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「我的漢語」
2015年7月8日

白楽天の心頭滅却考

心頭滅却という言葉は、恵林寺の禅僧 快川紹喜[1502年-1582]の辞世句「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」で有名になった。禅宗のキャンペーン用コピーだと思われる。

原典は「火も自ずから涼し」。
  「夏日題悟空上人院」 杜荀鶴[846-904]
  三伏閉門披一衲、兼無松竹蔭房廊。
  安禅不必須山水、滅却心頭火自涼。


現実的には、「洞山無寒暑」第四十三則 [@NDL 10巻3-11]を知らしめたということのようだが。
  「佛果圜悟禪師碧巖録」雪竇重顕[980-1052]+圜悟克勤[1063-1135]:
  舉。
  僧問洞山。
   寒暑到來如何迴避。

   (不是這箇時節。劈頭劈面在什麼處)
  山云。
   何不向無寒暑處去。

   (天下人尋不得。藏身露影。蕭何賣却假銀城。)
  僧云。
   如何是無寒暑處。

   (賺殺一船人。隨他轉。也一釣便上。)
  山云。
   寒時寒殺闍黎。熱時熱殺闍黎

   (真不掩偽。曲不藏直。臨崖看虎。特地一場愁。掀翻大海倒須彌。
   且道洞山在什麼處。)

虔誠的佛教徒たる、白楽天も、そんな気分の詩を作っている。
  「苦熱題恒寂師禪室」 白居易
  人人避暑走如狂、獨有禪師不出房。
  可是禪房無熱到、但能心靜即身涼。


もともと、「樂天無怨歎,倚命不。」[「渭村退居寄禮部崔侍郎翰林錢舍人詩一百韻」]ということでつけた名前であり、仙人的な隠遁生活を理想としていたように見えるが、仏教にかなり入れ込んだようだ。官僚としての儒教、閑適としての道教に、思想としての仏教を載せただけでなく、修行としての禅を第一義的に考えるようになってきたということか。
半ば僧侶的な生活を目指していたようである。
  「在家出家」 白居易
  衣食支吾婚嫁畢、从今家事不相仍。
  夜眠身是投林鳥、朝飯心同乞食僧。
  清唳数声松下鶴、寒光一点竹間灯。
  中宵入定跏趺坐、女喚妻呼多不應。


実際、経典三昧だった模様。
  「歡喜二偈」 白居易
  得老加年誠可喜、当春対酒亦宜歡。
  心中別有歡喜事、開得龍門八節灘。

  眼暗頭旋耳重听、唯余心口尚醒醒。
  今朝歡喜縁何事、礼徹佛名百部経。


そして、ついには最鐘愛香山寺的幽靜。自號“香山居士”。
  「香山寺二絶」 白居易
  空門寂靜老夫閨A伴鳥隨雲往復還。
  家滿瓶書滿架、半移生計入香山。

  愛風岸上攀松蓋、戀月潭邊坐石稜。
  且共雲泉浩縁境、他生當此作山僧。


しかし、禅でとどまらず、次第に浄土宗へ傾倒。虔心念佛、求往生西方極樂世界。
  「念佛偈」 白居易
  余年七十一、不復事吟哦。
  看經費眼力、作福畏奔波。
  何以度心眼?一聲阿彌陀。
  行也阿彌陀、坐也阿彌陀,
  縱饒忙似箭、不廢阿彌陀。
  日暮而途遠、吾生已蹉
  旦夕清淨心、但念阿彌陀。
  達人應笑我、多卻阿彌陀。
  達又作麼生?不達又如何?
  普勸法界衆、同念阿彌陀。


なんでも習合させてしまう日本で、白楽天が大人気だったのもわかる気がする。

滅却心頭火自涼に戻ろう。
  「菜根譚」 洪応明
  熱不必除
  而除此熱悩 身常在清凉台上
  窮不可遣
  而遣此窮愁 心常居安楽窩中

    [後集#29]
この書では白楽天は道教的な人物とされているが、念仏三昧に陥っているのだから、枯寂状態ともいえよう。両者を揺れ動いていた訳である。
  白氏云 (白居易)
   不如放身心 冥然任天造
  晁氏云 
(晁補之)
   不如収身心 凝然帰寂定
  放者流為猖狂
  収者入於枯寂
  唯善操身心的
   柄在手 収放自如

   [後集#91]

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