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魚の話  2005年4月22日
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こいの話…

 寒鯉の 一擲したる 力かな 虚子

 鯉と言えば、冬の“鯉こく”と応えるのが通り相場だが、これは頭で考えた答えである。
 普通、真っ先に想い浮かぶのは端午の節句の飾りものだろう。5月になれば、至るところで鯉が空にたなびく。まさに、全国民から親しまれている魚と言えよう。

 鯉のぼりの由来をじっくり調べなかったが、誰が考えても、五行の色と鯉の滝登りのイメージの幟としか言いようがない。おそらく、貴族や武士の祭りをそのまま真似できない町人が創作したものだろう。

 幟だけでなく、鯉料理を節句のごちそうにしそうなものだが、旬ではないから、そうした風習は発生しなかったようだ。

 もっとも、そのように軽々しく料理してはいけない魚だった可能性が高い。
 魚偏に里という字だから、どうしても庶民的な風合いを感じてしまうが、格は高かったからだ。

 それがわかるのが、新春に催される鯉さばきの行事、「俎開き」だ。
 平安時代、宮中で確立した料理様式「四条流」で調理が進む。(1)
 土佐烏帽子をかぶり、直垂を着用した包丁人が、鯉に手で触れることなく、包丁だけで調理する。食を楽しむというより、重々しい式典といった雰囲気である。
 この料理行事は700年も続いているという。

 魚と言えば、海モノが上物とされるから、鯛で行いそうなものだが、鯉なのだ。鯉は別格なのだろう。なんとも不思議な感じがする。

 行われる場所は、浅草近隣の坂東報恩寺。鯉の調達先は水海道市の菅原天神だ。
 どう見ても、天神様に捧げる儀式だが、行われる場所は浄土真宗の寺。しかも、包丁人の横に僧がひかえている。神道と仏教が融合している訳だ。

 これほど、特別視されてきた鯉だが、今では、食べる機会といえば、観光地で供される名物料理(鯉のあらいや鯉こく)程度である。
 極く一部の地域で料理される魚になってしまったのである。
 水田養殖で有名な「佐久鯉」(2)、上杉藩主 鷹山が事業化した「米沢鯉」(3)、うどんと並んだ地元食の「上州鯉」といった所か。

 こうなったのは、食べるより鑑賞する方に楽しみが移ったからではあるまいか。ペットを食べる気になるとは思えないから、食用習慣が抑制されたのは間違いあるまい。

 池の鯉は大概は人によく慣れている。しかも、泳ぐ姿を眺めるのは結構楽しい。おまけに、白・赤・黒3色の派手な錦鯉が開発され、高価で取引されるようになった。ここまでくれば、鯉の主流は鑑賞用と言ってよいだろう。(4)

 菅原道真も大宰府で、鯉を遊ばせ、愛でていたかもしれない。

 --- 参照 ---
(1) 2005年1月12日の行事の様子 http://www.city.taito.tokyo.jp/taito-co/kouho/press/2005/0113manaita.htm
(2) http://www.city.saku.nagano.jp/kankou-k/aji/aji11.htm
(3) http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/shisei/norin/yonezawakoi.html
(4) 錦鯉の里 http://www.city.ojiya.niigata.jp/kanko/miru/mir02.html

 --- 付録 ---
 池波正太郎著「泥鰌の和助始末」には、平蔵の大好物として、鯉の洗いに葛そうめんの月見卵添えが登場する。上野山下の川魚料理屋という設定である。
 お洒落な料理である。
 鯉の歯ざわりと、葛の喉越しの愉しみが示唆されている。味ではなく、食感が嬉しい訳だ。家庭料理とは縁遠い。


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