表紙 目次 | 「我的漢語」 2015年9月27日 中秋名月の詩2015年の旧暦8月15日は、新暦では9月27日。ということで、中秋名月の詩でも。漢詩の世界は、秋の景色は夕暮れではなく、なんといっても月らしいから。 「四時」 陶淵明 春水満四澤 夏雲多奇峰 秋月揚明暉 冬嶺秀寒松 ただ、八月十五日夜となれば、真っ先に思い浮かぶのは、白楽天の「禁中独直対月憶元九」。・・・あの頃、あるいは、今あの方と、同じ月を見ているのだという思いに突如襲われるというパターンが多い訳だが、何故に中秋の月なのだろうか。 「十五夜望月」 王建[767-830] 中庭地白数栖鴉 冷露無声湿桂花 今夜月明人尽望 不知秋思落誰家 「八月十五日夜湓亭望月」 白居易 昔年八月十五夜 曲江池畔杏園邊 今年八月十五夜 湓浦沙頭水館前 西北望郷何處是 東南見月几回圓 昨風一吹無人会 今夜清光似往年 曲江の情景を知らぬと、どうも今一歩感。 考えてみれば、なにも中秋である必要もない訳で。 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 安倍仲麿 「望月望ク」 朝衡 翹首望東天 神馳奈良邊 三笠山頂上 想又皓月圓 source:http://homepage2.nifty.com/kahi/21abeboukyouhi002b.jpg) どうせなら、飲酒シーンの方がよくないか。李白の十八番だろうし。 「把酒問月」 李白 青天有月来幾時?我今停杯一問之 人攀明月不可得 月行却与人相随 皎如飛鏡臨丹闕 緑烟滅尽清輝発 但見宵従海上来 寧知暁向雲間没 白兔搗薬秋復春 嫦娥孤栖与誰鄰? 今人不見古時月 今月曾経照古人 古人今人若流水 共看明月皆如此 唯愿当歌對酒時 月光長照金樽里 しかし、なんとまあ、兎信仰満杯。 “夜光何コ,死而又育?厥利維何,而顧菟在腹。”[楚辞「天問」]が原点なのだろう。 世の中、道教の中秋節の太陰星君の祭祀一色だったのかも知れぬ。 「嫦娥」 李商隠[812-858] 云母屏風燭影深 長河漸落曉星沈 嫦娥應悔偸靈葯 碧海青天夜夜心 李白には、月には格別な思い入れがあったのかも。定番暗記モノが月だったせいもあるが。 「靜夜思」 李白 牀前看月光 疑是地上霜 擧頭望山月 低頭思故郷 もちろん、他にも。 「關山月」 李白 明月出天山 蒼茫雲海間 長風几万里 吹度玉門關 漢下白登道 胡窺青海湾 由来征戦地 不見有人還 戍客望邊邑 思歸多苦顔 高楼当此夜 嘆息未應閑 飲酒からはなれてしまったので、飲酒詩に戻そう。以下が、李白の本丸的な詩。 「月下独酌 其一」 李白 花間一壺酒 独酌無相親 挙杯邀明月 對影成三人 月既不解飲 影徒随我身 暫伴月将影 行楽須及春 我歌月徘徊 我舞影零乱 醒時同交歓 醉后各分散 永結無情游 相期邈雲漢 「月下独酌 其二」 李白 天若不愛酒 酒星不在天 地若不愛酒 地應無酒泉 天地既愛酒 愛酒不愧天 已聞清比聖 復道濁如賢 賢聖既已飲 何必求神仙 三杯通大道 一斗合自然 但得酒中趣 勿為醒者傳 「月下独酌 其三」 李白 三月咸陽城 千花昼如錦 誰能春独愁 對此径須飲 窮通与修短 造化夙所禀 一樽齊死生 万事固難審 醉后失天地 兀然就孤枕 不知有吾身 此樂最為甚 「月下独酌 其四」 李白 窮愁千万端 美酒三百杯 愁多酒雖少 酒傾愁不来 所以知酒聖 酒酣心自開 辞粟臥首陽 屡空飢顏回 当代不樂飲 虚名安用哉 蟹螯即金液 糟丘是蓬莱 且須飲美酒 乘月醉高台 (C) 2015 RandDManagement.com |