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「我的漢語」
2018年6月28日

祭祀器"サイ"について

👄部首の"口"は、普通は"クチ(Mouth)"。国構の"囗"と形状は似ているものの、漢字常用者なら両者の区別はすぐにできる。
片仮名の"ロ"は"呂"の省略形だが、Mouthが繋がるからKissのことかと思ってしまうが、そうでは無いようだ。この文字は塊状物繋がっている様子との解説が多い。そうなると、脊椎骨、青銅インゴット、あるいは木琴型楽器等を指すことになりそうだが、ブツ切刺身にも映るから、色々なモノが想定でき確定は難しそう。
誰でもが、そんなところと考えていたのだと思うが、白川静が甲骨文字の検討から、画期的な象形説を打ち出したのである。
祭祀器(神との誓約保管用)の"サイ"()だと。

小生も白川説を正しいと考えるが、論理的には極めて根拠薄弱な説と言わざるを得ない。もともと、甲骨文字とは祭祀者が用いる卜占用だから、そこに記載した"クチ(Mouth)"が生物的機能の概念から一歩進んでいてもおかしくはないからだ。

そのように考えるポイントは3つ。

●"口(Mouth)"という文字は人体名称の基本語彙でもある。
目、耳、鼻、と同様にその概念は明瞭で代替文字は使用されていない。しかも"舌"という文字もあり、それは"千+口(Mouth)"であると考えるのが自然だし。
そうなると、"サイ()"と"クチ(Mouth)"の2つの文字をどのように区別するか明瞭に示す必要があろう。勿論、それ以外の出自の"口"についても。
ところが、この辺りの解説が脆弱。つまり仕訳は情緒的に行うしかない。その見方は、正しいかもしれないし、間違いかも知れないということしか言えない。

●言うまでもないが、人体の"クチ(Mouth)"についての概念は説明の要無し。一方、"サイ()"の方はそうはいくまい。説明自体はよくわかるが、その物的証拠が示されていないからだ。しかも、祭祀器に言葉をどのように入れるのか定かではない。それが、モノならば容器内に何らかの表現がある筈だから、声なのだろうか。
ともあれ、具体的にどのような祭祀器として存在していたのかが不透明。少なくとも実存していた容器なら、その姿を示してくれてもよさそうに思う。そのような容器が無いとすれば、象形では無いことになろう。従って、少なくとも、そのような容器の存在を示唆する出典位は記載して欲しいところ。
👐その辺が気になるのは、右と左という文字の"口()"と"エ"はそれぞれ祭祀器と呪器との見立てが鮮やかなせいもある。ところが、両者ともに、具体的にどのような出土品の類縁かが明らかにされていない。
(素人的には、"工"は工具としての定規"指矩"としか思えない。しかし、そうなると"ぶん回し/コンパス(規)"と対でないと。)

●そんなことを考えると、小生は、『説文解字』の口部に於ける記述は「間違い」との指摘は誤解を与えかねないと思う。口という形状の部首についての記載は必ずしも1つにまとまっているようにも思えないからでもあるが、ここには本質的な問題があると見るからだ。・・・
白川静があげた状況証拠からすれば、甲骨文字に関する情報不足からの「間違い」ではなかろう。儒教的世界観を徹底するがために「恣意的に解釈」したと言うべき。

中華帝国では、日本国における辞書の役割とは違い、帝国基盤を作り上げるための書なのだ。それは、「史書」以上に重要な役割を担っている。
と言うのは、中華帝国の存在基盤は人種や言語、社会規範の同一性から生まれる「民族」ではないから。「漢民族」とは作られた幻想にすぎない。その本質は一元管理された「漢字」の使用と血族第一主義の宗教「儒教」。(それに気付いたのはおそらく毛沢東。ただ、批孔はピント外れ。両者の目指すところはほとんど同じだからだ。孔子は、「漢字」の変質化は残念と思っていたようだが、中華帝国樹立のためには止むを得ない流れと考えたようである。スターリンのキリル文字化政策成功を見て、毛沢東は世界支配のためには中国語のアルファベット記載化不可欠と見ていたようだが。)

上記3点は互いに関連しており、だからこそ、口とは"サイ()"であるとの指摘は極めて価値が高いということ。

なかでも、情緒的な仕訳で済ましている点が圧巻。"サイ()"の実在性をはっきりと示していないのである。象形文字とは、普通は実在するモノの姿を見て、文字がその表象であるのに気付く訳だが、そのようなプロセスではこの文字は読めないと喝破していると言ってよい。

実在物を示していないからこそ、実在性を確信してしまうというトンデモナイ仕掛けなのだ。

こんな論理が一般的に通ることなど無かろうが、成り立つ例外アリ。・・・
雑種倭人を民族の祖先と考える日本人にはすぐにピンとくるというのだ。それが、白川静論の肝。

つまり、"日本は文化の吹き溜まり"の国であり、そこでの漢字の扱いを見れば、"消されてしまった"古代中国文化が見えてくるというのである。

つまり、中華帝国では、殷とそれ以前の文化に属する"サイ()"信仰の痕跡は消し去られており、周時代以後の中華帝国文化をいくら探したところで全く見つからない。卜占業者たる儒教勢力にとっては、"サイ()"信仰は不倶戴天の敵だから徹底している。儒者はアニミズムを嫌うかのような姿勢を見せているが、それは『山海經』に取り上げられるような鬼神の話ではなく、"サイ()"信仰のことなのだ。言うまでもないが、消し去ったことを示唆するような話はタブー化されたから、どこをほじくっても何も残ってはいまい。

ところが、"文化の吹き溜まり"たる日本にはそれが通用しない。そこは"サイ()"信仰の残滓が色濃い社会。儒教がいくら隠そうとしても、日本人にはお見通し。
言い換えれば、日本文化を眺めることで、初めて中国古代文化が見えてくるということ。

つまり、殷時代の祭祀者が支配する社会規範と、海人たる当時の倭人は共通文化基盤を有していた訳だ。大胆な推定をすれば、殷の出自は船山列島辺りの可能性もあろう。
古事記からすれば、この海人地域には信仰対象である超巨大な高木があった筈。
おそらく、その人々こそ、亀甲に刻んだ元初象形"漢字"の生みの母。そこらの話は別途。

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