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魚の話  2005年7月15日
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うなぎの話…


  一日に 鰻のかぶとを 一つ食べ わがたくらみに 弾みをくるる 山崎方代

 一般に、魚はカマの方が美味しい。
 鰻も同じだろうが、そうはならない。

 というのは、食べていて身が冷めてくると、脂が強いため身が硬くなり、食感が急激に悪くなるからである。

 といって、鰻の尾は美味しくない、というのは暴言だろう。尾の方が、相対的にあっさり味になっているだけのことだ。
 山葵で白焼きを食べるのが好きな人もいる位だから、淡白な味を好むなら尾の方が素晴らしいと見なす人もいよう。

 東京育ちにとっては、鰻を食べると、何時も関西料理との違いが気になる。美味しいものが多い関西料理だが、甘い寿司飯と鰻だけは、どうしても好きになれないからだ。

 しかし、東京の鰻屋に、関西食文化が入りつつあるようだ。“鰻尽くし”コース料理をよく見かけるからだ。偏見かもしれないが、これこそ関西文化そのものではないかと感じてしまう。

 別に「白焼きと山葵」料理が不愉快な訳ではない。これはこれで、結構美味しい。嫌なのは、向附、吸い物、炊き合わせ、と続いて、最後に本命の蒲焼が登場する点だ。
 できる限り上品に仕立てる意図なのだろうが、鰻自体が脂ギタギタ品なのである。上品な食材とは言い難い代物である。
 淡白で、軽やかな脂の、吸い物向きの食材なら、間違いなくこうしたコースは素敵だが、鰻では無理だろう。にもかかわらず、無理に上品に仕立てる意味がどこにあるのだろう。
 こうした無理筋の料理は好きになれない。

 鰻の良さとは、脂が乗った大ぶりの身を串焼きにして、焼きたてに山椒をかけて、一気に食べることだと思う。上品に食べていたら冷めてしまい美味しさは消えてしまう。関東以北では、この美味しさを出すような調理方法を採用してきたのだと思う。
 一方、関西の鰻料理は、この楽しみを増幅させる方向をとらない。どちらかといえば、伝統の食文化のスタイルに、鰻という食材を当てはめた嗜好に映る。この感覚には馴染めない。

 言うまでもないが、鰻料理の一番はなんといっても鰻重だ。秘伝のたれが滲み込んだご飯を味わう訳だが、よく考えれば、ご飯に重点がある訳ではない。味わいたいのは、あくまでも大串の蒲焼の方だ。
 と言うことは、身が柔らかいまま最後まで味わうための知恵が鰻重と見るべきだろう。炊きたての暖かいご飯が、焼きたて鰻の保温役を果たすのである。食べ終わるまで身が冷めず、脂分の美味しさが消えない訳だ。

 江戸の食文化は時として道楽的な風合いも濃厚だが、基本は実利にあると思う。
 こうした伝統は保ちたいものである。

 ・・・などと考え始めたのは、今は消えてしまった鰻屋を思い出したからである。

 実は、もともと、鰻屋に入るのは好きではなかった。有名な店を何軒か回ってみたが、値段の割りには、格別美味しいと感じなかったからである。

 今でも、その感覚は消えていない。
 近所に“櫃まぶし”の有名店が出店してきたので入ってみたが、何の嬉しさも味わえなかった。
 と言うより呆れた。鰻を裂いていたのだが、半人前の板前さんなのである。瞬時に捌くことができず、鰻が俎板の上で暴れていた。
 連れは、これを見て、実家の母の技術の凄さに、今更ながら敬服した位である。

 それはともかく、プロフェッショナルを雇うと経営が立ち行かない時代に入っているようだ。
 1990年代は、プロフェッショナルは身近で見かけたのだが、そのような人達はどこに行ってしまったのだろう。

 以前、広尾に住んでいたときに、時々訪れたのが商店街の店だ。ここには本当のプロがいた。

 間違わないで欲しいが、広尾の高級邸宅住民ご愛用の割烹ではない。
 昔からの、下町風の小さな店が並ぶ通りにある、家族経営の小さな鰻屋である。と言うと、違ったイメージをもたれてしまうかもしれない。
 確か炭屋(燃料店と呼ぶべきか)の軒下の1〜2m幅の路地を入ったところにあった。看板などわからないから、知るのは地元住民だけだろうし、戸が閉まっていれば、古い住居にしか見えない。商店街裏の木造2階建て一膳飯屋と言った風情である。
 店内は、狭いうえ、お世辞にも綺麗とは言えない。

 しかも、入っても、楽しくはない。
 鰻を注文すると、そこから蒸しの作業が入るから、込み合っていなくても、長時間待つ必要がある。
 時間を持て余すから、ビールを注文する。すると、腰が曲がったお爺さんが、重そうに瓶ビールを運んで来てくれる。しかし、のんびりした家庭的雰囲気と誤解されてはこまる。
 鰻料理人は1人でプロだ。しかも調理で多忙。当然、注文に追いつかない。一方、お客は色々と要求するが、調理人以外が対応しても、たいしたものはできない。
 そこで、鰻料理人はイライラして、家族を大声でしかる。これが、のべつまくなしである。
 お客としては、気分が悪いことこの上ない。鰻はまだか、とずっと思っているのだが、聞けば、やってますよ、と怒られるにきまっている。そこで、皆、おし黙ってビールを飲んでいる訳だ。お陰で、店には、妙な緊張感が張り詰めている。

 しかし、登場する鰻は絶品である。そのため、何時行ってもお客で満杯である。入れない時も多かった。

 こんな店だから、誰も、滅多なことでは人に紹介しない。ところが、地元では結構知られていた。驚いたことに、プチポアン(有名な広尾のフレンチレストラン)でのランチを愛する、地元育ちの方もご存知だった。口コミの威力は凄い。

 ところが、残念ながら、この店は、ある日忽然と消えてしまったのである。

 無くなると、懐かしくなるものだ。

 味だけを追求してきた職人さんは、今、どうしているのだろうか。

 --- 付録 ---

 鰻屋で ゆったり妻と 時刻む 石原敬三
 [第18回うなぎ川柳大会金賞受賞作品]

 余り宣伝していないが、昔からの江戸の味を守り続けている店に行きたいなら、「うなぎ百撰会会員店」のリストで探すとよい。
 [http://www.unagi.co.jp/unahyaku/lineup05.html]

 「鰻なぞも丸焼きにしたやつへ山椒味噌をぬったり豆油をつけたりして食べさせたもので、江戸市中でも、ごく下等な食物とされていた」とは、池波正太郎著『泥鰌の和助始末』のくだり。
 よくできた小説だから、どこまでが本当かよくわからないが、社会が成熟して調理方法が贅沢になってきたことを指摘した一節である。



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