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「我的漢語」
2018年6月20日

糸部

糸偏の文字は沢山あり、整理したりすると豆単語集になってしまいそう。その割には、抽象化した概念は少なく、即物的な意味が多いようだ。
桑と蚕、糸・絲と帛は甲骨文字の定番的文字だが、呪術的な用語には糸偏文字はほとんど用いられていないようである。
せいぜいのところ絹糸の作り方を教えた神人を意味する文字ぐらいのもの。
[女+累] るい
 黄帝居軒轅之丘,而娶於西陵之女,是爲祖。
   [司馬遷:「史記」本紀卷一 五帝本紀第一]
 祖首創種桑養蚕之法,抽絲編絹之術,諫諍黄帝,旨定農桑,法制衣裳,
   ["祖聖地"碑文]
 尚、蠶女伝説そのものは干寶:「搜神記」巻十四に記載されている。
  帝高辛氏時,
  蜀中某女之父遠征,女兒因為思念父親,就對家中一匹白色牡馬兒戲言・・・
  ・・・從此郷親們便將此蟲叫作「蠶」,此樹叫作「桑」。


それに、糸という文字は"糸の把"の象形であり、一本の"糸"を意味していないのが面白い。本来的には糸は可算ではなく、あくまでも集合体なのだろうか。
糸=絲 いと…撚り糸の把
幺 ヨウ…細い撚り糸の把
【糸束集積姿】
[+充(肥満)] すべて…糸束をこんもりまとめた。
総=總[+(房)] すべて…糸束を房状にまとめた。

糸とは、衣類用の布材の原材料ということのようだが、麻等の植物繊維の方が古い訳で、そちらは本来的には糸とは呼ばないようだ。(綿は歴史的に新しいから、糸という漢字の概念にはかかわっていない。)
糸とは、あくまでも絹糸。
【原体】
[+(孑子:ぼうふら)] きぬ
  蚕[天+虫] かいこ…虫
  繭[桑+糸+蚕] まゆ
  [+桑] まゆ
綿[+帛]=緜 わた…繊維
  棉[木+帛] わた…植物
絹糸採取は蜀[四川盆地]で始まったとされ、そこには縦目王。それを彷彿させる漢字がある。
顕=[+頁] あらわれる…日中に目の人現れ糸を見る。

もっとも、絹でなくとも、糸として扱われるが。
【糸製品一般名】
[+丑(捻る)] ひも
 [+條] さなだ…打紐
縄=繩[+黽(蝿)] なわ
[+罔] あみ
[+岡(罔+山)] つな
[+氏] かみ…糸を平面に広げ伸ばした物
【特定用途品名】
[+玄] ゲン…弦
[+受] ジュ…官職印組紐
[+] ぜにさし…穴銭刺縄
[+扁] あみ…竹簡(篇:書物)綴じ糸
[+勺] ヤク…縄に縛り付けた糸文字
[+且(供物載台] くみ
[+嬰] エイ…首飾りの糸

繭を煮沸して糸を取る方法が開発される前は、繭糸は清水に浸漬後採取していたと思わる。白色光沢が最上級だが、上手く被覆が取れず光沢が出ない場合は染色した筈で、古くから行われていたと見てよいだろう。
【染色】
[亠+幺] はるか, くろ
 幻[幺+𠃌] まぼろし
 率[玄++八+十] ひきいる…絞り脱水
 畜[玄+田] チク…染め田に糸束を浸漬
[山(炎)+𢆶] かすか…糸把を燻べて黒色化
[+糸] もと…染色液に浸からない部分

"色彩"とは絹糸の染色後の状態を指す純視覚的概念と考えるべきかも。赤や青は、カラーではなく環境状態を感覚的に示す用語で、視覚だけではなさそう。両者は次元が違う。○○色という表現は、両者の折衷的表現ではないか。
【色彩】
[+工] くれない
[+非] あけ
[+甘] コン
[此+糸] むらさき
[+] みどり
糸の色という概念とは全くかけ離れているが、現代用語的には関連場面で登場しそうな語彙を参考にあげておこう。
(暈)繝 ウンゲン…淡色から濃色へと同系統の色を並べる技法。
[+] くろ…色ではなく、黒衣。
絵=繪[+會] …五色糸刺繍。
尚、"エ"は呉音であり、"絵"に訓は無い。

さて、肝心の糸を造る工程に係る用語だが、よく用いられる漢字が並ぶ。もちろん、アナロジー的拡張概念。
【糸製造用語】
[+冬] おわり…糸締め末端を結ぶ。
[+吉(幸)] むすぶ…糸の結び目
 緒[+者] いとぐち…結ぶ箇所
[丿+糸] ケイ…手で糸を1〜2本を撚る。
 [𣪠+糸] かける…繋いでいく。
 係[+糸] かがる…繋いだ糸を引く。
[+交] しぼる…糸を捻じる。
 緊[+糸] はる…堅絞
[+(品+木)] くる
[+方(鋤)] つむぐ
[+責] つむぐ…糸を追加していく。
[+及] しな…短い糸を継ぎ足す。
ついでに、布の方も見ておこう。
縦糸・横糸と書きがちだが、玄人にはそのような用語は無いことがわかる。
【織物製造用語】
玉糸 たまいと
[+圭] しけいと
熨斗糸 のしいと
[+(目印)] おる…編模様布作成
 経[+]=經 たて
 緯[+韋] よこ
  線[+泉]
   縦[+従]…経糸を張った状態。
この工程で用いる道具は数々あり、説明されてもわかる訳でもないが、いくつかピックアップしておこう。
【製造用道具用語】
[+垂] つむ…紡錘。
[+忍] かせぎ
[+宗] すべる
この辺りの言葉は、原糸製造用語か、織作業に於ける布糸関連用語か、はたまた衣料の裁縫糸用語か、すぐには判別しかねるのでえらく厄介である。もともとは区別されていたと思うが、似た行為は同じ呼び方をしているからである。
【糸活用作業】
[+] たずねる…糸口を捜して見つける。
[+善] つくろう
[+逢] ぬう…衣用布を糸でつなげる。
[+] つづる…糸で連ねる。
[+各] からむ
[+隹] たもつ…糸で動かないように留める。
[+周] まとう
[+官] わがねる
[+咸] とじる…(紙を糸で)とじる
繋=[𣪠+糸] つながる
継=繼[+] つぐ
[+召] つぐ
[+甫+寸] しばる
続=續[+賣] つづく
累=[+糸] かさねる
【かつて糸関連作業用語だったか】
[+内] おさめる…決められた所に入れる。
[+己(糸巻)] のり…糸を代える。
[+合] たまう…足らずば出そう。
【刺繍】
繍=[+] ぬいとり
 綉[+秀] シュウ…錦&刺繍の衣類
衣装は、身分等の決まりも関係するし、意匠はアイデンティティに係るので様々な語彙が存在している。時代と地域で様々な考え方があった筈だが、それを推定するのは難しい。
もっとも、精緻に分類できたとしても、現代のセンスでしか眺めることができないので労力の割にはたいした価値は生まれまい。ということで、適当に並べてみた。
ちなみに、本来的には"布"は麻製で、粗雑な絹モノは""である。
【織目印象】
[+致] こまかい…微な織方
[+田] こまかい…微な織目
繊=繊[+] ほそい
[+屯] (きよい)
【衣類用織物名】
  (平織絹布)
[+兼] かとりぎぬ …固い平織絹布
[+] あしぎぬ …粗製太細混平織絹布
[+由] つむぎ…太糸平織絹布
  [+弟] テイ…紬系
 絣[+] かすり
 縞[+高(大楼門)] しま(縞馬)
[+宿][+面] ちりめん
  (絡み布)
[+] もじり…搦みあう織り
 羅[网+維] 
 紗[+少] うすぎぬ
  絽[+呂] 
  [𣪊+糸] こめおり…公家絹織物(米粒状織目の紗)
  ("アヤ")
[+文] モン
[+] あや…斜文織
 綜[+宗][+光] そうこう
 緞[+段] ドンす
 綸[+侖] リンず
[+需] シュす
  (生糸 v.s. 練絹)
[+丸] しろぎぬ…白練絹(貴公子袴用)
  (特製)
[+帛] にしき…種々の色糸模様
 絢[+旬] ケン…色糸模様
[+奇(傑出した人)] "かんばた"…極上質浮紋織平織絹布
[+戎] ジュウ…細かくふっくらした織物(厚手毛織物)
[+申] おおおび…礼服用長帯

なんということもない表現ばかりかと思うと、そうでもない。
この辺りのセンスはいかにも大陸的である。
【アナ恐ろしき】
[+分] まぎれる…糸束が刀で真っ二つでもつれる。
[+云] みだれる…"紛紛紜紜"
[+益] くびる…首をしめる。
[県+系]=県 ケン(あがた)…木に紐(系)で首を逆吊り[白川静説]
 懸[縣+心] かける
日本人好みはこちら。
【目には見えぬ糸】
[++𧰨] えん
[+半(攀)] きずな
[+世] ほだし
恋=戀[+心] こいしい
旧字はなんとお洒落なことよ。

(参照) 鄭瑾,重松正矩;「シルクと古漢字」日本シルク学会誌6, 1997

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