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「我的漢語」
2015年9月29日

「詩仙」の話

「詩仙」とはどのような位置付けか考えてみたい。
類似の名称を見てみよう。・・・

杜甫[712-770]は現実を直視するので、そのモチーフは社会性濃厚であり常に政治的な主張がかぶってくる。言うまでもなく儒教統治を理想化してしまう原理主義者。「詩聖」とはよく言ったもの。

王維[701-761]は、山水田園地域での隱居生活を愛した。芸術的な視点からの風景描写を好んだと見てよいだろう。そこに仏教的な生命観を感じさせるから、「詩仏」と見るのは妥当なところ。

李賀[790-816]はえらく異質な詩が多い。幽玄というより、この世とは無縁なシュールな世界に遊んでいそうな詩だらけ。そんな傾向に陥る前の詩は諷刺的なものが目立つが、かなりキツイ。準アバンギャルド派か。「詩鬼」と呼ばれるのも当然かも。

こうして眺めると、李白[701-762]の「詩仙」がどのような概念か見えてくるのでは。
よく紹介される詩は抒情的なものが多いが、それは本質的なものではないということ。と言うのは、紛れも無き道士一途の人だったから。幻想的な表現が得意なのではなく、信仰者としてのママ表現だらけなのである。

要するに、上記の4詩人は、儒教、仏教、異端、道教の4派の代表なのである。
そうなると、仏教徒たる白居易[772-846]は「詩仏」の後塵を拝することになるが、小生はそう見ない。
詩人」である。

ということで、「詩仙」としての典型的作品を眺めておきたい。
先ずは、李白自らが考える特徴から。

   「上安州裴長史書」より 全唐文/卷0348
 少長江漢、五誦六甲、
 十觀百家、軒轅以來、頗得聞矣。


"仙人"を指す訳だから端的に言えば道士詩人というにすぎまい。と言うことで、情緒的"仙人"イメージで紹介されることも少なくない。隠遁生活で山に遊ぶという風情で。だが、それはかなりの恣意的な解釈であることにご注意あれ。どう見ても、現代でいえばほとんどカルト信仰者そのもの。(しかし、当時は天子も道士に従うほどであり、紛れもなき国教。)つまり、李白はカルト教団の最高位を目指したのである。俗っぽく聞こえるが、宗派集団の頂点を目指すことは、当人にとっては信仰を極めるのと同義である。
だが、どういう訳か、李白のこの辺りの話が極めて少ない。おそらく、この話題を避けているのだろう。もっとも、ネット検索すると、呪術小説関係が山ほど。これでは調べる気にもならない。
そこで、そこらを如実に示す詩を記載しておくのも悪くなかろうということで。

青年期に、"東巖子という隠者と一緒に岷山に隠棲し、蜀の鳥を飼育し共に過ごしながら道士の修行をし、山中の鳥も李白を恐れず手から餌をついばんたこと、峨眉山など蜀の名勝を渡り歩いたことなどが伝わる。"そうだし。まあ、道教全盛時代だから、話に尾鰭がつくのは当たり前だが、まるっきりの創作とは思えない。信仰に入れ込んでいたのは間違いないからだ。

よく知られているのは、18歳の時に道士を訪問した際の詩。

  「訪戴天山道士不遇」
 犬吠水聲中、桃花帶雨濃。
 樹深時見鹿、溪午不聞鐘。
 野竹分青靄、飛泉挂碧峰。
 無人知所去、愁倚兩三松。


これより以下の方が思想性がはっきりするか。
   「感興八首 其五」
 十五游神仙、仙游未曾歇。
 吹笙坐松風、泛瑟窺海月。
 西山玉童子、使我煉金骨。
 欲逐黄鶴飛、相呼向蓬闕。


"仙游"とは、道教を信奉し、家を出て"求仙訪道"に入ること。それを、比喩と見なしたり、仙人的イメージを描いていると考えるのは現代の恣意的な発想。信者にとっては、それは真の世界そのもの。言うまでもないが、自分の目で仙人を認識できるのである。

以下の詩を眺めれば、これは道教詩以外のなにものでもなく、李白の人となりも見えてくるというもの。

   「草創大還,贈柳官迪」
  天地爲籥、周流行太易。造化合元符、交媾騰精魄。
  自然成妙用、孰知其指的。羅絡四季間、綿微無一隙。
  日月更出沒、雙光豈雲隻。女乘河車、黄金充轅軛。
  執樞相管轄、摧伏傷羽。朱鳥張炎威、白虎守本宅。
  相煎成苦老、消鑠凝津液。倣佛明窗塵、死灰同至寂。
  搗冶入赤色、十二周律暦。赫然稱大還、與道本無隔。
  白日可撫弄、清都在咫尺。北落死名、南鬥上生籍。
  抑予是何者、身在方士格。才術信縱横、世途自輕擲。
  吾求仙棄俗、君曉損勝益。不向金闕游、思爲玉皇客。
  鸞車速風電、龍騎無鞭策。一擧上九天、相同所適


道教の世界に浸っているというよりは、世に冠たる道士の高弟を目指す宗教家であると見てもよいのでは。
シャーマニズムというか、西王母的神がかり巫女を頼りにしたい心情の人である。実際に訪問し、峰々を巡ったほど。幻想に基づいた創作詩ではなく、実在の巫女に捧げた詩。
天に飛翔し西王母と化すと信じているからこそ、詠えるのだ。

   「江上送女道士三清游南岳」
 呉江女道士、頭戴蓮花巾。
 衣不湿雨、特異陽台云。
 足下遠游履、凌波生素塵。
 尋仙向南岳、應見魏夫人。


従って、道教以外に何のモチーフも感じられない詩こそが、李白の真髄と見ることもできよう。

   「玉真仙人詞」
 玉真之仙人、時往太華峰。
 清晨鳴天鼓、騰双龍。
 弄電不輟手、行云本无踪。
 几時入少室、王母應相逢。


そして、ついに44歳になり、免許皆伝である。人生最高の日だったに違いない。

 「奉餞高尊師如貴道士傳道畢歸北海」
 道隱不可見、靈書藏洞天。
 吾師四萬劫、歴世相傳。
 別杖留青竹、行歌躡紫煙。
 離心無遠近、長在玉京懸。


   「贈嵩山焦錬詩并序」
  嵩丘有神人焦錬師者、不知何許婦人也、又云生於齊梁時。
  其年貌可稱五六十、常胎息絶穀、居少室廬、遊行若飛、倏忽萬里。
  世或傳其入東海、登蓬莱、竟莫能測其往也。
  余訪道少室、盡登三十六峰、聞風有寄、灑翰遙贈。
 二室凌青天、三花含紫烟。
 中有蓬海客、宛疑麻姑仙。
 道在喧莫染、迹高想已綿。
 時餐金鵝蕊、屡讀青苔篇。
 八極恣游憩、九垓長周旋。
 下瓢酌潁水、舞鶴来伊川。
 還歸空山上、独拂秋霞眠。
 蘿月挂朝鏡、松風鳴夜弦。
 潜光隠嵩岳、煉魄栖云幄。
 霓裳何飄、鳳吹轉綿
 愿同西王母、下顧東方朔。
 紫書儻可傳、銘骨誓相学。

    【註】焦練師:唐開元中、有焦練師修道。聚徒甚衆。
        [宋明 太平廣記 狐三 焦練師@977-984年]


   「有所思」
 我思仙人、乃在碧海之東隅。
 海寒多天風、白波連山倒蓬壺。
 長鯨噴涌不可渉、撫心茫茫泪如珠。
 西来青鳥東風去、愿寄一書謝麻姑。

おわかりのように、李白の文学とは、道教文学に他ならない。

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