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2015.3.13

沖縄は日本の古層文化を引きずる地域

沖縄は独立国であると主張したい人が少なくないようだ。かつての王族こそ、自らのアイデンティティと考えたいのだろうか。
中国への朝貢国に戻りたい訳ではないだろうから、排他的な国体護持運動を始めたいということか。

本土の支配許さずという気持ちはわからないでもないが、東アジアの現実を理解する必要があろう。・・・
そこには、核兵器と大量のミサイルを保持し、巨大な兵力を擁する帝国が存在する。ご存知のように、ソ連、インド、ベトナムにも戦争を仕掛けたことがあり、普通に解釈するなら好戦的な政治体制となろう。
少々前までは、人民解放という訳のわからぬお題目を掲げていたが、今やそれも完全に捨て去り、巨大国家として世界に君臨することだけがお望みの国となった。
言うまでもなく、軍事独裁であり、法治国家では無い。当然ながら、言論の自由や人権などなきに等しい。そのお隣にも、経済的には小国だが、年中ミサイルを放ち、核武装でブラフをかける王朝政治の国がある。

このような国々と「友好的」に共存していくしかないのが東アジアの実情である。
パワーバランスが崩れないように、米軍を引き込んで、用心するしかないのは当たり前では。戦争から革命へと考える人は別だが。
冷戦時代なら、米ソの代理戦争に巻き込まれないようにしながら、国内で親米政権打倒の運動を民主主義の枠内で繰り広げるのは、それなりにメリットはあったが、そんな時代はとうに終わった。従って、米軍の展開許さずと主張することは、人権なき国に統治される事態になってもかまわぬことを意味する。それを理解しての運動なら致し方ない。そういう政治体制をこよなく愛する人はどこにでもいるわけだし。だが、沖縄の人々が本当にそんな道を選びたいと考えているのだろうか。
発展途上国ならいざ知らず、そんな国に飲み込まれる道を敢えて選ぼうとの発想がさっぱりわからぬ。

そもそも、本土との文化の溝のレベルを考えると、独立国として存在していたこと自体が不思議では。アイヌ民族とは根本的に違っており、文化的基盤は共通のように見えるからだ。

小生は、古事記編纂の頃より前、本土と南島は深い繋がりが合ったと見る。そうでなければ、言葉にこれほどの類似性がある筈がないと見るから。こんなウリの言葉など滅多にあるまい。しかも、両者ともに、大陸とは全く異質の言語なのである。

その発音だが、当然ながら母音型である。本土の「アイウエオ」が「アイウイウ」に代わるだけで、ほぼ同じ単語だらけ。しかも、それは大陸からの輸入語彙だからというのではなく、オリジナル語彙なのだ。それに、なんといっても驚きなのは、古語の類をとると、沖縄の方がよく残っていそうな点。例えば、秋津洲との重要な呼称があるにもかかわらず、本土では語源がわからぬ「トンボ」にされてしまいアキツはお目にかかれぬ言葉と化している。ところが、沖縄では未だに「アーキージゥー」が使われているそうだ。
形容詞や動詞の末尾の言い回しが少々違うので面食らうが、これも末梢的な差違である。どういうことか知ってしまえば、ほとんど想像がつく。・・・
 「清ら(か)さあり」=「きょらさり」=「ちゅらさん
 「行く」=「いくちゃん
もちろん、訳のわからぬ言葉はあるが、それは本土内でも同じこと。・・・
 ようこそ[東京]、おいでやす[京都]、いらっしゃい[大阪]
 めんそーれ[本島]、んみゃーち[宮古]、おーりとーり。[先島]

言葉だけではない。
法螺貝、水字貝、護宝螺貝は、誰が見ても南島産。これらが本土では貴重な呪術的装飾品だったのである。しかも、石製の模造品まで広範に流行していたとくる。とてつもなく深い交流があったというより、同じ一族だったと考えるべきだろう。
古事記によれば、天皇家の母方祖先は、南九州あるいは南島の海人だったらしいから、それは当然の話でもあろう。
万葉集巻九の高橋虫麻呂話も、南島との交流を示すものと見てよかろう。(水ノ江の浦嶋兒が亀姫と出会い、常世の海神宮で3年暮らすことになる。土産を貰って帰郷すると見る影もなく変わっており、自分も白髪の老人となってしまい息絶える。)紫外線を浴びてすっかり老人的外見になってしまったことを暗示しているし、南島ののんびりした常世生活に比べて、本土は人に落ち着きが無くなんと変化が激しいことよ、との指摘だろう。

ただ、仏教が入ってきた結果なのか、海流の変化なのかわからぬが、その頃から、南島と本土の間は疎遠になってしまった。本土は発展したが、南島は忘れ去られた存在になってしまったようである。

しかし、王家ができると、文化的な交流が再び深まったことは間違いなさそうである。昆布貿易に精をだしたからかも知れぬが。
小倉百人一首に登場する歌人 源宗于(n.a.-940)の作を見ておこう。
 寛平御時きさいの宮の歌合によめる
 ときはなる 松のみどりも 春来れば
  今ひとしほの 色まさりけり

    [古今集巻一春 #24]
これを読んだ琉球王族 北谷王子朝騎が詠んだ琉歌がこちら。
 常盤なる松ぬ 変わる事無さみ
  何時ん春来れば 色どぅまさる

  (とぅちわなる まちぬ かわるくとぅ ねさみ いちん はるくりば いるどぅまさる)

そうそう、新年の注連飾りもよく似ているのが面白い。鏡餅、仏壇、火神(ヒヌカン)に炭を昆布で巻いて飾るそうだ。後付の縁起担ぎ的説明は、「代々タンとよろコブ」らしい。その歌謡が「かぎやで風節(琉球古典音楽)」として有名だとか。
上記の琉歌同様に57577ではなく、8886[3-2-3 3-2-3 3-2-3 3-3]である。
 あらたまの年に 炭とこぶかざて
  心から姿 若くなゆさ

  (あらたまのとぅしに たんとくぶかじゃてぃ くくるからしがた わかくなゆさ)

(歌意)新年になると、たんと喜ぶという縁起を祝って、炭と昆布を飾り、心も姿も若くなったような気がするものだ。
(語意)「あらたま」は掘り出したままで、まだ加工していない玉。あらたまのといって、年、月、夜、春などの枕詞である。普通に新玉とかくけれど、それはあて字で、本当は粗玉とかくのが正しい。しかし心が改まる正月だから、滅多に粗玉とかく人はいないようである。「こぶ」は昆布。よろこんぶという語呂で縁起を祝う。
島袋盛敏:「琉歌集」沖縄風土記社1969@島袋千恵美の沖縄日和2014年01月30日

古事記でも、歌謡は57577に決まっている訳でなく、八重垣の歌が標準とされて和歌のフォーマットが決まったのだろう。

恣意的に、7586として、前半和歌で後半琉歌にした、人間国宝 照喜名朝一さんの平和をうたう作品もある。
 誠一ちぬ 浮世さみ
  何故でぃ云言葉ぬ 合わんうちゅが

(まくとぅふぃとぅちぬ うちゆさみ
   ぬゆでぃいくとぅばめ あわんうちゅが)
(歌意)真心から話して言葉の行き違いはあったにしても目的が一つになれば必ず話し合って決められることがある。合わないことはあり得ない。 沖縄イズム 2013年10月7日 沖縄テレビ

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