表紙
目次

■■■ "思いつき的"仏像論攷 2015.8.18 ■■■

愛染明王の呪術性

愛染明王は、もっぱら、日本の密教での信仰対象。
サンスクリット経典の発祥はわからないらしいし、インドでこの像が登場した記録も見つからないとか。中国でもその形跡があるとも聞かぬ。しかしながら、チベットタントラにはその源流が辿れるとのこと。(一般に日本の密教は中期大乗を日本で独自に発展させたもので、チベット仏教は後期大乗の発展形と見なされている。)チベットでは、法要・修法・瞑想等々の場面であまねく祀られていたともいう。(文革期に破壊されたので定かではない。)この手の像は、導師、護法神、護法女神の3区分で考えるらしいが、もちろん最後のカテゴリーに入る。

女神ではあるが、穏やかとか慈愛とは程遠い形相。全身赤色で忿怒の表情をしているのが普通で、獅子の冠まで装着しているからだ。そのため、どうしても、一種異様な印象を抱く。(6臂3眼。持物は武器だらけ。---金剛鈴+五鈷杵、金剛弓+金剛矢(箭)、拳+蓮華(蕾)。)
  内山永久寺愛染明王坐像と厨子[鎌倉期]@東京国立博物館
  愛染明王坐像[鎌倉期]@奈良国立博物館

東博所蔵品は息をのむような素晴らしい芸術品である。(お寺は廃仏毀釈で跡形もなく破壊されたが、この像は助かった訳である。)
・・・鎌倉期の像が美麗に残存していることが多そうだから、源頼朝/北条政子が戦勝祈願の愛染王法呪術を駆使したため、全国的に信仰が拡がったということではないか。(関東甲信越伊豆辺りには、かなりの数の像が残存していそう。)

素人からすれば、何故にそこまで、と考えがち。密教の両部曼荼羅には登場していないようだから。
しかし、それとは異なる曼荼羅があるらしい。どのようなセクトの信仰かは分からぬが、愛染明王は金剛界明王の最高位だという。つまり、胎蔵界最高位の不動明王と並ぶ地位の仏像ということになる。

考えてみると、その可能性はあろう。
像として有名なのは、東国だけではないからだ。四天王寺の別院 勝鬘院(愛染堂)のご本尊[秘仏]。 [→]
大阪の夏祭りの幕開けとなる「愛染まつり」で知られている仏像である。もちろん、その時期はご開帳があり、だからこその人気なのだろう。もっとも、お祭りのハイライトは、愛染娘さんが遊女が参詣に用いたという宝恵駕籠に乗ったパレードらしいが。頼朝系の信仰とはいささか趣を異にする訳だ。近松や西鶴の作品が生まれた町ならではの信仰と言えるかも。
その辺りは近世の話で、四天王寺自体は聖徳太子開山の戦勝祈願の古刹。勝鬘院はそこに属してはいるが、発祥は施薬院とされる。在家仏教徒だった天竺コーサラ国王女の勝鬘夫人の像のもとで「勝鬘経」講讃が行われたお堂なのであろう。女神のお堂ということで、愛染明王が安置されるようになるのは自然な流れと言えよう。
一方、勝鬘夫人像は「天」扱いになり、「天」として良く知られる弁財天と習合という流れなのだろう。夏祭りの様子から察するに、歓喜天も祀る必要に迫られたに違いない。

ただ、愛染明王が金剛界明王最高位なら、不動明王像と愛染明王像が脇侍の大日如来像三尊像が祀られてよさそうなものだが、そうはならないようだ。このお寺では愛染明王が単独ご本尊のようである。大日如来像は、別途、多宝塔に祀られている。その名称は「大日大勝金剛尊」で、通常のお姿とは違い、12臂。伊舎那天、帝釈天、火天、焔魔天、羅刹天、水天、風天、毘沙門天、梵天、地天、日天、月天の十二尊の壁画に囲まれている。日本の密教ではなく、天竺教の配置なのだろう。

この仏像に限らず、異形にはことかかなかったようだ。高野山には、天に向かって矢を射る姿の像や不動明王と愛染明王の二つの顔を持った姿の仏像があるそうだ。不動明王との合体なのか、化身なのかは、よくわからぬが。
そう言えば、空海の念持佛はどうなったのであろうか。密かに寄進された訳でもないと思うが。

尚、宇田天皇が空海にまかせたと言われている御室仁和寺だが、そこにも愛染明王像が残存している。[霊宝館所蔵]京都はことごとく焼け落ちてしまったから、はたして当初の像かはわからぬが。 [→仁和寺 仏像・彫刻]

 "思いつき的"仏像論攷の目次へ>>>    表紙へ>>>
(C) 2015 RandDManagement.com