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「我的漢語」
2015年1月30日

「連雨獨飮」解釈

小生は、春のような気温の室内にいると気分が晴れないタチだから、寒くても外出したくなる。だが、流石に氷雨模様が続いていると、急ぐ所用も無くて出ずに済むなら家に居るかとなる。梅雨時の連雨とは訳が違うから。
その時に独りだと、最近は漢詩を眺めたりする。そのついでに、塩エンドウ豆とモルトウィスキーになりがち。(と言っても、山崎だが。)そして、どういう訳か哲学的な気分になってくる。
白楽天も同じようなものだったかナと思ったりして。まあ、遠く及ばないことは重々承知の上で、そう考えるのが嬉しいということでもあろう。

白楽天の凄いところは、何が理かと問われれば、すべて「無」に帰着するとストレートに答えるところ。そんなことは大昔から言われてきた話だが、凡人にはとても無理である。
しかし、非凡人ならそれができるかといえば、そうとは限らない。そんな見方が根底に流れている詩をとりあげてみよう。・・・「連雨獨飮」である。

白楽天に言わせれば、松喬という名の不老の仙人が居るとか言って騒いでいる人も多いようだが、そんな戯言に乗る人の気が知れぬということになる。李白など、その典型例かナ。プライドが高い人ほどそうなりがちかも。でも、そのお蔭で、小生のような凡人は李白の山詩に惚れ込んだりするのだが。

もっとも、呑むだけで仙人になれるゾと言って、老人が酒を贈ってくれたりすることは喜ばしい限り。年功の言葉に従い、試しに独酌してみると、驚くなかれその通り。これは、凡人も100%同意。
軽い酔いが来ればまず間違いなく仙人気分だからだ。世事のつまらぬ感情はどこかに失せて行く。そう、忘我にして煩悩霧消。これこそ天の境地というか、それを越えている。
これをして、天の概念というのなら、その通り。
ここには、真の自分だけが居て、時間も無い世界なのだから。もしも、それを描いて見るとしたら、見たことも無いような美しい翼を持った鶴が、雲間を飛んでいる姿となろうか。もちろん、一瞬にして宇宙を往還する情景である。
白楽天氏はこんな気分で、自分の思う通りに生きてきたのである。それは独りよがりの勝手な生活の追求とは180度違う。まあ、そういう姿勢を貫いて40年も経つと、身体にはガタが来る。しかし、これで十分すぎる位十分。というか、それ以上、何を望もうというのだネ。
  「連雨獨飮」
 運生會歸盡、終古謂之然。世間有松喬、於今定何間?
 故老贈余酒、乃言飮得仙。試酌百情遠、重觴忽忘天。
 天豈去此哉、任眞無所先。雲鶴有奇翼、八表須臾還。
 自我抱茲獨、便俛四十年。形骸久已化、心在復何言?


エッ、禁酒だと?
そりゃ無理だろう。
  「止酒」
 居止次城邑、逍遙自闔~。坐止高蔭下、歩止門裡。
 好味止園葵、大歡止稚子。平生不止酒、止酒情無喜。
 暮止不安寢、晨止不能起。日日欲止之、營衛止不理。
 徒知止不樂、未知止利己。始覺止為善、今朝真止矣。
 從此一止去、將止扶桑。清顏止宿容、奚止千萬祀。


比較する気はないし、著名な詩か否かは知らねど、これだけ集めれば壮観なりということで、陶淵明の酒詩を・・・。
さすれば、白楽天の良さがわかるだろう。凡人が文字を眺めるだけでその気分がわかってくるような気になるからだ。以下は珍しく易しいが、註が欲しくなる。
  「飲酒二十首 序」 陶淵明
   序
余闍初ヌ歡、兼比夜已長、偶有名酒、無夕不飲。
顧影獨盡、忽焉復醉。既醉之後、輒題數句自娯。
紙墨遂多、辭無詮次。聊命故人書之、以爲歡笑爾。
   其一
衰榮無定在、彼此更共之。邵生瓜田中、寧似東陵時!
寒暑有代謝、人道毎如茲。達人解其會、逝將不復疑。
忽與一觴酒、日夕歡相持。
   其二
積善云有報、夷叔在西山!善惡苟不應。何事空立言?
九十行帶索、飢寒況當年!不ョ固窮節、百世當誰傳?
   其三
道喪向千載、人人惜其情。有酒不肯飲、但顧世間名。
所以貴我身、豈不在一生!一生複能幾。倏如流電驚。
鼎鼎百年内、持此欲何成?
   其四
棲棲失群鳥、日暮猶獨飛。徘徊無定止、夜夜聲轉悲。
視ソ思清晨、遠去何所依!因値孤生松、斂遙來歸。
勁風無榮木、此蔭獨不衰。托身已得所、千載不相違。
   其五
結廬在人境、而無車馬喧。問君何能爾?心遠地自偏。
采菊東籬下、悠然見南山。山氣日夕佳、飛鳥相與還。
此中有真意、欲辨已忘言。
   其六
行止千萬端、誰知非與是。是非苟相形、雷同共譽毀。
三季多此事、達士似不爾。咄咄俗中愚、且當從黄綺。
   其七
秋菊有佳色、其英。泛此忘憂物、遠我遺世情。
一觴雖獨進、杯盡壺自傾。日入群動息、歸鳥趨林鳴。
嘯傲東軒下、聊複得此生。
   其八
青松在東園、衆草沒其姿。凝霜殄異類、卓然見高枝。
連林人不覺、獨樹衆乃奇。提壺撫寒柯、遠望時複為。
吾生夢幻間、何事紲塵羈。
   其九
清晨聞叩門、倒裳往自開。問子為誰歟?田父有好懷。
壺漿遠見候、疑我與時乖。襤縷茅簷下、未足為高棲。
一世皆尚同、願君汨其泥。深感父老言、稟氣寡所諧。
紆轡誠可學、違己非迷。且共歡此飲、吾駕不可回。
   其十
在昔曾遠遊、直至東海隅。道路迥且長、風波阻中塗。
此行誰使然?似為飢所驅。傾身營一飽、少許便有餘。
恐此非名計、息駕歸閑居。
   其十一
顏生稱為仁、榮公言有道。空不獲年、長飢至於老。
雖留身後名、一生亦枯槁。死去何所知、稱心固為好。
客養千金躯、臨化消其寶。裸葬何必惡、人當解意表。
   其十二
長公曾一仕、壯節忽失時。杜門不復出、終身與世辭。
仲理歸大澤、高風始在茲。一往便當已、何為複狐疑。
去去當奚道、世俗久相欺。擺落悠悠談、請從餘所之。
   其十三
有客常同止、趣舍異境。一士長獨醉、一夫終年醒。
醒醉還相笑、發言各不領。規規一何愚、兀傲差若穎。
寄言酣中客、日沒燭當炳。
   其十四
故人賞我趣、挈壺相與至。班荊坐松下、數斟已複醉。
父老雜亂言、觴酌失行次。不覺知有我、安知物為貴。
悠悠迷所留、酒中有深味。
   其十五
貧居乏人工、灌木荒餘宅。班班有翔鳥、寂寂無行跡。
宇宙一何悠、人生少至百。歳月相催逼、鬢邊早已白。
若不委窮達、素抱深可惜。
   其十六
少年罕人事、遊好在六經。行行向不惑、淹留遂無成。
竟抱固窮節、飢寒飽所更。弊廬交悲風、荒草沒前庭。
披褐守長夜、晨鷄不肯鳴。孟公不在茲、終以翳吾情。
   其十七
幽蘭生前庭、含梠メ清風。清風脱然至、見別蕭艾中。
行行失故路、任道或能通。覺悟當念還、鳥盡廢良弓。
   其十八
子雲性嗜酒、家貧無由得。時ョ好事人、載醪所惑。
觴來為之盡、是諮無不塞。有時不肯言、豈不在伐國。
仁者用其心、何嘗失顯默?
   其十九
疇昔苦長飢、投耒去學仕。將養不得節、凍餒固纏己。
是時向立年、志意多所恥。遂盡介然分、終死歸田裏。
冉冉星氣流、亭亭複一紀。世路廓悠悠、楊朱所以止。
雖無揮金事、濁酒聊可恃。
   其二十
羲農去我久、舉世少複真。汲汲魯中叟、彌縫使其淳。
鳳鳥雖不至、禮樂暫得新。洙泗輟微響、漂流逮狂秦。
詩書複何罪?一朝成灰塵。區區諸老翁、為事誠殷勤。
如何絶世下、六籍無一親。終日馳車走、不見所問津。
若複不快飲、空負頭上巾。但恨多謬誤、君當恕醉人。


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