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2015.6.9

神道視点での道教考(宇宙創成)

道教の創世話は、初源的な宇宙には天地がなくドロドロした"混沌"としたものとされる。そこから、天地開闢に至り、秩序が生まれて、世界が始まるというもの。
神道では、「天地の初發の時、高天の原に成りませる神」というのが初源。その後に、ドロドロから神が生まれる。「國稚く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へる時に、葦牙のごと萠え騰る物に因りて成りませる神」。
両者は、似た様相を呈しているのは間違いないところ。

ところが、ここら辺りは史記が全く触れていないそうだ。知らぬ筈は無いから、蛮夷の神話として、大いに嫌っていた可能性がありそう。呉で神話集がまとまったのでお話が残ったようだが、倭とは呉でもあるとの説がある位で、似た感覚の神話が両者に流布していておかしくない。
その後、どの中華政権も、公的に神話集を整備する気がなかったようだから、司馬遷に倣って、この手の神話は中華思想にはマイナスと見たのかも知れぬ。

ともあれ、道教は、様々な神話を習合しながら、創世話を整理していったようだ。

その流れを、ざっと眺めてみよう。文献上の時間軸を無視し、独断と偏見で。

神話そのものが文献に現れるという観点では、「盤古の話」が一番新しいそうだが、小生は、精神的には一番の古層ではないかと見る。

---リグ・ヴェーダ[梨倶吠陀]系神話---
「最初の伽羅卵」から盤古神が生まれ、天地開闢。死体から万物創生。左目は太陽、右目は月。瞼が夜明けや黄昏を規定し、呼吸で気候が変わった。
ヒトは衣服の蚤虱の類。命は、皆同じ思想がベースにあることがわかる。しかし、これでは、中華帝国礼賛どころではなかろう。嫌われて当たり前。日本でも、古事記でヒトは草とされているように、感覚的に違和感を覚えたに違いなかろう。
しかしながら、伊邪那岐が左目を洗うと天照大神、右目を洗うと月読命、鼻を洗うと須佐之男命というモチーフはほぼ同じだから、印度渡来思想が浸透した時代があったのは間違いないだろう。

この原初宇宙の状況を思想的に規定したのが荘子である。

---荘子の寓話---
荘子が記載している「混沌 or 渾沌」は、神話生物として別扱いされている。
一種の寓話に仕上がっているが、道教的発想で解釈すれば、未分化状態における本源的宇宙神と見なしてもよさそう。目、鼻、耳、口の七竅が無い帝(鴻鈞老祖)ということになろう。そして、竅を鑿られて死した結果、世界が生まれたのである。

三清の主神であり、最高位の元始天尊とは、こうした状況を擬人化というか、人型神像化したものだと思われる。神話の神像化こそが道教の本質であり、そこは神道とは相いれない点でもあろう。書き物文化を早くに定着させたので、口頭説明から遠ざかってしまった結果、絵で概念を示すようになったとも言えよう。

混沌から天地開闢にしても、それを思想的に研ぎ澄まし、昇華した結果が、陰陽的なものの見方だが、その思想も亦、擬神化されるのである。三清の靈宝天尊が該当することになる。

---太極哲学---
陰陽のエネルギーの相互作用ですべてのものが生まれたというのが、道教の核心的思想だと思われる。

天地開闢から次の段階は、陰陽的な記述をしていようが、現実の記載の仕方から言えば、明らかに「変態」思想と言ってよいだろう。様々なものが、多種多様な変態で創出されたと考える訳である。
その発想は、中華域から離れた地の民族が今もって伝承し続けているようだ。

---山岳天柱信仰---
天と地が生まれた後、その状態を支える思想が必要になったのであろうか。あるいは、天を支える柱、あるいは塔という概念が渡来した可能性もあろう。その柱が存在するのは山ということになるようだが、そこは天帝に繋がる入口でもあるとされる。
古事記では、天の御中主の神から始まり、伊耶那岐命伊耶那美命が天の御柱を見立てることから、国生みが始まる。柱創生思想一色である。出雲大社の岩根柱、伊勢神宮の心御柱、諏訪大社の御柱と、柱信仰が神道の中核をなしているのはご存知の通り。なにせ、法隆寺の仏舎利塔にも非構造材の御心柱がある位だし。・・・と軽く書くこともできるが、ここが道教の最高3清神の発想と全く違うところだから、少々ご説明しておこうか。
天の御中主とは、おそらく古代の磐座信仰に連なる、屹立する岩柱が象徴する神。火山だらけの島嶼国としては当然といえば当然の信仰であり、人型の姿で描こうなどと考える訳がない。しかし、ヒトが住んでいる地域で実際に降臨するのは森の高木である。その降臨神と、ペアになって様々な息吹を生む神が存在するというのが、古事記の最高3神の世界。道教の最高3神とどこにも似たところはなかろう。と言うか、古事記の記述は道教以前の古層を示していると考えるべきもの。
そもそも、道教・儒教・仏教が入ってきて習合化が進み、歴史記述が矢鱈に潤色だらけになっていることに危機感を覚えた天皇が企画した"私的な"書物が古事記である。官僚国家たる中華帝国では有りえないことが行われた訳である。(天皇が接触できない低位の身分である語り部が登用されている一点だけでも、驚くべきこと。)
尚、岩石信仰から、樹木信仰へと重点を移したことも古事記にはしっかりと記載されている。そのお蔭で、天皇は有限の命になった訳である。ただ、岩窟信仰は大穴牟遅時代から存在していたようであり、天の岩戸のシーンはそれを再確認させるものとなっている。

---苗族系神話---
天変地異で、多くの氏族が滅亡するが、有力な技術を持っていた母系は生き残ってきたとの歴史を示唆する神話である。古代はおそらく女神信仰が社会を支えていたと思われる。道教は、それを男系一色に塗り変えるのだ。ここは、神道とは180度違う。
 
・・・絵画表現では蛇身女神。変態可能なことを示している訳だ。天地創造には亀も関係するので、玄武発祥はココと見てもよいかも。
つまり、変態が何回も繰り返されることにより、世界ができあがったという思想。洪水で危機に遭遇しても、瓢箪船の力で救われた訳である。その相棒が、道教の主要な神として持ち上げられることになる。
 伏羲
・・・漁撈/狩猟/家畜飼育と調理法教授者であり、婚姻制度も確立した。

おそらく、さらに五穀栽培教授者の炎帝神農氏(本草学の祖とされている。)を加えることで、社会の基礎完成となるのだろう。

道教的に整理すればこうなろう。所謂、【三皇】である。
 天皇伏羲
 地皇神農
 人皇黄帝
くどいが、女神である女は排除される。
ここで、黄帝とは理想的な君主のこと。ついに、中華帝国の初代の帝王が定義できたことになる。それにとどまらず、中華民族の祖先を作り上げたと言ってもよいだろう。人皇黄帝を持ち出すことにより、観念的な民族概念を創出した訳である。
つまり、これは道教的な歴史観でもあるとうこと。「伏羲の時代→神農の時代→黄帝の時代」なのだ。言うまでもないが、皇帝政権は武力によって誕生。これが世界を取り仕切る原理そのもの。
道教撲滅の毛沢東思想の時代になろうが、その原則は貫かれている訳である。

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