「我的漢語」

示偏 2014年2月7日

「示」の甲骨文字は2画の「T」。まさか、と思われるような簡素な表現。一体、コリャなんだの世界が突然眼前に広がる。
そんなことになったのも、発掘が進んで様々な文字が収集されたから。
史書が存在する時代は、すでに甲骨文字は忘れ去られていたから、漢字の語源も多くは想像の産物でしかなかった可能性が高かろう。現代は、それに比し、現物を見て、字体の変遷を追うことができる。古い文献に書いてある解説より、こちらの方が信用できそうだ。

それはともかく、「T」はその後、横棒が1本追加されて「〒」に変わり、ついには足がつくようになって「示」で固定化されたというのが経緯らしい。
それで判明したのがもともとの語意。神を祀る用具の卓を示している象形文字だったという。

有名な、後世に作られた理屈とは勿論異なる。
しかし、そちらの方が、「卓」説より、もっともらしいのである。・・・
横棒2本は天。その下に付く3本の線は太陽、月、星を象徴するというもの。天はこれらをまとめている訳だ。垂れ下がる光は吉凶を示すから、神事の文字と教えられれば、フーン成る程となろう。
ところが、それは作り話でしかないことが判明してしまったのである。
面白いことに、それに相当する文字は別に存在することもわかってしまった。それは「帝」。カテゴリーとしては同じ祭卓だが、「示」とは違って、大きなもの。そこで足を締める形になったのがこの文字だという。確かに、金文を見ると立派な卓という印象。
  → 金文字典[第一0007] 容庚 編 @中華博物

さあ、そうなると、「示」の展開はどうなっているのか気になるではないか。
 示 しめす・かみ・・・祭祀用卓
先ず、わかり易いものでは、
 祭 まつる・まつり・・・手で犠牲の肉[月]を卓に供える.
倭の人々の場合は、神と共食することに意味があったようだから、卓でなく、お盆か敷物の方が似合っていそうだが、この文字を容認したのだから、この文化を取り入れた筈。多分全面的にではなく、卓も代替物にしたのでは。「示」の足は3本ということで、創ったのが三方では。その後、仏教が入って三宝と呼んだりと自由自在。

その「祭」に屋根[ウ冠]を架けると、
  察 (うかがい)みる・・・建屋内で神意を伺う.
倭の場合、建屋外の方が正式な雰囲気があるから、あまり好みの漢字ではなかろう。
ついでに、手偏だとこうなる。
  擦 する・・・神と人が相接する.

そうそう、屋根とかぶせるなら、「祭」より、そのものズバリ「示」がある。
  宗 みたまや・・・祖先を祀る廟
これを形容した漢字も。
  祟 たかい・・・宗家を尊ぶ.
気付かないのが、「示」が隠れてしまった漢字で、似た意味のものがある。
  齊 斉 つつしむ・ものいみ・・・3本の簪を縦にさしている官が卓で祭祀.

示偏は旧字なので滅多に使われなくなったが、新字体の偏を「ネ」とは呼ばないようだ。衣偏と間違える人が多いから、旧字体に戻した方がよいと思うのだが。余計なお世話か。
新字体の代表2つ。
  神 かみ・・・神そのものの稲妻[甲]
  社 やしろ・・・土の主を祀る縦長の土饅頭[土]
ただ、流石に「マツル」の偏を新字体にはしたくないと見える。
  祀 まつる・・・自然神の蛇神[巳]
蛇でなく、羊になる文字があるが、それは信仰対象でもなければ、犠牲を供するという意味でもない。
  祥 さいわい・・・羊神判で吉凶のしるしを得る.
倭では、亀甲や鹿骨を使っていたらしいから、羊の代わりにそれらを当て嵌めた国字を創ってもよかったように思うが、そこまでやるのは止めとけということか。
そうすると、「礼」とはなんだろうと気になるではないか。だが、これには旧字体があり、それを見れば、上記とは系統が異なるのがすぐわかる。もっとも、そう簡単ではない。旁の「豊」だが、発祥が異なる2種類の文字があるのだ。
  禮 } 礼 うやまう・れいぎ・・・甘酒を使用した儀礼(礼教の儀式)

イヤー、こうして眺めてみると、漢字とはなかなか奥が深いものですナ。
そんなことがわかるようになったのは、実はそれほど昔のことでもない。ご注意あれ。
と言うことで、よく知られた話だが、一寸、そのことに触れておくのが礼儀というものだろう。

漢字の旁に使われている「口」とは祝詞容器と看破したのは漢字学者の白川静[1910-2006]。甲骨文字や金文を徹底的に研究した成果を「字書」にまとめあげた孤高の人である。本格的に、一般世界に問うようになったのが、そもそも還暦近くになってから。それでも世間は無視していたりして。その後、日経新聞に登場して、誰でもが知る人になった訳である。

そんなことはどうでもよいが、白川流の見方なら、こうなるという典型例をひとつ。
  知 しる・・・祝詞容器と誓約の聖器たる 矢.
  智 のり・・・さらに聖器の盾も加えた.
「なんで矢があるの?」という問に対して、初めて得心できる答えが返ってきたのである。
なんと言っても秀逸なのは、ここで止まらないこと。引き続き、聖「矢」の意味を示してくれたのである。
  至 いたる・・・矢が届いた.[]
  室 むろ・・・放った矢が指した場所に廟構築.
  臺 台 うてな・・・「高+至」で見晴らしの良い台観.
成る程、と唸らされる訳である。
もしかすると、山からの国見を最重要統治儀式としている国なので「ヤマ臺」と記載したのかも知れぬと想像したりして。

それでは、示偏の漢字に戻ろう。
折角だから、前述した祝詞容器[口]に関係する漢字を眺めよう。
  祠 ほこら・・・祝詞容器に神意をきく官
  祝 いわう・はふり・・・祝詞容器を持つ長男が卓前で祭祀を行う.
  禍 わざわい・・・祝詞容器に呪霊たる上半身残骨

さらに、見ていこうかと思って、字体を拾ったらこれがなんといくらでもありそう。コリャ、手に余る。
ということで、知り切れトンボになってしまったが、ご容赦のほど。

そうそう、これを書いておかねば。・・・
「票」は「示」ではなく、もともとは「火」で縁も縁もない。炎の上にのった屍が火の勢いで浮いてしまう様を表しているという。縁起でもない話であるが、一票とはそんなものかも。

以下、蛇足。

網羅的に「示偏」の漢字を見たかったのは、完璧性を追求している訳ではない。その程度の土方作業なくしては、物事はよくわからないのが普通だからである。コレ、素人にしては大それた考えと言えるが、分類感を味わいたければ、ある程度の努力は不可欠である。残念ながら、それは無理そうなので止めにしただけ。物理的な話ではなく、能力とスキル上の都合である。

「分類」といってもわかりにくいが、要するに漢字の進化を肌的に実感できるのではないかと見たのである。
そうなれば、白川流の漢字の鑑賞を重視するしかない。納得感が薄い話もないではないが、文字をどのように作ったのか、それをどうして変えたのかの仮説は不可欠である。それなくしては、「何故そうなるの?」を考えることができないからだ。

つまり、白川漢字学とは、「漢字学」の範疇ではなく、哲学というか、ヒトの「ものの見方」を探る領域での「科学」ということ。漢字を通して、どのように「本質的流れ」を読むべきか教えてくれるのだ。おそらく、ご自身で、すでにかなりのところまで本質に迫っていたと思われるが、それを明示的に書物に残してくれなかったようだ。
各人、自分の頭で考えよということなのだろう。
ヒトの創造性を軽々しく体系化などできぬという教えでもあろう。
その気持ちはわかるが、浅学な身にはつらいものがある。

─・─示偏文字例(非網羅的,旧新字混交)─・─
祖 祈 祗 祇 祐 禊 祓 禁 祁 祉 祕 祚 祢 祷 禄 禅 禪 祿 禀 祺 禍 禎 福 =@禝 メ@禦 禧 禰 禳 礽 礿 祂 祃 祄 祅 祆 祊 祋 祍 祎 视 祏 祑 祒 祔 祘 祙 祛 祜 祡 祣 祤 祧 祪 祫 祬 祮 祯 祦 祰 祩 祪 祫 祬 祭 祮 祰 祱 祻 祼 祽 祾 禂 禃 禅 禇 禈 禉 禋 禌 禐 禑 禒 禓 禕 禖 禗 禘 禙 禚 禜 禞 禟 禠 禡 禢 禣 禤 禥 禨 禫 禬 禭 禯 禱 禰 禲 禳 禴 禵

(参照) 白川静:「漢字の世界1/2 中国文化の原点」 東洋文庫/平凡社 1976
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