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魚の話 2005年9月2日 |
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さんまの話…荒海の 秋刀魚を焼けば 火も荒らぶ 相生垣瓜人旨い秋刀魚になかなかお目にかかれない。 大根おろしとすだちを揃えても、見ている前で脂が焦げる音をたてながら、もうもうたる煙をかげるシーンがないし、食欲をそそる匂いが立ちこめてこないから、感激も薄い。お陰で、美味さ半減なのかもしれない。 もっとも、市場に出回るのは、獲れたてではなく、冷凍ものが多いから致し方なかろう。 それに、食べる方の好みも変わりつつある。 蛋白な味の食品が好まれている。秋刀魚は他の魚に比べれば、味に癖があるし、独特の魚臭がある。それほど美味しい魚とは評価されていないのかもしれない。 もちろん、秋刀魚好きは大勢いるが、食べたくなるのは、味覚上の欲求ではなく、昔のシーンが恋しいからかもしれない。 とはいえ、煙を出して焼くシーンに美味さの原点があるのは間違いない。 落語「目黒のさんま」が指摘する通りである。蒸して脂を落とした上品な調理方法が美味い筈はなく、下賎でも、直火の焼き立てこそ最高なのである。 しかし、残念ながら、今や、秋刀魚焼きのイメージさえも消え去る寸前である。 今時、七輪を使う家庭などありえまい。 大好物の秋刀魚を狙って虎視眈々と目を光らせる猫もいない。猫はキャットフードで満腹状態である。 そういえば、漱石は「我輩は猫である」で、秋刀魚を「三馬」と書いたそうだ。(1) 全くの当て字だという。 漱石文学も秋刀魚の煙同様、消え去る運命なのだろうか。 --- 参照 --- (1) 川崎洋「魚の名前」いそっぷ社2004年12月 「魚」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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