表紙 目次 | 「我的漢語」 2015年10月29日 秋読書は伝統に反する2015年の読書週間[第69回]標語は「いつだって、読書日和」。なかなかの作品。小生だと、乱読三昧になるが。 何故に「天高く馬肥ゆる秋」に読書週間を設定したのか気になるので調べてみたら、1924年に日本図書館協会が11月の頭から1週間ということで始まったとのこと。11月選定理由は不明。 戦争後復活時に、米国の「Children’s Book Week」[11月17日からの1週間]にならって始めたが、期日を文化の日を挟んだ2週間に変更したそうナ。 読書と言えば、もともとは「灯火親しむ」が通り相場。季節的にはこの辺りがよかろうということだろうか。 「符讀書城南」 韓愈 木之就規矩、在梓匠輪輿。 人之能為人、由腹有詩書。 詩書勤乃有、不勤腹空虚。 欲知學之力、賢愚同一初。 由其不能學、所入遂異閭。 兩家各生子、提孩巧相如。 少長聚嬉戲、不殊同隊魚。 年至十二三、頭角稍相疏。 二十漸乖張、清溝映汚渠。 三十骨骼成、乃一龍一豬。 飛黄騰踏去、不能顧蟾蜍。 一為馬前卒、鞭背生蟲蛆。 一為公與相、潭潭府中居。 問之何因爾、學與不學歟。 金璧雖重寶、費用難貯儲。 學問藏之身、身在則有餘。 君子與小人、不繋父母且。 不見公與相、起身自犁鋤。 不見三公後、寒飢出無驢。 文章豈不貴、經訓乃災畬。 潢潦無根源、朝滿夕已除。 人不通古今、馬牛而襟裾。 行身陷不義、況望多名譽。 時秋積雨霽、新涼入郊墟。 燈火稍可親、簡編可卷舒。 豈不旦夕念、為爾惜居諸。 恩義有相奪、作詩勸躊躇。 なんとなくだが、この時候、時代感覚に合わなくなっているような気がしないでもない。 文化勲章叙勲の日と言えば、たいていは素晴らしい秋晴れだからだ。 子供にとっては、屋外で自然に親しむ絶好の機会。夜は疲れてぐっすり眠るだけ。そもそも、秋は、子供にとっては行事が多くてえらく多忙。読書時間を割くには、好都合とは言い難い季節。 時期的に学童にお勧めなのは、なんといっても夏休み。所謂、「緑陰読書」。 こちらも、由来はわかっていない。 大人だと、ビーチの日蔭でのんびり読書の方が嬉しい。パラソルだと、白陰読書だろうか。もっとも、ついついビールを注文しがち。その結果、読書というより、うたた寝とあいなる。それが心地よいから堪えられない歓びでもであるのだが。 もっとも、大人には、秋は寂しい季節との思い込みがあり、読書でもするかという気分になりがち。もちろん、酒と遠出を楽しむこと優先だが。 「感秋」 楊万里[1127-1206] 平生畏長夏 一念願清秋 如何遇秋至 不喜却成愁 書冊秋可読 詩句秋可捜 永夜宜痛飲 曠野宜遠遊 江南万山川 一夕入寸眸 請弁双行纏 何処無一丘 ただ、一般的には読書好きが愛する言葉は「晴耕雨読」であり、季節に拘りはなかろう。 この言葉、明治期の中国文学者 塩谷節山の漢詩由来と語る人がいるらしいが、典拠不明。 ついに憧れのリタイア生活満喫ということで、この言葉を使う方も多そうだが、本来はそんな気分とは少々違う言葉の可能性もあろう。・・・ 台灣總督 兒玉源太郎の別荘「南菜園」[現:南昌公園]での詩に登場するからである。 古亭庄外結茅廬、畢竟情疏景亦疏。 雨讀晴耕如野客、三畦蔬菜一床書。 それはともかく、確かに、引退すれば、のんびりではある。生活に苦労がないなら、ほとんど自由人なのだから。 「青箱雑記」卷十 宋 呉處厚 城南有別墅、毎良辰美景、 以小車載酒、悠々自適。 「論語」為政---"七十而從心所欲、不踰矩" 朱熹 集注引 胡氏 曰: 聖人言此、 一以示学者当優游涵泳、不可躐等而進。 それと読書がどう繋がるかだが、不透明だが、「読書譜」の表現がそれにあたるのだろうか。 「読書譜」 西晋 束ル[264-303] 耽道先生、澹泊閑居、藻練精神、呼吸清虚、抗志云表、戢形陋廬、垂帷帳以隠几、被紈素而読書、抑揚嘈囋、或疾或徐、優游蘊藉、亦卷亦舒、頌卷耳則忠臣喜、咏蓼莪則孝子悲、称碩鼠則貧民去、唱白駒而賢士歸、是故重華咏詩以終已、仲尼読易於身中、原憲潜吟而忘賤、顔回精勤以軽貧、倪寛口誦而芸耨、買臣行吟而負薪、賢聖其犹孳孳、况中才与小人。 ただ、論理的に連関があるという訳ではない。 科挙の国なら、「晴耕雨読」ではなく、「昼耕夜誦」こそが、読書の基本だと思われるからだ。言うまでもないが、悠々自適とは全く異なる。 「魏書 崔光伝」 家貧好学、昼耕夜誦、傭書以養父母。 従って、書を読むに適した時期は、秋や夏などありえない。冬である。そして、一日のうちでは、夜。そして、時間的には降雨である。余った時間で本を読めという訳だ。 「三国志 魏志−董遇・裴松之注」 董遇字季直、性質訥而好学。 興平中、關中擾乱、与兄季中依将軍段煨。采稆負販、而常挟持経書、投閑習書、其兄笑之而遇不改・・・遇善治"老子"、為"老子"作訓注。 又善"左式傳"、更為作"朱墨別異"、人有从学者、遇不肯教、 而云「必当先読百遍。」 又言:「書読百遍、其義自見。」 从学者云:「苦渇無日」” 董遇言:「当以三余」 或問「“三余”之意」 董遇言:「冬者歲之余、夜者日之余、陰雨者時之余也。」 だからこその、蛍雪。 「蒙求」 孫氏世録曰、康家貧無油、常映雪讀書。少小清介、交遊不雜。 後至御史大夫。 晉車胤字武子、南平人。 恭勤不倦、博覽多通。 家貧不常得油。夏月則練嚢盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉。 桓温在荊州、辟爲從事。 以辯識義理、深重之。稍遷征西長史、遂顯於朝廷。時武子與呉隱之、以寒素博學知名于世、又善於賞會。 當時毎有盛坐、而武子不在、皆云、無車公不樂。 終吏部尚書。 冬となれば、漢文Bに登場する詩だ。 「冬夜読書」 菅茶山[1748−1827]@64歳1811 雪擁山堂樹影深 檐鈴不動夜沈沈 閑収乱帙思疑義 一穂青燈万古心 こちらも著名。 「冬夜読書示子聿」 南宋 陸游 古人學問無遺力 少壯工夫老始成 紙上得來終覺淺 絶知此事要躬行 漢字ってイイネ。視覚ベースの直感で意味を想像することができるからだ。「読む」のとは違うのである。 まあ、以上、いずれも、今は昔の話だらけ。 今や富める家の子息ほどよく勉強する。小さいうちから、教育投資が当たり前になっており、学ぶことが習慣づけられているからだ。ドングリだが、まあまあのレベルには達する訳である。従って、その気になれば、要領よく成績を上げることもできる。器用な子供なら、試験にテキトーに対応しながら、好みの分野での読書三昧も可能だ。 一方、貧困に陥っている家庭では、子供の学業に割ける金額は僅か。跳びぬけた才能に恵まれない限り、要領の悪い勉強しかできず、試験の点数で追い越すのは難しかろう。好きな本に巡り合うチャンスも乏しいし。 (source) <レファレンス事例詳細> 福井県立図書館 2012年09月27日 愛知学院大学図書館情報センター 2006/03/23 神戸市立中央図書館 2011年11月10日 <BLOG> 2006-09-10 21:50 [日治遺跡] 南昌路上的總督別墅-南菜園(北白川宮大妃殿下御歌碑)Xuite日誌 (C) 2015 RandDManagement.com |