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魚の話 2005年5月27日 |
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かつおの話…目には青葉 山ほととぎす はつ鰹 時鳥 鰹を染めに けりけらし 素堂と芭蕉の有名な句である。 鰹(かつお)はよく知られるように回遊魚である。黒潮に乗って北上し、5月頃に房総沖に到達する。これが、山口素堂の作品に繋がる訳だ。 といっても、鎌倉にて詠まれた句らしいが。 江戸時代は鮪(まぐろ)など眼中になく、どうやらヅケが使われた程度で、嬉しいのは鰹だったと言われている。 江戸っ子の心意気と言われているが、実に楽しい風習だ。 桜冷えが終わり、緑が目に沁みわたる、本当に過ごしやすい毎日になったことを、味の方でも感じたくなるのは極く自然な感情だろう。 (もっとも、食通に言わせれば、紅葉の頃の、より脂が乗った、三陸沖から南下してくる「戻り鰹」の方が本当の旬モノらしいが。) 勤皇党を弾圧した、土佐藩主の大酒飲み、山内容堂の言葉がその気持ちを代弁してくれている。(1) 殿 「ちかごろ うかつではないか.」 料理方「はて 何のことでございましょう.」 殿 「初鰹だ.」 料理方「おそれながら あれは一両もいたしまする. 一両と申せば 殿の三日分の賄料でござりまする.」 殿 「さればこうか. 初鰹一尾を食えば あとは三日は食わずにすごさねばならぬのか.」 武士にとっては、鰹は「勝男」でもあり、縁起ものだ。欲しい気持ちはよくわかる。 しかし、余りに高価だから、多少誇張されたフィクションと思っていたが、そうではないようだ。 1812年の初鰹取引記録によれば、なんと、日本橋魚河岸に入荷した初鰹2尾を、将軍に愛された料亭「江戸善」(2)が、大工1ヶ月分の金額2両1分で購入したそうだ。(3) 昔は、鎌倉や小田原から馬で江戸まで運ぶような荒業もあったそうだが、今は、朝市場で仕入れた鰹を藁焼きにした「たたき」を、冷蔵便で取り寄せることができる時代である。 しかも、世界中の海で獲れる魚だから、遠洋一本釣り漁法による船内急速冷凍品が普及してしまった。 お陰で、一年中手に入り大変便利になったが、季節感は消えてしまった。 たまには、江戸の雰囲気に浸って、冷凍モノではなく、高価な生の地物で、旬を味わいたいものである。 ただ、鰹は個体差が大きく、当たり外れがあるから、なかなか踏み切れないのが実情だが。 --- 参照 --- (1) 司馬遼太郎「酔って候」文春文庫1975年 (2) 1822年「料理通」を纏める. 当主は10代目. http://yaozen.com/cooking/index.htm (3) 川崎洋「魚の名前」いそっぷ社2004年12月 --- 付録 --- 池波正太郎著「迷路−夜鴉」で描かれている船宿のシーンに、鰹の刺身と独活の和え物が登場する。素敵な設定である。ところが、驚くことに、鰹を生姜醤油で食べない。薬味は溶き芥子だ。 う〜む、と唸らざるを得ないが、結構美味しいのかもしれない。 ツマは茗荷が望ましい感じがする。 「魚」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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