化論は巧妙そのもの。例えば、危険だと思われると、その民族音楽を大々的に賞賛し、大会を開催したりする。民族文化に深く関与している人々をすべて表に出させた上で、虐殺開始となる。人民を惑わす呪術者は科学的社会主義の敵ということで。有能な人材は根こそぎ刈り取り、形骸化した表層的な文化だけ残す訳だ。 その雅楽だが、雅正楽舞ということで以下からなるということか。 1. 歌舞楽@屋外 【国風】神楽歌 ,久米舞,等 【左方】唐渡来系 【右方】高麗渡来系 2. 管絃物@屋内 3. 伴奏謡物[催馬楽(俗歌),朗詠(漢詩),古式歌] 使用楽器を見ておこう。 和では3分類。中華の素材分類ではなく、音出し行動で分けている。 低音が直接伝わる打楽器を舞台最前列に、高音が通る笛類を最後列にしているのは、合理的配置といえるかも知れぬ。巨大な鼓を使用する時は、両脇に置くのも、当然のことだろう。 現代のオーケストラ概念同様に、必要な楽器はすべて揃っていると言ってよいだろう。ただ、演奏内容に応じて楽団編成を変える方式。そこには思想性が籠められていそう。(全くの推定だが、こんな風に考えた。・・・笛類は、限界的高音横笛-超高音横笛-高音笛-豊かな中高音笛からなり、適宜本数をセットするのだろう。琵琶はおそらく音の高さで3段階あり、そこから選んだと思う。箏は通奏低音的旋律楽部担当。打楽器類はそれらの演奏を支える役割。) ○打物 鞨鼓 太鼓 鉦鼓 (高麗楽)三ノ鼓 (舞楽)大太鼓、大鉦鼓 (謡物)笏拍子 ○吹物 笙 篳篥 龍笛 (高麗楽)高麗笛 (国風物)神楽笛 ○弾物 琵琶 箏 (国風物)和琴 ということで、これを八音の観点で眺めてみよう。 打撃音器は「革」が基本。 演奏は、「鞨鼓」がすべてをとりしきるスタイル。この楽器は筒胴で、両張り皮を紐で留めている。細長い桴で打つが、その仕草と音で音楽の流れを決めているようだ。「鞨鼓」演奏者が指揮者を兼ねていることになる。 これに、太鼓が加わる。 「金」として、「鉦鼓」が入ってはいるが、奏法から見て、太鼓の音を引き立たせるための存在でしかなかろう。 これで「三鼓」の世界を形成することになる。 他の鼓類は出し物に応じて用いられる。 「木」としては「笏拍子」。特別な場合に用いられたと見てよさそう。 「石」は使われていない。サヌカイトが入手できなかったとは思えないから、岩を打つことは避けたということだろうか。 笛類は「竹・匏」の、笙、篳篥、横笛で形成する、三管の世界。 「糸」だが、管絃として特別扱いで登場。舞楽には使われない。 基本は、琵琶と箏の「両絃」。和琴は特別な場合に使用ということのようだ。 概念的分類の発想で上記を眺めてみようか。 面白いのは、打物に「国風物」用楽器が無い点。 このことは、日本の雅楽の打物とは基本的に「国風物」ということでは。「鼓」は、中国式と和式は根本的に違っているのかも。 正確に言えば、「大陸物」演奏には「鼓」が不可欠だが、「国風物」は不要ということ。 この好みは、精神的基層から発する素材感覚から生まれた可能性が高かろう。 思いつく事象としては、古事記では、スサノヲ命が皮を剥いだ馬を機屋に落とし入れた話。本来的には皮を張った鼓は嫌いだった可能性もあろう。皮細工は、渡来人専門家まかせだったかも。天の岩戸の儀式でも、鹿皮の鼓は使われない。天宇受賣命は桶を伏せて踏み鳴らしたのである。 しかし、「皮」楽器を使わない訳にいかない訳で、そこには、なんらかの拘りがあったに違いない。 考えられるのは、木釘や金属鋲を刺して皮を留めずに、紐で引っ張り締め付ける仕組み。気候的に湿度変化が大きいから、そうなったと言えないこともないが、現代の祭太鼓を見るとほとんどが鋲打ち。皮を傷つけることに心理的抵抗感があったのでは。 この辺りは、全くの想像でしかないが、「皮」楽器が呪術から生まれたとすれば、原初形態は頭蓋骨に人皮と言えるのではないか。それを端から嫌っていた地域と、代替策で回避する地域があったという気がしてくる。和は前者の系統で、皮を剥ぐ行為は霊を傷つけることになり、禍(まが)が発生しかねないとの信仰が定着していたのではなかろうか。 皮の利用は風習を一変させたのだろうが、基底の精神は紐付き鼓に限るという形で残っているのでは。 それに、大陸の「鼓」とは、どう見ても第一義的には命令を伝える道具。雅楽で「鞨鼓」奏者が指揮役なのはその点の踏襲かも。しかし、大陸における人々を動かす命令とはもっぱら軍隊組織でのこと。進軍喇叭ならぬ進軍鼓だった訳で、それを象徴するのが鋲打ち型の鼓だったから、それは避けたいということかも知れぬ。 音楽は「木」とか「石」の打楽器から生まれたと見るのが、自然な発想と考えがちだが、鼓を考えていると、それは間違いという気がしてくる。実は、先ずは笛からでは。 雅楽自体は渡来音楽だが、和で重視しているのは、あくまでも笙、篳篥、龍笛の組み合わせ。ダブルリード楽器とは、葦の環境を示している訳であり、それは高天原感覚とも言えるのでは。そして、複雑で大きな尋常ならざる音を発生させる楽器は、母体を彷彿させるものだったかも。言って見れば、黄泉の国にも通じる地上世界の象徴。さらに、この環境下で神霊が活動する様子を表現したのが、龍笛ということになろう。 つまり、鼓は重視されてはいるが、実は笛のつけたし。 というか、大陸概念の「鼓」は、角笛同様に、もっぱら軍楽用であり、雅楽用とは対立的なもの。 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com |