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「我的漢語」
2015年10月2日

気になる紅葉詩のご紹介

先ずは、有名なというか、テキストで必ず触れることになる旅愁の詩。浪人になってしまった身の切なさは、高校生にとっても他人事ではない訳で。
紅葉が目に染み、鐘の音が心に突き刺さるのであろう。この詩のお蔭で寒山寺の名前を知ることになる訳だ。

   「楓橋夜泊」  張継[n.a.-779?]
 月落烏啼霜満天 江漁火對愁眠
 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船


寒山は一般用語でもあり、それに紅葉とくれば、こちらだろう。春の花と比較する発想にハッとさせられる訳である。山を眺めていて、仙的な宗教観が湧いただけかも知れぬが。

   「山行」  杜牧[803-853]
 遠上寒山石径斜 白雲生処有人家
 停車坐愛楓林晩 霜葉紅於二月花
 二月花=桃
  「紙本著色山紅於染図〈浦上玉堂筆〉」@文化遺産オンライン

もっとも、秋だというのに春を想起するモチーフは、結構人気があるのかも知れぬ。ただ、老人の作であるが。
まあ、だからこそのピカ一。

 「陳伯予見過喜予強健戲作」  陸游@[1125-1210]
 寒無氈坐甑生塵 此老年來乃爾貧
 兩君會否 胸中原自有陽春


頬に赤味がさせば、紅顔の美少年が通り相場。酒焼けは老人。長生きすれば貧乏にもなるが、心は陽春。自由の愉しみが満喫できる訳で。

白楽天風な感じも受ける。

   「酔中對紅葉」  白居易
 臨風杪秋樹 對酒長年人
 醉貌如霜叶 雖不是春
 霜叶=紅葉

陸游に比べれば、白楽天は今一歩長生きできなかったが、お気楽な引退生活を楽しんだのは間違いなさそう。旨いものも堪能していたろうから、赤くなったと言えども、酔いはほんのりか。そこに春の紅色がでてくると、なんともいえぬ老人の心情がにじみ出てくる訳だ。

陸游に言わせると、そんな生活が可能だった白楽天殿とは違うゼとなる。根を断ち切られて風任せの一生だったし、友を集めて宴会などできるご身分でもない。でも、自由に詩作ができるだけで十分満足じゃと宣われる。

   「懐旧」  陸游@81歳
 身是人間一断蓬 半生南北任秋風
 琴書昔作天涯客 蓑笠今成沢畔翁
 夢破江亭山駅外 詩成灯影雨声中
 不須強覓前人比 道似香山実不同
 香山=白楽天

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