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「我的漢語」
2015年5月2日

茶詩一瞥

驚いたことに、李白の茶詩は以下の1首のみ。「名茶入詩」としては最早的らしい。

    「答族姪僧中浮贈玉泉仙人掌茶 并序」
余聞荊州玉泉寺近清溪諸山、山洞往往有乳窟、窟中多玉泉交流、其中有白蝙蝠、大如鴉。
按《仙経》、蝙蝠一名仙鼠、千之后、体白如雪、栖則倒懸、盖欽乳水而長生也。
其水邊處處有茗草羅生、枝叶如碧玉。
惟玉泉真公常采而欽之、年八十余、顔色如桃李。
而此茗清香滑熟、異于他者、所以能還童振枯、扶人寿也。余游金陵、見宗僧中孚、示余茶数十片、拳然重疊、其状如手、号為“仙人掌茶”。
盖新出乎玉泉之山、曠古未覿
因持之見遺、兼贈詩、要余答之、遂有此作。后之高僧大隠、知仙人掌茶發乎中孚禅子及青蓮居士李白也。

  常聞玉泉山、山洞多乳窟。
  仙鼠如白鴉、倒懸清溪月。
  茗生此中石、玉泉流不歇。
  根柯洒芳津、采服潤肌骨。
  叢老卷濠吹A枝枝相接連。
  曝成仙人掌、似拍洪崖肩。
  舉世未見之、其名定誰傳。
  宗英乃禅伯、投贈有佳篇。
  清鏡燭无鹽、顧慚西子妍。
洞窟に真っ白な仙獣の蝙蝠が居るという道教的なお話のツマとしての茶なのか、はたまた、贈答用茶の面白話なのか、といったところ。

杜甫も、茶については軽く触れるといったところらしい。実際どうなのか気になるから、眺めて見ることにした。例えば、以下の詩があるが、小生には茶詩の範疇に入るとはとうてい思えない。
    「重過何氏 五首」 
  問訊東橋竹、將軍有報書。
  倒衣還命駕、高枕乃吾廬。
  花妥鶯蝶、溪喧獺趁魚。
  重來休沐地、真作野人居。

  山雨尊仍在、沙沈榻未移。
  犬迎曾宿客、鴉護落巣兒。
  雲薄翠微寺、天清黄子陂。
  向來幽興極、過東籬。

  
落日平台上、春風啜茗時。
  石闌斜點筆、桐葉坐題詩。
  翡翠鳴衣桁、蜻立釣絲。
  自今幽興熟、來往亦無期。

  頗怪朝參懶、應耽野趣長。
  雨抛金鎖甲、苔臥穀セ鎗。
  手自移蒲柳、家才足稻粱。
  看君用幽意、白日到羲皇。

  到此應常宿、相留可判年。
  蹉暮容色、悵望好林泉。
  何路沾微祿、歸山買薄田。
  斯游恐不遂、把酒意茫然。

茶詩は数首あると言われているが、茶の扱いは上記となんら変わらない。「寄贊上人」では、"柴荊具茶茗"、「已上人茅齋」では"枕簟入林僻、茶瓜留客遲。"、「進艇」では"茗飲蔗漿攜所便、瓷罌無謝玉為缸。"というだけ。

茶詩と言えるのは、例えば、杜牧の詩。
引用しておこう。
    「題禅院」
  船一棹百分空、十青春不負公。
  今日鬢禅榻畔、茶烟輕落花風。
禅寺と茶という流れも強かったということか。

王孟韋柳で知られる、韋応物の詩になればまさしく茶詩。
    「喜園中茶生」
  潔性不可񐁁、為飲滌塵煩;
  此物信靈味、本自出山原。
  聊因理郡余、率爾植荒園;
  喜随衆草長、得与幽人言。

盧仝「走筆謝孟諫議寄新茶」の"天子須嘗陽葬"も知られているようだが、難解で独特との評価が一般的なようだ。確かに。語彙に詳細な註をつけてもらっても意味不明ではないかという詩だが、そこに惹きつけるものがあるから不思議。Wikiでは、この一句だけ紹介しているから、茶詩の定番なのだろう。書き下し文が大いに気に入ったので、引用させて頂こう。
     「走筆謝孟諫議寄新茶
   日高きこと丈五睡正に濃やかなり

   軍將門を扣いて周公を驚かす
   口傳す諫議書信を送ると
   白絹斜めに封ず三道の印
   緘を開けば宛(さな)がら見る諫議の面
   首(はじ)めに閲す月團三百片
   きくならく新年山里に入り
   蟄虫驚動して春風起る
   
天子須く嘗むべし陽曹フ
   百草敢えて先ず花を開かず
   仁風暗に結ぶ珠琲蕾(しゅばいらい)
   春に先だって抽出す黄金の芽
   鮮を摘み芳を焙ってやや封裹(ほうか)す
   至精至好 且つ奢らず
   至尊の餘 王公にかなうに
   何事ぞすなわち到る山人の家
   柴門反って關(とざ)して俗客なし
   
紗帽籠頭 自ら煎吃(せんきつ)す
   碧雲風を引き吹いて斷たず
   白花浮光 碗面に凝る
   
一碗喉吻うるおう
   
兩碗孤悶を破す
   
三碗枯腸をさぐる
   唯だ有り文字五千卷
   
四碗輕汗を發す
   平生不平の事
   盡く毛孔に向かって散る
   
五碗肌骨清し
   
六碗仙靈に通ず
   
七碗吃するを得ざるなり
   唯だ覺ゆ兩腋習習として清風の生ずるを
   蓬莱山いづくにかある
   玉川子 此の清風に乘じて歸り去らんと欲す
   山上の群仙 下士を司どる
   地位清高にして風雨を隔つ
   
いずくんぞ知るを得ん百万億蒼生の命
   顛崖に墮在して辛苦を受くるを

   すなわち諫議について蒼生を問う
   到頭蘇息を得べしや否や

これらに対して、白楽天は、50〜60の茶詩を残しだようだ。数より、茶に対する姿勢が全く違うと見て間違いなかろう。

白楽天の場合、「茶禅一体」と言うより、「茶膳同体」感を呼ぶ詩もある。感覚的に現代にかなり近いのでは。
    「食後」
  食罷一覚睡、起来両甌茶。
  挙頭看日影、已復西南斜。
  楽人惜日促、憂人厭年
  無憂無楽者、長短任生涯。

一番著名な詩は以下らしい。
    「謝李六郎中寄新蜀茶」
  故情周匝向交親、新茗分張及病身。
  紅紙一封書後信、拷闖\片火前春。
  湯添勺水煎魚眼、末下刀圭攪麹塵。
  不寄他人先寄我、應縁我是別茶人。

文人間での茶の贈答は知的交流を伴ったものであることがわかる。どのような気分での作品かよくわからないところもあるが、少なくとも、自他ともに認める「茶人」であることが誇りでもあったのだろう。

小生的には、琴と一緒の詩を代表としたい。
    「琴茶」
  兀兀寄形群動内、陶陶任性一生間。
  自抛官后春多梦、不讀書来老更閑。
  琴里知聞唯水、茶中故旧是蒙山。
  窮通行止常相伴、難道吾今无往還?


次の詩も、なんということもない作品だが、そこが魅力でもある。
    「睡後茶興憶楊同州」
  昨晩飲太多、嵬峨連宵醉。
  今朝餐又飽、爛移時睡。
  睡足摩眼、眼前無一事。
  信脚繞池行、偶然得幽致。
  婆娑拷A樹、斑駁青苔地。
  此處置繩床、傍邊洗茶器。
  白瓷甌甚潔、紅爐炭方熾。
  沫下塵香、花浮魚眼沸。
  盛來有佳色、咽罷余芳氣。
  不見楊慕巣、誰人知此味。

  楊慕巣=友人の名前

尚、白楽天に次いで茶詩に精力を傾けた詩人としては、宋代の陸游となるそうだ。こちらは、数は多いが、全作品数も膨大だから、ほんの一部と言えないこともない。
陸游も付け加えておこう。
    「睡起書触目」
  壓架藤花重、團枝杏子稠。
  渇蜂窺硯水、弱燕集簾鉤。
  入夏暑猶薄、投閑身自由。
  午窓初睡起、幽興付茶甌。


(参照)
馮艶:「白居易の茶詩―――茶詩の新しい姿」摂大人文科学第21号
高橋忠彦:「白居易の茶と陸游の茶―茶詩の対偶表現をてがかりとして―」 東京学芸大学紀要人文社会東科京学系学T 66:98-80, 2015
茶與詩詞―唐代(含五代)茶詩 2011-11-24 @新三才
姚国坤[中国際茶文化研究会]:「中国古代茶事」@中国際茶文化研究会 養成センター「中級茶芸師養成教材」


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