■■■ 「說文解字」 卷九を眺める[6]  ■■■
コンポーネンツ的繋がりが明瞭なので、見易い系譜である<人→儿→頁→𦣻→須→髟→長>だが、気にかけておいた方がよい箇所がある。それは部首"文"の存在。

この主流を確認してしまうと、"文"は派生文字のなるだけのことだから、たいして気にならずに通り過ぎがち。以下の様に考えることに。・・・
   

しかし、初の倭"文"表記を目指す「古事記」の視点からすれば格別な文字。それは、「說文解字」 のグループ観と異なっていてもおかしくない。そうすると、部首"文"の扱いとして、1層増やすのは考えもの。<須彡彣文髟>の首的文字は"彡(字義:毛飾畫文)"で、"文"は派生的存在と化してしまうからだ。直系に該当しないが、重要な文字と見なすなら以下の様に並列とした方がよかろう。
巻八①人─②儿─③頁→巻九
𦣻─      非使用
①𦣻─
①𦣻─┤    非使用
①𦣻─
①𦣻─𥄉┤    非使用
①𦣻─
①𦣻─②須─┤   非使用
①𦣻─②須─┤   非使用
①𦣻─②須─┤ 雖步驟各異文質不同祇 可謂名高文命 敷文構句(序の漢文)
        千字文 此和邇吉師者文首等祖
①𦣻─②須──   非使用
①𦣻─②須─髟─

つまらぬことに拘る様に見えるだろうが、コンポーネンツ共通性を感じさせない"彡→文"が、コンポーネンツ共通な"口→言"の論理と同様と見てよいかを考えることになり、結構、大きな問題だと思う。・・・

「說文解字」"文" では錯畫とある。
<まじわる>形の表現との解説であり、交叉する線文様の象形文字(線の交叉とは無縁のコンポーネンツを無視。文=亠+㐅[古文五字])ということになる。そうなれば、字義が毛飾畫文とされる"彡"の類縁という論理が成り立つ。叙で記述している様に、鳥獣足跡から思い付いて漢字を発明したのは官僚とされており、その記号的規格表記が連なって、原初"文"となるとの見方を提起しているようなもの。
(しかしながら、"文"はいかにも人の正面像。甲骨文字では、その中央の▽部分に記号が入ることが多いから、白川論だと本義は文身ということになる。刺青模様は呪的書画の一種と見なせるから、それを延伸させれば文章との字義も包含してしまうことになるのだろう。しかし、刻画入墨の記号/模様が欠落している"文"文字もあるから、はなはだ気になる。単なるヒトという字義なら、正面の人の姿とされる"大"があるので、重複になりかねないからだ。尚、"人"は臂脛之形とされており、側面姿。…ヒト文字2種並立はあり得ないと思うが。)

太安万侶的センスなら、"文"とは文字が連なる文章の意味でしかない。従って、甲骨文字の存在を知らなくても、文字の原初は刺青記号と考えていてもおかしくない。
そう思うのは、"文"の字形はどう見ても胸を露出しているか、幅広平面的衣(筆遣いから見て、衣前部重ねの交わり表現と考えるのは無理。)を着用して、それを示威しているかの様なヒト正面立ち姿だからだ。そうなれば、この意味が文章なら、呪的記号の並び(装身用玉/珠とは違い、記号には意味表現がある。)が入墨されることが原義と考えるしかなかろう。

漢字は中原の帝国で発明されたというのは、漢字文章による統治システムを構築したという意味。
原初漢字は刺青文化の呉越地方の世界で生まれた可能性を示唆している。つまり、北方の帝国が、南方のフラグメントな王国で遍く用いられていた入墨記号を取り入れ、帝国官僚が発展させただけのこと。(典型的な儒教国家のプラクティス。中原の初期帝国では、入墨は南方から拉致した生贄奴隷用標識"黥[墨刑在面]"となる。部首"凶"の字義は惡。)
  


𦣻面丏首𥄉須彡彣文髟后司卮卩印色𠨍辟勹包茍鬼甶厶嵬山屾屵广厂丸危石長勿冄而豕㣇彑豚豸𤉡易象 

│ 巻八

├┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
②②②②②②②②②②
儿尸毛老衣身臥𡈼从𠤎
││

││ 巻九
𦣻
│├┬┬┬┐
②②②②②
面丏首𥄉須
│┌───┘
│├┬┬┐
③③③③
彡彣文髟
│   │
│  ※↓
├┬┐
││
││├┬┐
││②②②
││司卮卩
││  ├┬┬┐
││  ③③③③
││  印色𠨍辟


├┬┐
②②②
甶厶嵬
    ├┐
    ④④
    屾屵
     ├┐
     ⑤⑤
     广厂
      ├┬┐
      ⑥⑥⑥
      丸危石

   ※↑
┌──┘

├┬┐
⑤⑤⑤
勿冄而


├┬┬┬┬┬┬──── ⇒巻十
⑦⑦⑦⑦⑦⑦⑦
㣇彑豚豸𤉡易象
     

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