表紙
目次

■■■ "思いつき的"仏像論攷 2015.7.28 ■■■

初期仏像グループの見方

仏像の分類について考えてきたが、お堂や他の諸仏と切り離して特定の仏像だけ眺め、覚えた「分類」を当て嵌めたところで、信者レベルの知識が無い限り、その宗教観を感じ取るのは難しい。
そうなるのは、個々の像として見れば分類上は同じでも、位置付けは宗派毎に相当に異なっていたりするからだ。
その辺りが気になる場合は、仏像単体ではなく、グループとして見るとよい。なんとなくではあるが、歴史が垣間見えるからだ。

今回はそこらの素人解説。

さて、日本残存最古の仏像は、飛鳥寺大仏とされている。と言っても、残存部分はほんの一部で、ほとんどは修復。そのため、当時の姿は推定でしかないが、釈迦三尊像とされている。

ただ、小生は、これより古い形があったと見る。釈迦如来の右掌はこちらに向いており、左手は膝の上で仰向けになので、いかにも救済に現れた風情を感じさせるからだ。この雰囲気は薬師如来や阿弥陀如来とよく似ており、多如来時代の仏像ではないかと思う。
初源的な大乗の像とは、釈迦如来だけで十分であり、おそらく「仏国土」を実感させることが重視されていると見る。そのようなものとしては、多くの仏像が並ぶ"仏像グループ"が最適。

「仏国土」感覚が共有できないと、釈迦如来以外の「世界」を実感できそうにないからだ。そこで初めて意味を持つのが三千世界だろう。つまり、全員がどこかの「仏国土」で仏になるとの観念が基底にあるということ。(アニミズム的多神教とは全く異なる。)
悟りを開くことを目標とする上座部では、この概念はたいした意味は持つまい。

そう考えると、初期の"理想的"仏像グループはこんな具合になろう。

 【仏国土に於ける説法仏】
 釈迦如来
  文殊菩薩
   優
   善財童子
   仏陀波利三蔵
   最勝老人
   八童子:光綱,地慧,無垢火,不思議,請召,髻設尼,救護慧,烏波髻設尼
   五使者:髻設尼,烏波髻設尼,質多羅,地慧,請召
  普賢菩薩

重要なのは、三尊以外が存在する点ではなく、釈迦如来像が説法している坐像という点。像の細かな規定は龍樹の著作で規定されているそうだが、[三十二相八十種好]それを引用する気はない。
例えば、指の間に水掻きがついていると言われても、現代人からすればピンとこないからだ。
ただ、「印相」はいくつか知っておく必要があろう。と言っても、自明そうなものがわかれば十分である。
ここで言う「説法」を示す姿はすぐにわかる。両手を胸に、指で牛車の車輪の形をつくっているからだ。真理が転がっていくという話をしていることを示しているだけの話。
抽象化している像だから、仏像の大きさにも注意を払うべきだろう。出家の上座部なら、個人的に持つ釈尊像として小型像も重要だろうが、民の救済を第一義に掲げる小乗の如来像は偉大さを強調するためにはヒトより大きい姿でなければこまる。

説法図だから、如来の周囲に弟子や従者が存在することになる。その一番簡素な形が釈迦三尊でしかない。つまり、脇侍とは、重要な弟子の表象。
言葉から言って、「文殊」とは「知恵」を意味しているのだろうから、十大弟子の最初に登場する[智慧]の舍利弗を抽象化した菩薩と見るのが妥当なところ。その力を誇示するため、百獣の王である獅子の背中の蓮華台上に座す表現形が喜ばれる訳である。そこに優王[賞弥国国王]が控えているのは、獅子の手綱を執る役割を果たしているから。
尚、文殊菩薩の持物は降魔利剣と椰子葉製経典梵篋(青色水蓮の切花上)。釈尊は経典化を避けていた訳だが、弟子達がお言葉を経典化したことを示しているのだろう。

一方の普賢菩薩だが素人的に考えれば、こちらは比丘尼の直系弟子代表と見るのが妥当では。女人成仏を説く法華経に登場するというのだから。
尼僧も、説法隊の核になっていたのだろう。
象上の蓮華台上に座し、持物が無い合掌姿なので、どの弟子の抽象化かは推定困難だが。

このように考えると、仏陀波利三蔵は釈尊の後の宗派を引き継いだ弟子かも。

離れたところには、最勝老人が存在しているが、その姿から明らかに在家。釈尊直弟子の維摩居士の抽象化と見てよいだろう。文殊菩薩と高度な議論を繰り広げたとされているからでもある。

善財童子が説法隊の先導役で、文殊菩薩に従うとされているが、普賢菩薩を載せている象の指示役が必要だから、本当はそこらあたりから来ているようにも思える。

本来はこれだけの所帯になるのだが、ほとんどの場合は3尊像。それは菩薩をことのほか重視せざるを得ない宗派的な事情があったからとも言えよう。説明はしないが。
 文殊菩薩の聖地は五台山@山西
 普賢菩薩の聖地は峨眉山@四川

さて、これが一歩進んで、宇宙全体の表象としての、盧舎那仏が生まれると、釈迦如来は、他の如来と並列的な位置付けとなり、盧舎那仏像では光背の小さな仏に相当することになるのであろう。
当然ながら、釈迦如来像は説法姿ではなくなる。
さらに、宇宙観を突き詰めた密教になると、その実体は大日如来となり、それは修行で生まれる仏とは違い、宇宙の帝王でもあるから、そのような姿に変わる。
そこは曼荼羅の世界であり、智慧の剛力が通用する金剛界と、顕教の信仰に近い胎蔵界で表現されることになる。ここでの釈迦如来は当然ながら説法する姿になる。そして、釈迦院を形成する訳だ。釈迦三尊という発想は消え去ることになろう。

しかし、禅宗だと、悟りを開いてから瞑想している釈迦如来像をご本尊にしたい筈である。瞑想に弟子が必要とは思えないが、文殊菩薩像を並べることはあるかも知れぬ。ただ、初期のような姿は似つかわしくない。すくなくとも剃髪し、一目で僧とわかるお姿になっている筈だ。

そして、日蓮宗のようにお題目を主眼にする場合は、位置付けも大きく変わってくる筈だ。金堂よりは、多宝塔の方に力が入っておかしくない。そのお堂で祀られる中核はもちろん「お題目」。そして両脇に、釈迦如来と多宝如来となろう。


 "思いつき的"仏像論攷の目次へ>>>    表紙へ>>>
(C) 2015 RandDManagement.com