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「我的漢語」
2018年7月8日

舟月考

漢字は10万字以上あると目される。それだけ聞けば驚くが、それは歴史上使われた証拠が残る文字を累積しただけのこと。
ネットリソーシスを探ればわかるが、分断社会である中華帝国内で識字率を上げた瞬間、実際に使われる文字数は多くても7,000であり、実使用されるのは、日本の常用漢字の数とほとんど同じ筈。
つまり、現代の大陸での利用状況を眺めたりすれば、かえって古代の漢字文化がわからなくなりかねないので注意した方がよい。

そんな観点で部首"舟"を考えてみたい。

まず、最初に、"舟月"。

部首"月"は、単系統ではなく、少なくとも3種あり、そのこと自体ははっきりしている。
従って、どのように同定するか明確化されているように想ってしまうが、恣意的な解説が多いのが現実。
 ・ 三日月
 ・ 肉月
 ・_ 舟月
フォント表示上面倒だから差異が消えたと見なされているようだが、活版時代でも、同一文字の活字は必ずしも統一されていたとも言い難い。調べていないが、日本の漢和辞典ではおしなべて同じような説明がなされているらしいが、それに反する活字も見かける。上記の表示でも全く合致していない。・・・"月は右で接せず、肉は左右接する。舟は点2つ。"
3種あることは知られていたようだから、プロが間違う訳もなく、色々な考え方があったのだろう。

そもそも、"舟月"は"舟"が通用しているにもかかわらずわざわざ作られたのだ。為政者が意図的に、月との混淆を狙ったと言わざるを得まい。

それが一目瞭然なのはコレ。単なるコミュニケーションの道具としての文字なら、わざわざ月に代える必要などなかろう。
 膤[雪]=艝 そり
"そり"は意味的には"雪車"だが、車輪があるわけではないから、形状を考えると"橇(犬ぞり or 大型かんじき)"とか"輴"(スノーボード)が適当な表現では。しかし、それは余りに大衆的な表現で面白くないということだろう。高貴な人々が用いるのだから、それなりの文字にしたかったのではあるまいか。

当たり前に"人が身につける衣"として使われるにもかかわらず、訓読み無き文字も、同様に意図的に意味が被せられたと見てよかろう。
 服[𠬝(跪くヒト)] フク
  派生→ 箙 
𦨕が服の本字とされており[「説文解字」]車の右側の帝馬""を意味し、舟を旋らすということとのこと。そうなると、船の添え板ということになろう。
それが何故に衣になるかは想定しがたいものがあるが、縁起担ぎの当て字だったのだろう。それが余程気にいったということか。

ただ、このように舟では心情的に気分悪しと思われるタイプだけでなく、現実に舟といってもBoat概念とは無縁なので、そう見られては面白くないということで月にしたと思われる文字もある。
要するに、部首"舟"も単系統ではないのだ。

大まかに言えば2つの流れがあり、一緒にしてよいのか、それなりに考慮がはらわれた筈。
【東方の海彦】丸太刳り貫き"舟"系
【西方の山彦】酒器や酒器の受け皿である酒壺用下敷"盆盤系"
BoatだろうがShipだろうが、すべて"船"にしたいのが、"盆盤系"の考え方。
これから外れるが舟的部首が入ると間違えられて心地悪しだから舟月導入というのは自然な流れ。
その典型文字はコレ。
 朕[(両手で物を捧げる)] チン
  派生→≒剩 勝 謄 騰 滕 藤
言うまでもなく、天子の自称である。当然のこととして、訓は無い。その由来はよくわかっていないようだが、秦代にそのような意味が付いたという解説が多い。
図形から見て、肉月ではなく、"盆盤"的なものだから、供するシーンの文字化だろう。
 兪[+] しかり(応答の辞)
   派生→愉 喩 逾 瑜 愈  癒 踰 諭 輸
空中の木の舟と読むと、刳り貫いて造った丸木舟ということになる。[「説文解字」]つまり、"切削工具で""が丸太から取り出した中身ということかとも思うが、""は水だと。白川静には工具は"余"(メス)に見えるようで、膿漿を盤に移す(輸)シーンと読み、癒の意味と考える訳である。小生には余りしっくりこない解釈だが、ここでの月は明らかにフネではないのに、無理矢理関係付けて解釈すべきではない、との指摘と言ってよいだろう。

それはそうかも知れぬ。ところが、その一方で、"盤"なのに"舟月"にしていない文字もあるとしており、恣意的な見方と言わざるを得まい。
 般[殳(棒を手に持つ)]𦨗 めぐる
素人的には、舟を棒で操縦するシーンを想起してしまい、進路変更や操網行為等でグルグルと回転させるのだろうとしてしまうが、白川静説はここでの盤は楽器とのこと。般楽だとする。
 盤[皿]
盤は派生的文字であるが、古文字を見ると、確かに台付の盥的容器から手で掬って舟型容器に中身を移しているシーンに見える。と言うか、それ以外に考えられそうにない。フネとは無関係だ。般の場合は自明だから、舟月にする要無しということか。
つまり、もともとフネではなく、その形態の器具に"舟"に似た象形があったということになろう。容器"舟"の円形平坦な皿的な器具の文字が最初にできたということか。
 [皿]…盥(たらい)
楽器から盤が生まれた訳ではなく、盥を棒で叩く遊びから、般楽が始まった可能性もあろう。

唯一気になるのは、こうした見方は盤が神聖なものではないと見なしているようなもので、本当にそう考えてよいかはなんとも。
というのは、「古事記」の千引石や石屋戸から考えて、日本の古代信仰では石が極めて重視されているからだ。現実の祈祷シーンとしても、神降臨の地は平な大石(いわくら:磐座)が主流であったのは間違いない。(現代の用語例からは、石と言うより、大きさから言えば岩と呼ぶべきだろうが、ゴツゴツした形状ではない。)もっとも、叩いて音を出すようなことはしないが。このように考えると、"殳"は石の上で依り代を持って神の降臨を祈る巫を指していることになる。本来は自然のなかでの祭祀だが、それを室内に持ち込んだのであろう。(高御座は豊葦原に持ち込んだ高天原の磐座と考えるようなもの。)実は、"舟"は容器ではなく、神の乗り物だったりして。字体から見ると少々無理筋な気もするものの。
 /磐[石]
  ≒[金] 槃[木]…木製

以下派生文字。・・・
 [女]…往来
 [巾]…羽織
 /搬[手]
 瘢[]
 𥈼[目]
 [竹]
 [糸]
 [艸]
 [虫]
 [衣]
 𨃞/𨃟[足]
 [革]
 𪄀[鳥]
 𪒀/𪒋[K]

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