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魚の話  2005年5月13日
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あさりの話…

  浅蜊椀 無数の過去が 口開く 加藤楸邨

 “漁る”と言う言葉が浅蜊(あさり)になったと聞いている。確かに昔はそうだったろう。潮干狩りは珍しい行事ではなかったし、どの魚屋でも大量に売っていた気がする。
 今は過半が輸入モノだが、まだ千葉県産表示を見かけるから、浜は健在のようだ。(1)

 最近は料理屋で、大浅蜊料理が出てくるが、全く別モノである。こちらは、深いところに棲んでいるそうだ。

 浅蜊といえば、家庭料理の食材だろう。
 基本は、味噌汁か酒蒸しで、後は気が向いた時に佃煮(しぐれ煮)として購入、が定番と書きたいところだが、そんな時代はとうの昔。
 今や、冷凍剥き身はどこでも売っているから応用範囲は結構広い。

 深川飯など自宅で作っても簡単だし、天麩羅作りが苦にならないのならかき揚げにもよいだろう。又、パエリアやボンゴレ・ビアンコもいける。最近はチヂミ風のお好み焼きを作る人もいそうだ。もちろん、力を入れれば、チャウダーにしても美味しいだろう。蛤より旨み成分は多そうだし。
 おそらく、この他にも様々な料理に使われていそうだ。

 浅蜊は、1年中出回っているが、冬はヘタっており、太ってくる春がお勧めということになっている。季語も春の扱いで、大昔から日本人が食べていると皆が言うが、事実ではなさそうだ。

 大森貝塚(2)から出土したのは浅蜊ではないからだ。10cmもあろうかというハイガイとハマグリである。千葉の加曽利貝塚(3)もイボキサゴやハマグリが多い。たまたま両者ともに、ハマグリが多いが、縄文人が主に食べていたのは、ハイガイである。

 ハイガイと言っても、ほとんど絶滅しているからよくわからないが、貝殻の筋の数が少ない赤貝といった種だ。環境変化に弱い上、浅蜊が大事にされたので、生きる地を奪われたのだろう。

 現在の浜の主流は浅蜊だとは言え、春先までは輸入モノが中心だ。東京湾(木更津・船橋)と三河/伊勢湾産が4月下旬から5月に出てくるそうだ。
 6〜9月は産卵期だというから、貝毒が怖そうである。
 東京で地場品を食べようとすると、時期が限られる訳だ。
 もっとも、わざわざ美味しい渥美産を使っているという料理屋もあるから、地元産が新鮮さで優るともいえない時代である。

 とはいえ、こだわりたくなるのは、酒の友として、簡単な手料理をしてみたくなるからである。

 食通の時代小説家、池波正太郎氏の作品、「藤枝梅安」から、一寸引用してみよう。

  “笊に、大根を千六本に刻んだのを山盛りにし、
  別の笊には浅蜊の剥き身が入っている。
  鍋の出汁が煮えてくると、
  梅安は大根の千六本をを手づかみで入れ、浅蜊も入れた。
  刻んだ大根は、すぐさま煮えあがる。
  それを浅蜊とともに引き上げて小皿へとり、七色唐辛子を振って、
  二人とも、汁といっしょにふうふういいながら口にはこんだ。”

 お洒落なシーンである。貝は煮えすぎると硬くなり不味くなる。言葉もかわさず、二人で急いで食べる情景が目に浮かんでくる。とてもフィクションとは思えない。
 この料理なら、すぐにできる。
 だが、問題は大根だ。八百屋に並ぶのは、おろしても辛くない、全国銘柄の「青首」ばかり。やはり、地大根にこだわらねば、江戸気分はでまい。
 昔は大根にも、それなりのバラエティがあった。沢庵に向く「練馬」、浅漬けピカ一の「亀戸」、辛味があっておろしや膾に使うと美味しい「三浦」だ。今ではどれも滅多に手に入らない。

 もっとも、旬の地場品で食べるといっても、鍋である。5月ではちと暖かすぎる気がする。肌寒さが残っている初春でないと。

 鍋より簡単な料理がよいかもしれない。

  “浅蜊の剥身を、塩と酒と醤油で、
  うす味に仕たてた出汁で葱の五分切といっしょに、
  さっと煮立てて、「さ、いっぺえ飲んなよ」”  [『犬神の権三』]

 それにしても、大正生まれの池波氏が、どういう気分で浅蜊の小鍋を考えたのだろうか。
 浅蜊売りがいなくなった社会を眺め、「ほとんど魂を失った廃墟だ」(4)と看破した人である。情緒が消え去ったというのだ。

 江戸に本当にこのような小鍋があったのかはわからぬが、春の料理としては確かに情緒を感じる。

 なんといっても、小鍋だてと酒という設定が愉しい。
 小鍋だては、気に入っていたようで、江戸を舞台(5)に、白魚や蛤も登場してくる。

  “このとき利右衛門が、手料理の白魚と豆腐の小鍋だてと酒をはこんできた。
  「や、これはよい」
  「春のにおいが湯気ににたちのぼっているな、左馬」” [『暗剣白梅香』]

 “「酒の肴になりますかな。こんな顔が……」
    「なりますとも、なりますとも」
  「は、はは……」
  「うふ、ふふ……」
  蛤と豆腐とねぎの小鍋立てが運ばれてきた。
  「旦那。春になりましたなあ……」”  [『一本眉』]

 当時、こんな料理が簡単に食べれたとは思えないが、現実感が湧くから不思議である。

 小説のなかの鬼平や梅安が、江戸の下町食文化に流れる思想を復活させたといえよう。

 --- 参照 ---
(1) http://www.tokyo.info.maff.go.jp/tokyo/sizen/sakana/haru/asari.htm
(2) http://www2.city.shinagawa.tokyo.jp/jigyo/06/historyhp/midokoro/kaizuka/kaizuka.html
(3) http://www.keiyobank.co.jp/miryoku/miryo34.pdf
(4) 池波正太郎「私が生まれた日」朝日新聞社 1988年
(5) 「江戸古地図で見る池波正太郎の世界 鬼平・剣客・梅安の舞台」
  http://www.taitocity.net/tai-lib/ikenami/guzz/guzz.htm
 

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