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「我的漢語」
2015年6月16日

「茘枝」詩

桜桃の漢詩を眺めると、どうしても楊梅との混同もあるようなので、そこにも手というか目が伸びる。白楽天を覗くから、ついでに茘枝もとなる。

浅学の身では当然ながら、すぐに「長恨歌」となるが、果物詩となると、著名なのはこちらのようだ。なんということもない詩に映るが。
    「茘枝序」 白居易
  茘枝生巴峡間、樹形團團帷盖。
  叶如桂、冬青;
  華如桔、春榮;
  実如丹、夏熟。
  朶如葡萄、核如枇杷、殼如紅
   膜如紫肉瑩白如冰雪、
   漿液甘酸如醴酪。
  大略如彼、其実過之。
  若離本枝、
   一日而色変、
   二日而香変、
   三日而味香変、
   四五日外、色香味尽去矣。

  元和十五年夏、南賓守樂天、
    命工吏而書之、盖為不識者与識而不及一、二、三日者云。


華清宮が長安の驪山に造られ、そこの華C池での湯あみが知られる訳である。茘枝イメージはその情景と切り離しようがない。
山々に塀と門だらけの建物となると、無粋な山城となりかねぬが、そこまで隔絶された官能に浸る世界を作りだしていたということなのだろうか。そこを、妃だけが知る、茘茘枝を運んで来た早馬が駆け上ってくる。それを見て楊貴妃満面の笑み。確かに絵になる。
  「過華清宮三絶」 杜牧
  長安回望成堆、山頂千門次第開。
  一騎紅塵妃子笑、無人知是茘枝來。


しかし、そんなものは、一時の幻に過ぎないゼといい放つのが白楽天。
  「觀幻」 白居易
  有起皆因滅、無不暫同。
  從歡終作、轉苦又成空。

  次第花生眼、須臾燭過風。
  更無尋覓處、鳥跡印空中。


それよりは、春宵一刻値千金の蘇東坡の詩が秀逸。
  「食茘枝」@惠州 蘇軾
  羅浮山下四時春、盧橘楊梅次第新。
  日啖茘枝三百顆、不辭長蘇作嶺南人。

一種のふてくされにも映る。左遷なのか、流罪に近いのかわからぬが、どうなろうとその地で思う存分楽しみ、馬鹿話で皆で笑いころげる生活を愛した人のようだ。
嶺南とは、南嶺山脈の南(広東州)である。当時はとんでもない田舎だったのだろうが、そこでの生活も亦良き哉なのだ。
  「惠崇春江晩景」
   其一
  竹外桃花三両枝,春江水暖鴨先知。
  蒿満地芦芽短,正是河豚欲上時。

   其二
  両両歸鴻欲破群、依依還似北歸人。
  遥知朔漠多風雪、更待江南半月春。

イヤー、素晴らしい季節到来。厄除けの桃の花が竹の間から顔を出すし、河では鴨がリラックスとくる。おまけに旨い河豚もわざわざやってきてくれるし言うことなしだネ。・・・こんな詩を詠むから、その後さらに、海南島までとばされることになる。
もちろん、それに懲りるような御仁ではない。

〆はトップ在位者で。
    「宣和殿茘枝」 宋 徽宗
  密移造化出山、禁御新栽茘枝丹;
  玉液乍凝仙掌露、苞初結水晶丸;
  酒酣国非朱粉、風泛天香轉尢磨G
  何必紅塵飛一騎、芬芳数本座中看。


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