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「我的漢語」
2018年7月4日

""の話

文字の成り立ちを、杓子定規的に部首分類に拘って整理するのは避けた方がよいと思う。

その例として、部首"なめしがわ(韋)"をとりあげてみたい。ちなみに、親類は、"けがわ(皮)"、"つくりかわ(革)"である。

白川静の指摘が正しいかは別として、この部首に属す文字を1つのグループとしてくくって眺めるのはよした方がよさそう。
どう見ても単系統ではない。

しかし、グループ化したいなら理屈は簡単。"韋"が音符として使われている形声文字はココ以外に適当な場所は無いとすればよい。
これでは、文字の起源について一歩も進めない。否、進ませないための方策ではないかと思ってしまうほど。
漢字は出自からしてアルファベットとは違うのである。話言葉を文字にしようとして生まれた文字ではない。だからこそ、"漢民族"という概念が成り立つのだ。

前置きが長くなるのも、ナンなので、部首"なめしがわ(韋)"の話にもどろう。

常識的に考えれば、動物の生身の皮膚が"皮"だが、この文字は獣の皮を手(又)で引き剥がした形象だから、製品としての"皮"を指す。
従って、虎や熊のように毛が残ったままのモノは"皮"の分類であろう。
さらに手を加えて、脱毛脱脂後に乾燥させたHardモノは"革"だ。鞣したSoftモノが"韋"となる。
現代では"韋"というカテゴリーは消滅しており、しかもHardモノに見えても鞣してある商品だから、この辺りの差違はわかりにくい。マ、染めた絵柄モノは"韋"と考えるべきだろう。
この辺りを簡単に触れておこう。

皮を腐敗させないためには乾燥は不可欠だが、そのままだとバリバリの堅い板になってしまい加工などとてもできない。鞣し工程は不可欠で、現代はクロムを用いるので簡単になったが、植物タンニンを用いると極めて手間がかかる。(植物タンニン使用と記載されている商品は風合いを楽しむためのもので、クロム鞣し材からクロムを抜いてから加工したもの。それでも大変な作業。)
その前工程も、脱毛脱脂の労力は並大抵のものではなくまさに"疲"れる作業そのものと言ってよかろう。
布の発明以前は、藁や毛皮が衣服だったと思われるが、蛋白脂肪を十分取り去って洗った毛皮は、鞣しの技術が生まれるまでは衣類になるようなものではなかった。
偉人という言葉があるが、"なめしがわ(韋)"をもたらした人々が尊敬されて当たり前。
 偉[人]
情緒的に見れば、その類縁文字はこんなところか。
 [是][心]…「良し!」
 [風]…色々な方向から吹く御大層な風

ちなみに、"韓"の"韋"は、この素晴らしき先人を称えるための表現ではない。 西周代武王の子を祖とする、姫姓韓氏都市国家の名前だからだ。[@河南北部〜山西南部:B.C.1122-B.C.756年]
場所からみて、多分、この地域の鹿の鞣した革の品質が抜群だったからつけられた名称である。もちろん、特産品だから国名になったという訳でなく、戦争に於けるシンボルになったに過ぎない。原字は旗部()と同じ。
 𩏑[+𠂉]⇒韓[]
   [艸+日]+𠂉+人=(軍旗)
     は乾(偃游)の部首
      旗の部首"[方+人][方+𠂉]"と同類

もちろん、"なめしがわ(韋)"は旗だけではなく、大型の布にも使われた。
 幃[巾]𠥎[匚]=帷

辞典を見ればすぐにわかるが、"革"のデリバティブ文字は極めて多い。製作者、工具、工程、製品の名称だからだ。古代のことだから、わからなくなっているものも多く、説明されてもピンとこない製品だらけだが、知られている文字もかなり残っている。
"革"と"韋"は区別しているのだから、当然ながら同等な文字がそれぞれにあってしかるべきだし、鞣しでないと使えない製品もあるから、かなりの数の文字があったと思われる。だが、ほとんどが使われなくなってしまい、両者の区別もなされなくなってしまったから、ほとんどは死語化の憂き目。

ただ、繰り返すが、古代、"なめしがわ"は様々な用途に使われており、極めて重要な品だったのは間違いなく、由緒正しき文字群と言ってよいだろう。
と言うことで、並べておこう。
<鞣⇔革系の文字>
 [革]𩋾
 𩎘[包]=鞄 かばん
 [刃]=靱 うつぼ(矢を入れる道具)
 [𤰇](𩎬[各])=鞴 ふいご(吹皮)
 [軍]
 𩏅[爰]𩋫:
 𩎝[]𩊁
 𩎒[干]
 []
 𩎕[及]
 [占]
 [肖]
 𩎻[非]𩋂
 𫖓[卑]
 []=鞠
 []
 [蜀]
 [長]
 𩏂[卑]
 [𥁕]
 𩏆[宣]𩋢
 [段]𩋦
 𩏊[亟]
 𩏍[]
 [冓]
 𩌊[士+冖+一+殳]𩌥
 []
 [・]
 𩏨[雍]𩍓
 𩏪[]𩍜
 [蔑]
 [内]=靹
 𢾝[攵]𩉩
 [華]
 [畢]
 [専]𩌏
 𩏯[艸+専]𩍿
 𩏯[薄]𩍿
 𩏐[鬼]𩏡[貴]
 [蜀]
 𩏨[雍]𩍓
 [末]
上等ななめし皮しか使えない品も当然あった訳で。
 𩎓[犬]𩎧[伏]…車具
 [必]…弓具
 []…舞具

さて、その"韋"という文字だが、構造的にはこうなっている。
 韋[𫝀+口+]
普通に考えれば、ここでの"囗"とはピットや台。
毛皮は先ずは水に浸して十分な前処理をしてから、タンニン液に浸ける。その後に引っ張り伸ばし作業を経て、台に載せて叩いたりロール状器具で柔らかくすることになるからだ。
ピットあるいは台の周囲をグルグル回る作業だらけである。
その象徴的行為を文字化したと考えるべきだろう。

言うまでもないが、そんなことを思いついたのではなく、至るところで"韋"の成り立ちの説明を見かけるからだ。
と言うのは、誰が見ても"囗"の周囲4方に辺に沿って並行な趾形が付いている古代文字があるからだ。その後、4方ではなく、上下だけになり、上下に左右逆の足跡らしき印が記載されるようになる。
これを見せられれば、城邑の警備状況を表す文字しかあるまい、となろう。
さらに、"韋"+"囗"となれば、そりゃ城邑を囲んで攻めているシーンだとしか思えまい。
だが、おそらく"韋"の発祥は、都市国家樹立以前である。"城邑系韋"からなめしがわ(韋)"が生まれた訳ではないと思う。
<城邑系>
[囗]=囲
[行]
[口]

尚、このイメージから以下の文字が生まれたとの説明も多い。"囗"の上下に描かれている足の進行方向が逆だからだ。
 違[]
織物についても、機織では経糸の間にヒ(杼)を進行方向を代えて通す方式なので、それを示す文字ができたとされている。
 緯[糸]

部首"なめしがわ(韋)"は植物名にも登場。ここでの"囗"は始めの主茎部分を指すと思われる。そこから地下茎で四方八方にに広がって繁茂する。そこは文字では"あし(足)"なら、葦原に棲む古代倭人にとってはしみじみとする文字だったと言えよう。
 葦[艸] あし

郭沫若は秦代に実名を忌んで口にしない風習が定着したと指摘したそうだが、それは皇帝に係る国諱の話だろう。実名を開示するのは結婚を約束する時という、古代日本の風習があった点から想像するに、その起源はもっと古いと考えた方がよいだろう。
それが何故に、部首"なめしがわ(韋)"と関係するのかはよくわからない。無理に想定すれば、名前の禁忌を破ることを示す文字ということになる。歌垣を経て、意中の人の周囲を回りプロポースするシーンと考えられないでもないから。
マ、素直に考えれば、"違"のアナロジーから、互いにぶつかることを避ける方法ということになろうか。
 諱[言] いみな

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