表紙 目次 | 「我的漢語」 2015年9月20日 白髪詩白髪に初めて気付くと、衝撃を受ける人が多いと聞く。小生は近眼にして乱視で、洗面台では眼鏡を外しているため、鏡を見ても白髪がよくわからない。お蔭で、頭髪で老化を感じることはない。 それよりは冬場にふくらはぎ辺りの皮膚にボツボツができて、年齢を実感させられたことの方がショックだった。大分前の話だが。 皮膚専門医に診察してもらったら、「お幾つ?」とのご質問。答えたら、「ダンダンネ〜。」とのお返事。オイオイ、医者なんだからソリャないだろう。 で、「ローションいりますか?」 ただ、「老い」の話題でイの一番に引用されるのは、李白の白髮詩。若白髪の人も結構多そうだが、白髪は老化の象徴なのである。 「秋浦歌十七首 其十五」 李白[701-762]@55歳 白髮三千丈 縁愁似箇長 不知明鏡裏 何處得秋霜 飛ばされても、なおかつ唐の将来を案じて苦悶する日々。そのお蔭で、髪の毛も白くなろうという訴えに対する共感を呼ぶというよりは、単に三千丈という大袈裟な数字が喜ばれるていそう。しかし、おそらく、作者としては、そういう意図ではなかろう。三千道士になり変わり苦悶しているとの誇りを表現したつもりかも。 ともあれ、自分の白髪を鏡で見てしまうと、憂いに襲われ、自然と悲しくなるものらしい。小生は、高齢者は髪を染めて愉しんだりしていると思っていたが、そんな気分の人は少ないのかも。 「将進酒」 李白 君不見黄河之水天上來 奔流至海不復廻 君不見高堂明鏡悲白髪 朝如青絲暮成雪 人生得意須盡歡 莫使金樽空對月 天生我材必有用 千金散盡還復來 烹羊宰牛且爲樂 會須一飮三百杯 岑夫子 丹丘生 奬進酒 杯莫停 與君歌一曲 請君爲我傾耳聽 鐘鼓饌玉不足貴 但願長醉不用醒 古來聖賢皆寂莫 唯有飮者留其名 陳王昔時宴平樂 斗酒十千恣歡謔 主人何爲言少錢 經須沽取對君酌 五花馬 五金裘 呼兒奬出換美酒 與爾同銷萬古愁 白髪頭を見ると、"歳歳年年人不同"という無常観が漂ってくるのかも知れぬ。 「代悲白頭翁」 劉廷芝[651-679] 洛陽城東桃李花 飛来飛去落誰家 洛陽女児惜顔色 行逢落花長嘆息 今年花落顔色改 明年花開復誰在 巳見松柏摧為薪 更聞桑田変成海 古人無復洛城東 今人還対落花風 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 寄言全盛紅顏子 應憐半死白頭翁 此翁白頭真可憐 伊昔紅顏美少年 公子王孫芳樹下 清歌妙舞落花前 光禄池臺開錦繍 將軍樓閣畫神仙 一朝臥病無相識 三春行樂在誰邉 宛轉蛾眉能幾時 須臾鶴髪亂如絲 但看古來歌舞地 惟有黄昏鳥雀悲 それにしても、どれもこれも、不景気なものだらけ。 「照鏡見白髪」 張九齢[678-740] 宿昔青雲志 蹉タ白髪年 誰知明鏡裏 形影自相憐 「歎白髮」 王維[699-759] 宿昔朱顏成暮齒 須臾白髮變垂髫 一生幾許傷心事 不向空門何處銷 「秋夜獨座」 王維 獨座悲雙鬢 空堂欲二更 雨中山果落 燈下草蟲鳴 白髪終難變 黄金不可成 欲知除老病 惟有學無生 小生としては、そのような流れに抗した白楽天的発想の方が好み。 「覽鏡喜老」 白居易[772-846] 今朝覽明鏡 須鬢盡成絲 行年六十四 安得不衰羸 親屬惜我老 相顧興嘆咨 而我獨微笑 此意何人知 笑罷仍命酒 掩鏡捋白髭 爾輩且安坐 從容聽我詞 生若不足戀 老亦何足悲 生若苟可戀 老即生多時 不老即須夭 不夭即須衰 晩衰勝早夭 此理決不疑 古人亦有言 浮生七十稀 我今欠六歲 多幸或庶幾 儻得及此限 何羨榮啓期 當喜不當嘆 更傾酒一卮 蘇東坡になると、大笑いとなる。もっとも、白髭であって、白髪ではない。 「縱筆三首 其一」 蘇軾[1037-1101] 寂寂東坡一病翁、白須蕭散滿霜風。 小兒誤喜朱顏在、一笑那知是酒紅。 しかし、髪にしていたりもする。こちらは流石に気弱。 「縱筆」 蘇軾 白頭蕭散滿霜風、小閣藤床寄病容。 報導先生春睡美、道人輕打五更鐘。 もっとも、矢鱈に白髪にこだわったのは唐の人々だけかも。その後は、検索では余りひっかかってこないからである。(漢詩は唐だということで、それ以外のリソースは貧弱な可能性もある。) 「蜀中送項斯誠同年囘京」王越[1425-1498]明詩綜卷二十五 白髪慈親七十餘 不知消息近何如 老來ョ我供湯藥 別後憑誰奉板輿 旅館夜長頻有夢 故郷路遠久無書 君歸正向門前過 為報平安莫倚閭 (C) 2015 RandDManagement.com |