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「我的漢語」
2015年6月14日

「櫻桃」詩

日本では今でこそサクランボは大人気だし、桜桃忌も有名だが、古代には実桜はほとんどなかったのではないか。花桜に心を奪われ、実をつける櫻の品種にとんと興味を覚えなかったのかも。あるいは、生食できぬから、小さな梅の実扱いだったかも知れぬ。日本で食用とする小さな赤い果実といえば山桃(中国語:楊梅)。この実は誰が見ても櫻の係累ではない。しかるに、「山櫻桃」と呼ぶから、「櫻桃」イメージはほぼなかったと見てよさそう。(ちなみに、台湾の櫻は、「山櫻花[和名:緋寒桜]」と呼ばれており、実は「山櫻桃」。)

ところが、大陸では、"さくらんぼ"は特別な水菓だったようだ。桃同様の邪気祓い的な果実ということなのだろうか。なにせ、天子が祭祀に用いたのだから。・・・仲夏之月、・・・天子乃以雛嘗黍、羞以含桃、先薦寢廟。[禮記 月令45] (含桃=口に含む桃=櫻桃)

官僚にとっては、尚更。
    「敕賜百官櫻桃」 王維
  芙蓉闕下會千官、紫禁朱櫻出上闌。
  纔[or 總]是寢園春薦後、非關御苑鳥銜殘。

  歸鞍競帶青絲籠、中使頻傾赤玉盤。
  飽食不須愁内熱、大官還有蔗漿寒。


櫻散るを聞かされれば誰もがガッカリ。失意の念で埋まった身で故郷に帰って出直ししかないのだ。一方、官の地位を得た人達にとっては、ついに櫻桃賜る季節到来となる。当然ながら、格別の歓び。しかしながら、その味はかなり酸っぱかったようだ。心理的なものではなく、生理学的に。ただ、頂戴した砂糖水で心行くまで味わうことができたから、かえって嬉しさ倍化。

杜甫もそんな思い出に浸る人種だったのは間違いない。
    「野人送朱櫻」
  西蜀櫻桃也自紅、野人相贈満籠。
  数回細写愁仍破、万顆凹「訝許同。
  憶昨賜沾門下省、退朝フ出大明宮。
  金盤玉箸无消息、此日嘗新任轉蓬。

小生など、野趣を感じさせる実の方が魅力的に思ってしまうクチだが、杜甫は違う。籠に満杯の実を味わうことより、宮殿での美しき皿にのった実の追憶ばかり。西蜀から、はたまた、どこに行くことになるやらと。

そのようなモチーフはどうも今一歩と考える人は、后梁宣帝 蕭[519-562]の作品を推すようだ。
    「櫻桃賦」
  懿夫櫻桃之為樹、先百果而含榮;
  既離離而春就、乍苒苒而冬迎。
  異群龍之无首、垂牢器之晩成;
  鳥才食而便墜、雨薄洒而皆零。
  未睹紅顔之實、空有荐廟之名;
  等橘柚于・戸、匹諸荐乎中庭。
  異梧桐之栖風、愧緑竹之恒貞;
  豈復論其美惡、且聳干乎前
  叶繁抽而掩日、枝長弱而風生;
  且得蔽乎羲赫、實当暑之凄清。


小生としては、白楽天で行きたい。他と比べると、格段にわかり易いし。もっとも、だからこそ、学者は避けるようだが。
    「感櫻桃花、因招飲客」
  櫻桃昨夜開如雪、鬢髮今年白如霜。
  漸覺花前成老醜、何曾酒後更顛狂。
  誰能聞此來相勸、共泥春風醉一場。

あくまでも明るいのが良い。

    「履信池櫻桃島上醉後走筆送別舒員外兼寄宗正李卿考功崔郎中」
  櫻桃島前春、去春花萬枝。
  忽憶與宗卿閑飲日、又憶與考功狂醉時。

  晩無花空有葉、風吹滿地乾重疊。
  踏葉悲秋復憶春、池邊樹下重殷勤。

  今朝一酌臨寒水、此地三迴別故人。
  櫻桃花、來春千萬朶、來春共誰花下坐。

  不論崔李上青雲、明日舒三亦抛我。


どうも、代表作はこちらのようだ。
    「呉櫻桃」
  含桃最説出東呉、香色鮮氣味殊。
  洽恰舉頭千萬顆、婆娑拂面兩三株。

  鳥偸飛處銜將火、人摘爭時踏破珠。
  可惜風吹兼雨打、明朝後日即應無。


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