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「我的漢語」
2018年6月29日

"文"字について

"文"は、正面を向いて 胸を大きくひらいた人体の象形文字と言われている。常識的には間違いなさそう。
しかし、この"人"💃という概念が、世間一般に言うところのヒトと見なしてよいのかはなんとも。文身海人の超人的勇者の姿を彷彿させる文字のような気もするからだ。

そう感じさせるのは、古代文字では、この胸の真ん中の空白部分に、シンボルマークが入っているから。
  甲骨文字・・・×印
  金文・・・心臓形💗 or V印
このことは、"文字[宀+子]”という言葉から考えると、漢字の起源が文身の×印やV印の可能性もありそう。

但し、それを表立って言わないように、との不文律が存在しているかも。
例えば、台北の故宮博物館展示品の西周期の鼎の内側には、"文"文字が見て取れる。しかし、その上部は現代の"亠"ではなく、僅かとはいえ点が胸中に入り込んでいる。にもかかわらず、同一文字と見なされている。その後、このタイプの文字も消滅し統一されていく訳だ。

但し、白川静は、こうしたシンボルは死霊の憑依を防ぐ呪飾とみなしている。つまり、こういうことになる。・・・
 文…葬礼済
 [文(入墨)+厂(額)+生(赤ん坊)]⇒産…誕生入墨儀礼済
  薩
 [文+厂+彡(美…生子儀礼しい紋)]⇒彦…成人入墨儀礼済
  偐[人]
  [頁]⇒顔
  諺[言]
  𪻾[王]
こうした流れは、"文字とは、文身の人々の信仰の核"との歴史認識を葬り去りたい勢力が恣意的に進めて来た標準化と見なすこともできよう。

「学」という文字を眺めると、その辺りの事情が見えてくる。

學とは違うが、似たような概念ではないかと思われる、見慣れない文字がかつては存在するからだ。
 斈[文+子] まなぶ
文身の超能力的リーダーが、幼い子供達を育成する場所を示す文字のような気がしてくる。つまり学舎である。
ところが、学舎を表す文字は、斈ではなく、學であるべしとなるのである。易の卦を生業とする勢力が管掌する場所に代えられたのだ。学舎を表す唯一正統な文字が、政治的に決定されたと言うことになろう。斈の異体字として、全く構造が異なる學/学が認定されたのである。
 学[𦥯]=學[𦥑(両手で引き上げる)+爻(易の卦)+冖(場)+子]
このことは、儒教が、中華帝国支配層の唯一の宗教と認定されたことを意味する。その流れは、周代から始まり、共産党政権の現代まで、極めて短い期間の例外を除けば、ずっと継続していると言ってよかろう。

ともあれ、儒教勢力にとっては、"文"が入墨を意味するとの指摘はなんとしても葬り去らねばならなかった。入れ墨は唾棄すべき習俗とした理由はここらにあると言ってもよいかも。
(鯨面を誇示していた倭人も中華帝国との交流のため、止む無く入墨を控えるようになったようだ。)

ただ、入墨民文化は排除されても、言霊の世界で通用していた"文字"だけは儒教型統治のコミュニケーションの道具としてそのまま利用されることに。
そのため、原初の漢字の歴史を創作せざるを得なくなったのである。・・・
文字の原初はあくまでも"一"。実に分かり易い理屈である。そして、昔の"文"を持ち出す輩はすべてパージされたのである。

白川静が、そのような"王"のデッチアゲ理論の実態を暴露し尽くしたと言ってもよかろう。とはいえ、実世界は、そのような見方を流布させたくない人だらけだから、屁理屈が登場してそのうち抹消されるかも知れぬが。

儒教の形而上学では、天と地の間のに人がおり、それの表象化文字が"☰[=⚊x3]"で、この3者を"|"で統合する役割を役割を担うのが中華帝国の"王"という文字と解釈される訳だ。
故宮博物館展示の西周の鼎に記載されている王という文字がそのような形態ではないのは歴然としているにもかかわらず、この理屈は未だに強固そのもののようだ。
甲骨文字からすれば、誰が見たところで、王権の象徴の戉[=鉞](殷時代後期に多い長柄付広口刃大形の青銅製斧)の象形そのものだというのに。
どうも倭人は、国王という概念が合わなかったのか、この文字は好まなかったようだ。ここらが、中華帝国的大陸文化との違いとも言えそう。

そうそう、"上"や"下"という文字にしても、"一"発祥の形而上的概念の"⊥"や"Т"ではなく、掌の上や下という状況を示した象形文字に近いことも白川は指摘している。神に呼びかける身振り言語的概念の文字化と言えよう。

常識で考えればわかるが、始原の文字は神との交流のためにあった。そんな重要かつ神聖なモノを、ヒトとヒトの意思疎通のために用いるためには、精神的にかなりの飛躍が必要な筈である。
倭人がコミュニケーションの道具としての漢字利用に踏み切る決断をするまでに、かなりの年月がかかって当然と言えよう。

おそらく、倭国での国内活用は交易用単語からだと思われるが、それが音符として活用され、漢字に意味があるということで、ゴチャゴチャ化したのだと思われる。この雑炊的共存こそが雑種民族の日本"文"化の特徴だと思われる。

そうそう、文は原則的には"ふみ"であり、文字を示す言葉として使われるのが、"あや"とも読むことが多い。日本人の古層に、美しい紋様を表す言葉として大事にしておこうとの心根があったのだとおもわれる。美しく飾った紋様を指す言葉であるが、本来的には刺青美学用語だろう。
 𣁝⇒彩[(爪)+木+彡]
 紋[糸]
  (紊[糸] みだれる)
 斐[非]
  斐紙=雁皮紙
  "君子豹變,其文斐也。"[「易経」革]
美しい紋様という点では、以下の文字にも同じような美学が存在しているが、刺青美学とは全く異なる感覚ではないか。
 [+[+]]…織柄
 …水中の藻様(言葉遊びの可能性もあろう。)
 [虎+彡] ヒョウ…毛皮豹柄
刺青美学は玉にも及んでいる。
 斑[(一対の玉)] まだら
  [王][石]…玉ではないが模様が美しい石
  [] そばかす…病垂だから愛すべき特徴か
もちろん自然観にも表れる。
 [雨]…美しい空模様
 [艸]…葦や芒が生える創世記的状況を思い起こさせる草
これは中華的な耳目を引くという美しさではなく、穏やかで深みのある美しさと考えてよさそう。
そんな感覚が溢れていそうな文字を引いておこう。もちろん、勝手な意味付けである。
 サ [心]…専心の意気
 [火]…もの静かに燃える
 旻[日]…穏やかな日和
 [手]…柔らかく手で拭う

入墨文化を否定されたが、その心根は文字に残っていると言えるのかも。
 [土]…超人たる古代人の墳墓
 閔[門] あわれむ…弔門
  憫[(心)]…"憐憫"
 吝[口] おしむ
 虔[虍] つつしむ
 斌[武] うるわしい…文武両道の原初的文字
  贇…その上、財貨までもあり
 [] はう…遠来の客人挨拶
 [耳] ひとしい…人々の力を整える力があったか

ただ、略字化に伴い生まれた"文"を持つ文字や、支配層による意味の変更もあったろうから、この感覚にのらない文字もあろうし、そうした仕訳は難しそう。
<疑問あり>
 [人]=信 まかせる…儒教勢力は儒者と読ませた筈
 [凵]=凶…吉の逆
 [刀]=劉 ころす
 対[寸]=對,𡭊 むかう
 
  サ[(心)]
  
  悋 ねたむ
<斉系> (-斉-齊に於ける"文"はヒト象形ではないようだ。)
 斉=斎[斉+示][而] つつしむ
  剤,緕,済
<文のみ>
 𪯢[文x2]
   𣁤[春]
 𣁕[文x3]
<他>
 𪯡[中]
 [米]
 [見]
 [良]
 𣁑[住]
 𣁎[言]
 𪯧 [金]
 𪞙[冫]
 𪢨[囗]
 𥫾[竹]
 𪫋[彳]
 𦐑 𦐐[羽]
 [石]
 [闌] ラン
 [扁] ハン
 [辛x2] ハン
 [] 
<地名>
 [山]山@四川
 []水@山東

<虫>
昆虫の場合は、呼び名の形声と言うよりは、羽音擬音と考えるべきだろう。但し、まるっきり意味が無い訳ではないと思う。
 =蚊[虫] …羽音(蚊吟)
 金…中形黄金虫のカナブン
 蠳蛒…巻貝(牡蠣食害で有名)
 =鍾…缶容量の単位(六斛四斗) 虫食の名残か

<鳥>
文鳥よく懐くペットだが、この名称はおそらく新しい。"文"という鳴き声もなさそうであり、神話[「山海経」]の世界の鳥と見てよさそう。
 …大荒元丹之山,有五色鳥,人面有髮,名
 

<魚>
青文魚は金魚の種で知られるが、胸鰭に黒帯が入っている飛魚の通俗名が文魚らしい。
  𩵳
 …ウツボだろうか。
 𩻏
 略字化 ()

<家畜等>
斑体色の動物ということか。羊では余りみかけないが。
 𣁄[牛]
 馼[馬]…縞馬か
 𦍢 𦍡[羊]
 𤝋[犬/]
 𪊙[鹿]…生物種でなく毛皮紋様を指すと思われる
 [鼠]…斑の種はハムスターでは多いが

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