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魚の話  2005年3月18日
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しらうおの話…

   以前、あざらしが多摩川に登場して大騒ぎになったが、ヒトが与える餌につられてやってきたのではないから、大食漢の食欲を満たすだけの魚がこの地域に住んでいる証拠といえそうだ。
 東京湾とそこに注ぎ込む河川は相当綺麗になってきたようである。時間はかかるが、環境は徐々に改善されている。

 もっとも、江戸時代は隅田川河口(佃島)で白魚が沢山獲れた。今ではとても、信じがたいが。

 一方、はぜやアナゴの類は環境悪化にも耐えてどうにか生き延びてきた。
 お陰で、東京湾には、いまでもアナゴ漁で生活している漁師がいる。

 とはいえ、東京名物の浅草海苔は廃絶。佃島の白魚漁が復活する見込みはゼロである。

 しかし、両者とも、江戸の心象風景として東京住民の心のなかに残っているから、佃島白魚漁の歴史を残しておこうと考える人は多いようだ。(1)

 もともと、白魚は人気が高い魚だ。お蔭で、東京では、ほぼ一年中手に入るようになった感がある。
 それでも、皆がこの魚に早春のイメージを持ち続けている。
 白魚のような手という表現があるように、どういう訳か、この魚には清々しく、か弱い印象がある。このイメージに合う季節といえば、やはり春しかないということだろう。

 白魚に関しては、季語の解説などなくても、極く自然に、春の香りが漂ってくるから不思議である。
      ふるい寄せて 白魚崩れん 許りなり 漱石

 関心が高い魚だから、色々な話も耳にする。
 当然ながら、佃島の昔語りが多い。

 そのなかでも面白かったのは、家康が白魚を気に入った理由に関するもの。

 白魚の頭に葵の御紋の模様を見つけたというのだ。
 脳みそが透けるとはっきりわかるそうだが、思わず、しげしげと眺めてしまった。

 はてさて、どこに紋様があるのかさっぱりわからない。

 これは将軍家の冗談では?(2)

 もっともお陰で、江戸の頃はとてつもない高価な魚だったようだ。

      白魚に 値あるこそ うらみなれ 芭蕉(3)
      白魚や なんじらの 食うものならず 嵐雪

 今のように気軽に楽しめることなど、当時の人達には、とても考えられなかっただろう。
 有難いことである。

 --- 参照 ---
(1) http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/tosikiyo26.htm
(2) http://www.president.co.jp/dan/20040300/002.html
(3) 芭蕉は深川に庵を構えており、千住宿に川船で出た。時は元禄、彌生も末の7日。芭蕉46才。
  “前途三千里のおもひ胸にふさがりて・・・”旅立つ。
  2004年12月千住大橋たもとに芭蕉像建立 http://www.senjumonogatari.com/bashouzourakuseisiki.htm


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