表紙 目次 | 2015.6.23 最高3神信仰の文化的違いヒンズー教には、「創造神ブラフマー・繁栄神ヴィシュヌ・破壊神シヴァ」の【三神一体論(トリムルティ)】があるそうだ。キリスト教における「父・子[イエス・キリスト]・聖霊」の【三位一体論】に影響されているのかも知れない。 だが、ヒンズー教には実在した教祖がいる訳ではないし、だからこその印度教とも言えるのだから、キリスト教的な考え方を取り入れるのは無理があろう。 最高神という点では、道教の「元始天尊[太元神格化]・霊宝天尊/太上道君[道神格化]・道徳天尊/太上老君[老子神格化]」の【三清】というグループ型の方が似つかわしいのでは。道教も落ち着く先はそこしかなかったようだし。 こうして眺めてみると、3最高神体制は、安定的な信仰が期待できるのか知れぬ。1神や2神では最高神選択の妥協なき神学論争沸騰しかねず、3神並列にしておけばそれぞれ勝手な意見を述べさせながら、共存可能な訳だし。 日本仏教においても、3体制は好まれる。釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊、不動三尊というタイプが多いし、神仏習合すると、八幡三神・熊野三所権現といった表現が多用される。但し、主佛と2脇侍という形が多いが。 もっとも、そう感じるのは仏教国に住んでいると、3つで考える習慣がついてしまうからかも。・・・三礼(帰依仏法僧)し、三毒(貪・瞋・癡)を克服し、三心(至誠心・深心・回向発願心)をもって臨むように教えられる訳で。さらには、三徳(法身・報身・応身)有る佛の本質とは、三法印(諸行無常・諸法無我・一切行苦/涅槃寂静)という風に習うし。 さすれば、インテリ層から見た仏教3神とは、「生→死→再生」を感じさせる「薬師仏・阿弥陀仏・弥勒仏」と言えるのかも。 印度教の根本命題は「誕生→成長→滅失」という時の流れを超越すべしという点にあるから、こうはなるまい。 一方、道教的視点だと、それが「過去→現在→近未来」となり、来世感が失せ、不滅期待に変わる訳だ。 互いに習合して成立しているにもかかわらず、考え方は三者三様。 古事記でも、整数3は通用すると言えないこともない。ただ、3分化の意味が異なるものを羅列することになるので、整理して考えたところでたいした意味はなかろう。 【造化三神】 天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神 【イザナギ命禊@阿波岐原】 底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神 底筒男命・中筒男命・表筒男命---住吉三神 アマテラス命・ツクヨミ命・スサノヲ命---三貴子 【アマテラス大神の誓約[物実]】 多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命---宗像三女神 【アマテラス大神が授けた宝物】 八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣 最高3神は道教に似ていると指摘する人もいるようだが、印度教の精神に近いように思える。 天之御中主神とは、あくまでも思弁的な神である。神道に経典は無いが、口頭の神への讃歌類は存在していたに違いなく、それを神格化したものだと思われる。宇宙はそこ存在しており、創造神とは言えないが、ブラフマー神の立ち位置とほほ同じ。 一方、高御産巣日神は自身で活動する訳ではないが、統治活動に関して、様々な場面で関与してくる。しかも、その本質は「高木」。それが日本土着の信仰の象徴であるのは間違いないところ。シヴァ神の場合は、ヒマヤラの山岳と、妃を通じたガンジス河に、アイデンティティがあるが、印度の風土を象徴する神であることは明らか。その点で、両者はウリ。 神産巣日神には、女神ではないかと思わせるような雰囲気があり、生命の息吹を産み出す力を持っている。いかにも、土着部族神の代表と言わんばかり。これは、ヴィシュヌ神が王子に化身し恋も含めて大活躍する姿と重なってくる。ムスビの神はこのような動きをバックアップする役割を担っていそうだからだ。 どうしてこうも似るのかとと言えば、様々な土着信仰をそのままにしながら、包括的な最高神がそれらを包み込むようにしてまとめていく宗教体制だからだろう。 ただ、印度教はあくまでも経典宗教であり、そこが日本教との大きな違い。論理とか哲学もさることながら、伝承話を確実に伝えることができる風土と、断片的な口承話しか存在しない世界では自ずから信仰風土が異なってくるのは致し方ない。 印度では、民衆のレベルで神の具体的な活躍話が流布されていくが、日本では、それは難しく、イメージ的な神のレベルで留まることになろう。従って、神のアイデンティティも厳密性を欠く。神のイメージを具象化した神像を作るのはえらく難しかろう。つまり、日本教信徒は情緒を共有できる人々が住む範囲にしか住めないことになろう。一方、印度教は言語が異なっていても、経典に記載される神々のストーリーが伝わりさえすれば、それぞれのアイデンティティは明瞭に伝わる。多言語宗教化は可能だ。 ここらは、島嶼型信仰と、大陸型信仰の違いでもある。日本は一番古層の信仰を捨てずにいると考えることもできそう。 例えば、象頭肥満人間といった姿の神の場合、情緒で信仰概念を伝えるのは困難と言わざるを得まい。日本教では忌避されるタイプの神ということになろう。 ただ、中華教なら理論的には可能だが、変身を余儀なくされるかも。その姿が、官僚型ヒエラルキーに乗りにくそうだから。大衆的人気を博せば別だが、弾き飛ばされてもおかしくない。 ─・─・─ 参考 ─・─・─ 【経典宗教】 ┼┌<ザラスシュトラの宗教> ┼│┼└「アヴェスター」→ゾロアスター教 ┼│ ┼├<アブラハムの宗教> ┼│┼├「旧約聖書」モーセ→ユダヤ教 ┼│┼├「新約聖書」イエス→キリスト教 ┼│┼└「コーラン」ムハンマド→イスラム教 ┼│ ┼└<司祭階級の宗教> ┼┼┼├「ヴェーダ」 ┼┼┼│┼└バラモン教 ┼┼┼│┼┼┼└ヒンドゥー教 ┼┼┼│ ┼┼┼└<釈尊の宗教> ┼┼┼┼┼└「論蔵」・・・反ヴェーダ ┼┼┼┼┼┼┼├部派仏教 ┼┼┼┼┼┼┼└大乗仏教 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼└密教 【諸家の宗教】 ┼┼<儒家>・・・君子政治+血族祖霊 ┼┼<道教/老子/荘子>・・・星信仰+官僚組織+仙人志向(反禁忌) ┼┼<[消滅]墨家>・・・反儒教(非偏愛+非攻) 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2015 RandDManagement.com |