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「我的漢語」
2018年6月26日

"我"考

"我"とは、自分を意味する言葉"わ(れ)"の漢字。この用法、最近は、デカルトの懐疑論で語られている「我思う、故に我あり」位しか見なくなってきたような気がする。ところが、複数形の"我々"になると、矢鱈に多用されていたりとアンバランス。
一寸、眺めておこう。

この文字、えらく大陸的なデザインである。
[戈(長い柄のついた武器)+𠂌(鋸状の刃)] 
"敵対する輩は、命が惜しいなら去れ"という表現以外に考えられぬ不気味な文字である。
(【注意】鋸は和式引型大工道具の名称。大陸は押型で、音器と同じく鑼と呼ばれる。生贄切断用具の名称はわからなかった。)


一方、夏目漱石:「吾輩は猫である」でしか使わなくなりつつある"吾"も同じく"われ"として使う。
白川静流の両者の違いの解説からすれば、"我"は主格。
《梵語》ātman(語源:呼吸)の翻訳語になったのは、そこらの概念からか。
一方、"吾"は吾輩と書く様に所有格的表現だと。
しかし、主語として使われている文章が多いので、素人には実にわかりずらいが、鋭い指摘とも言えそう。

要するに、「"我"が考えるに」と言い出すと人や、"我"が先に立って行動を起こす様なお方は、リーダー的素質がある自由人ということなのだろう。
一般にはそのような人は少なく、世間に合わせて生きていくのがせいぜいなところ。つまり、庶民にとっては、そのような意味での主格表現は本来的には不要と言えよう。
とは言え本人的にはすくなからず自意識はあるし、文章表現的には私を意味する主語は不可欠。従って、その場合に用いる言葉がある訳で、それが"吾"なのだろう。
このことは、"吾"という言葉には、他人のことを考え、自分の想いを内側に秘め、自己主張を抑えて接する優しさを感じさせる効果があると言うことかも。
[五(占術用算木5本形の蓋)+口(祈祷器)] 
   …器に入れた誓約文のための特別祈祷か。

そう考えてしまうのは、"我"は"われ"と読み、"吾"はより親しみやすい昔の音でもある"あ"とする昨今の風潮を感じるからでもある。
吾乎待跡 君之沾計武 足日木能 山之四附二 成益物乎
"あ"を待つと 君が濡れけむ あしひきの
  山のしづくに ならましものを

   石川郎女[「萬葉集」第二巻#108

さて、その"我"がどのようなイメージの文字なのかをザッと眺めてみよう。・・・
[人] …我に返る人
[口] …感嘆詞(半信半疑 or 成程)
[食] …長柄戈に鋸状刃の武器の様にアバラ骨状態の痩身
     (飢(骸骨)や饑(無)とは異なる。)
[虫] …自己主張強き翅虫
[山] …険しいが歴然としている山
[草] …紫ウコン(Zedoary 紫鬱金) 花は長持ち
著莪[草] …シャガ(Iris japonica 射干) 花言葉は反抗
(嫦)娥[女] …月神になった自律心ある仙女
[鳥] or[鳥] …ガチョウ(Goose 家雁) ガァガァ鳴き自己主張し五月蠅い

この文字はいかにも武装集団でもあった遊牧民的なコンセプトであり、当然ながら、羊系の用語に発展している。
[𦍌+我] …羊を捧げる作法
"義"が部族のなかでの一人前たる要件ということか。

派生した文字群からそんなイメージが湧いたにすぎぬが。
[人] …祭祀行動模範
[牛] …供犠(犠牲)
[言] …模範内容の言語化
[虫] …アリ 社会性虫
[石] …岩の形状 ⇒琴や琵琶の身の側面名称
     (磯とは異なる。)
[船] …装備を整える
[木] …艤用木材

尚、上記の犠は本来は犧とされている。形から見て、義[𦍌+戈+𠂌]と羲[𦍌+禾+戈+]が同等とも思えないが、白川静は羊の後ろ足が垂れている象形が禾の部分と見なしている。素人的には、祭祀の仕方が2種類あったということで、羊を屠る道具としての"我"に装飾をつけるたと考えた方がしっくりくるが。(戈部の漢字には我の方しか無いようだ。羲の古代の用例も少ないようで、太陽の御者"羲和"(派生語:)や、天文担当4兄弟に属す羲仲,羲叔といった伝説人物の名称しか見当たらない。)

もう1つの"われ"を見ておこう。
秦の始皇帝以来、天子の自称は"朕"。「説明解字」で"我"とされているから、すでに一人称という概念が定着していたようだ。
それにしても、始皇帝は、何故に"我"が気にくわなかったのだろうか。
[=月+]

この文字、もともとは"𦩎"で、部位が変化して今の形になったという。
 舟⇒月
 [=火+廾(手で持ち上げ)]

ただ、古い文字には火が欠けており竿のみ。そうなると、素人的にはこの変遷はしっくりくる。
倭でもそうだったようだが、貴人たる天子の居る場所には、必ず従者が傘をさしていた。顔を直接見てはならぬというMana(目)信仰から来ているのだと思うが、古代の慣習である。
つまり、"𦩎"とは、王が船上で戦争の指揮をとっていたシーンを示す文字ということ。帝国の舵取りを任じた文字でもある。その天子も陸に上がれば、指揮は狼煙が主流となり、勝利祈願のために祭祀者として敵人を屠る役割が最重要になってくる訳だ。
(尚、平川静見立てでは、朕は"贈り物を器に入れて両手でさし上げる"形象。)

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