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「我的漢語」
2018年7月3日

"徳"字解剖

"徳(日)/(中,台)"の所属は言うまでもなく"彳"部。
  升也。[「設問解字」]
一方、その古字"悳"は偏が無く旁だけなので"心"部となる。
  外得於人,内得於己也。从直从心[「設問解字」]
分岐分類ではなく、検索分類でしかないことがよくわかる。

両者の字体を考えると、こんな流れが想定される。
 /[直+心]𢛳[彳+𢛳]⇒徳[彳+十++心]

日本語の"徳"は、中国語の""から一本抜いて簡略化したと解釈した訳だが、日本語の方がより本義に近い可能性がある。

そう思ったのは、古字"悳"における"直"の分解から。
 直[𠃊+十+目]…不曲折
文字の形から見れば、この分解以外に考えられぬと思ったが、白川静説では、そうならない。いかにも強引な感じ。
 直[+省]

この"省"だが、上部は"生⇒少"なのである。"目"から"生"が出ている訳だ。まさに、古代のマナイズムそのものの文字といえよう。
(日本語の目は"まなこ"であり、マナイズムを引きずっていると見て間違いない。)
そこでピンときた。
似た文字に"自"があるが、それとは意味が全く違うことは自明であり、そのことを提起したかったのではあるまいか。"十+目"で眺めてはアカン、と。
 𥃭[十+目]…"自"(鼻)系の文字

こちらは、自分を指す文字である"自"。鼻に指をあてたようなデザインであって、目に見えても鼻の上部。

ややっこしいのである。

文字表現では確かに𥃭だが、それとは違うのである。
○○部ということで一括りになっていれば、辞書的検索には便利だが、それは文字の仕訳にはなっていない。白川静は、そのゴチャ混ぜのなかから、文字の歴史が見て取れる単系統を指摘することに注力してきたとも言えよう。
その手法は強引であり、素人には納得感が薄い場合もあるとはいえ、儒教的見方で整理された分類によっている限りなにがなんだかわっぱりわからぬ訳で、メスを振るってくれたのである。そのおかげでかなりのことが分かってきた訳だ。

例えば、"徳"に含まれる「横目」にしても、その部首の出自は多様であり、互いに連関などない。
 
  目…縦目⇒横目
  四
  网
  /

検索用ということで強引にまとめられたのである。官僚的標準化と言い換えてもよかろう。
当然ながら、後付的に、部首グループ毎にアイデンティティを感じさせるような意味付けがなされることになる。儒教勢力にとっては大歓迎の動きである。儒教と宗旨が異なる出自の文字の由来を、人々の脳裏から消し去り、儒教的観念のイメージを被せることができるからである。

その典型例が"徳"。
この文字の出自と歴史に関心を持つ必要はなく、ただただ、儒教のコンセプトの文字として崇めよということになる。

小生は、"徳"のある人とはこういうことと見る。
●品性的には、・・・
  サ⇒[心+産]…文人の心根
●その利は、・・・
  得[彳+[貝+寸(手)]]…交流で財貨獲得
●本義は、・・・
  直/[𢤊+十+目]…不曲折(マナイズム)

想像するに、初めは、あくまでもサ。
おそらく海人の入墨文字ははやばやと消された。
 サ[文+心][亠+日+心]
それでは意味がわからぬ訳で、文人本来のマナイズムに戻ったのでは。
 [直+心]
海人の視線には超能力がある訳で、世の中なんでもお見通しというマナイズムの世だったことになる。
目の周囲に刺青を入れるのは当然の生業だったに違いない。
しかし、殷(商)代に近付くと、その慣習からの脱却が始まり、この文字も捨てられることになる。と言っても、適当なデザインもなかなか見つからなかっただろう。
 𢠀[𠃊+商+心]𢜖[𠃊+(同/回)+心]𢤊[適+心]
そのうち、殷の文化を消す必要がでてきたのである。そうなると、これらはいかにもおさまりが悪い。
一案は、新しい文字だ。儒教的にはこれがお勧めだった可能性が高いが全く定着せず。
 [有+心]
原点回帰しかない訳だが、マナイズムが見えてしまう"直"ではこまるのである。そこで、ごちゃまぜ分類にした横目がベストとなったのであろう。
 [𠃊++心]
さらに、ご太宗にも、"彳"をつけ、「歩いていく」という意味の系列文字化。
 行[彳+]…十字路(四通大道)
   術 街 衙
そしてできあがった。・・・
 コ
色はいかようにもつけられる文字になってしまったのである。

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