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「我的漢語」
2015年11月8日

白楽天はお燗好き

熱燗で一杯の季節がやって来た。

白楽天が身近に感じるのは、火鉢に鉄瓶がかかっている部屋で、雪でも降りそうな天気模様だし、新酒があるから一杯やるないかネという風情を感じるからでは。

    「問劉十九」  白居易 劉十九=劉家の飲み友達
  酒、紅泥小火
  晩來天欲雪、能飲一杯無?


日本的情緒を愛するなら、この場合はお燗となる。
そこでついつい燗酒日本独自文化説にのせられがち。小生もひっかかった。

例えば、・・・
日本酒が、いつごろから今日のように燗をして飲まれるようになったのかに定説はないが、世界の酒飲法からみるときわめて珍しい部類に入る。」といった解説になる。
そして、たいていは貧窮問答歌からの引用が加わり、古くから粕を湯に溶いて飲んでいたことが紹介される。
風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて」 [万葉集巻五#892]

百聞は一見に如かずで、古代中国では温酒が一般的だったことがすぐにわかるにもかかわらず。・・・
青銅製の杯を炭火炉に載せて直燗する「温酒器」が出土しているからだ。装飾品と言うよりは実用品に近い印象。但し、四神を配している作品もあるから、儀式用だったかもしれぬ。常識的に考えれば、戦国時代の英雄が燗酒を好んだと見るべきだろう。
これでは証拠不十分というなら、漢代の出土品がある。鍍金青銅製の円筒形容器の「温酒樽」。こちらは、銘文として刻まれている正式名称。

温酒器類が中国古代で普通に使われていた訳で、燗をきわめて珍しい飲酒法とするのは無理があろう。(温酒に特別な用途があったとは思えまい。)
平安時代に使われたという銅製の直燗用「土熬鍋」の原形は中国と考えるのが自然。

白楽天にしても、「温酎」愛好者だったのは知られた話。以下の「雪中春」詩は良く知られている。

  「和李中丞与李給事山居雪夜同宿小酌」  白居易
  憲府觸邪峨豸角、瑣駁正犯龍鱗。
  那知近地齋居客、忽作深山同宿人。
  一盞寒燈雲外夜、数盃
温酎雪中春。
  林泉莫作多時計、諫獵登封憶舊臣。


もっとも情緒を愛するなら、こちら。
枕草子にはこのモチーフは出てこないようだが。

    「送王十八歸山寄題仙遊寺」  白居易
  曽於太白峰前住、数到仙遊寺裏來。
  黒水澄時潭底出、白雲破處洞門開。
  林間
暖酒焼紅葉、石上題詩緑苔。
  惆悵舊遊復無到、菊花時節羨君廻。


但し、かつての日本人のように重陽から上巳までは原則的にお燗というのではなく、寒くなければ冷酒だったのではないか。

    「北亭招客」  白居易
  疏散郡丞同野客、幽閑官舍抵山家。
  春風北戸千茎竹、晩日東園一樹花。
  小盞吹
冷酒、深炉敲火炙新茶。 =暖酒?
  能来尽日觀棋否?太守知慵放晩衙。

温酎は白楽天の嗜好であると感じる人もいるかも知れぬので、明代の文人の作品も引用しておこう。
「臨江仙」という詩が代表作のようだが、そこには一壺濁酒喜相逢との句が含まれている。飲酒の伝統を引き継ぐ詩人なのは間違いなさそうである。

    「癸未除夕」 楊慎[1488-1559]
  金壺躍温酎、華燭蟠暖烟。
  壁陰逝可惜、瓊籌俄已遷。
  鸞聲動、蒼蒼龍角旋。
  椒觴猶頌酒、蘭佩催朝天。


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