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「我的漢語」
2015年12月22日

冬至詩の素人的観賞

白楽天の冬至の詩は凡庸な感じ。

そもそも恋の詩はイメージに合わないせいもあるが、余りにステレオタイプ過ぎ。恣意的に素人臭を醸し出しているようにも受け取れる。恋人を想って"長夜の一人寝"で大ヒットを狙う歌謡曲的作風と言えば失礼の度が過ぎるか。

    「冬至夜懷湘靈」  白居易
  艶質無由見、寒衾不可親。
  何堪最長夜、倶作獨眠人。


これもよくある長夜獨宿の旅人の台詞パターン。それに、冷枕單牀で味付けしただけ。但し、病身。それが、三千里に渡る病んだ国土と対になっている。時代に翻弄されるエリートだけがジーンと来る詩。

    「冬至宿楊梅館」  白居易
  十一月中長至夜、三千里外遠行人。
  若爲獨宿楊梅館、冷枕單牀一病身。


邯鄲の夢の地で、一緒なのは自分の影だけという状況で、いよいよ冬至を迎えているのだとの嘆きにも似た詩もある。ところが、どういう訳かそれとは異なったムードが漂って来る。家族が送る声援を100%信じ切って、お国の為ということで出世を目指して、ただただ深夜残業で頑張る官僚の姿を彷彿とさせるから不思議。白楽天もそういう時代があったのだ。
正直、余り面白い詩ではない。

    「邯鄲冬至」  白居易
  邯鄲驛裏逢冬至、抱膝燈前影伴身。
  想得家中夜深坐、還應説著遠行人。


インテリが冬至らしさを味わうシーンとして描いた作品としては、以下の蘇軾の作をあげたい。草木がことごとく枯れてしまい、風景を眺めに訪れる人なき閑散としたお寺に、小雨模様というのに、ワザワザやってくる奇特さ。冬至の日に命が再生する気分とは、ナンナンダと考えていそうな点にこそ意味あり。
但し、蘇軾には、「吉祥寺看牡丹序」がある。そこは、今は遺跡しかないのだろうが、名人巨公皆往游賞の地で、視者数万人の杭州名所だったのである。千年昔はさぞかし牡丹盛会だったろう。当時の時期外れの情景は、将来を暗示するものでもある。

    「冬至日獨遊吉祥寺」  蘇軾[1037-1101]
  井底微陽回未回、蕭蕭寒雨濕枯
  何人更似蘇夫子、不是花時肯獨來。


蘇軾の詩にはしみじみ感が溢れている感じがする。

    「冬至日贈安節」  蘇軾
  我生幾冬至、少小如昨日。當時事父兄、上壽拜脱膝。
  十年彫謝,白髮催衰疾。瞻前惟兄三、顧後子由一。
  近者隔濤江、遠者天一壁。今朝復何幸、見此萬里姪。
  憶汝總角時、啼笑為梨栗。今來能慷慨、志氣堅鐵石。
  諸孫行復爾、世事何時畢。詩成卻超然、老涙不成滴。


吉祥寺のシーンが心に沁みるとすれば、それは自宅感覚とは正反対だからではないか。一陽来復ということで、寒い部屋で家族囲んで愉し気に話をしながら、体が温まる煮込みを皆で食す情景描写では平々凡々過ぎるではないか。
その点で、冬至夜の旅情というモチーフは優れている。上記の白楽天の旅先の想いとは全く異なるのだ。

    「冬至夜發峽州舟中作」  范成大[1126-1193]
  舟中萬里行、燈下一陽生。不減在家好、都忘爲旅情。
  霜乾風愈勁、雲淡月微明。况有詩兼酒、樽前莫問更。


都会から離れれば、冬至の想いは増幅されるもの。冬至のお祝い風習を大切にする人々とおつきあいできる嬉しさがこみあげてくる詩もなかなかの情緒感。そこに、命の息吹あり。

    「四時田園雜興六十首 其六十」  范成大
  村巷冬年見俗情、鄰翁講禮拜柴荊。
  長衫布縷如霜雪、云是家機自織成。


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