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魚の話  2005年10月28日
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どじょうの話…

 泥鰌汁 巷はしとど 土用雨 三谷昭

 最近の幼児教育や小学校で“唱歌”は余り歌われないようだが、「どんぐりころころ」(青木存義作詞 梁田貞作曲 1921年 著作権保護期間中)だけは別のようだ。

 団栗坊やが遊びつかれ、お山に帰りたくなり、泣いて泥鰌をこまらせて終わる、なんとも不思議な歌詞である。不条理感があるから一回聞くと忘れられない。
 誰もが、その続きが気になる。
 そのため、いろいろな議論や創作もあるようだが、子供の想像にまかせるのが一番だろう。(1)

 しかし、なぜ泥鰌なのか理解しがたかったのだが、作曲者の子供の頃の思い出だという。母が、朝寝坊を直すべく、池にどじょうを放ったのだという。(2)

 魚屋で塊のように集まっている状態しか知らないから、日々の泥鰌の生態は想像がつかないが、おそらく仕草が可愛いのだろう。朝早く水面にでてきて挨拶でもするのかもしれない。

 もっとも、そんなことが気になるのは子供が身近にいる人で、それ以外の大人は、泥鰌といえば宴席の安来節を思い浮かべるだろう。
 泥鰌料理の酒盛りシーンから発生した踊りらしいが(3)、渡部お糸さんが全国的に有名な歌にまで押し上げたのだという。たいしたものである。

 だが、東京では、大騒ぎの泥鰌すくいの宴会より、廉価で栄養豊富な鍋をつつくというイメージが強いのではないか。創業1801年の「駒形どぜう」が作りあげた食文化の影響である。“どぜう”という名称も、旧仮名だと思われているが、大間違いで、この店による造語なのである。(4)

 柳川鍋は博多が発祥らしいが、本格的な泥鰌鍋といえば、江戸の“まる”である。(5)

 酔わせた泥鰌を予め煮込んであるから身が柔らかいのである。丸泥鰌をぎっしり並べた浅い鉄鍋が熱くなればすぐに食べれるのも嬉しい。せっかちな江戸っ子らしい料理である。
 しかも割り下(鰹出汁+味醂+醤油)は自分流でいくらでも注ぎ込むことができるし、刻み葱を好きなだけ山盛りに載せることができる。勝手にやれるのも大いに嬉しい。

 うだるような夏に、軽く呑みながら、鍋をつつく。
 これまた粋である。

 というのは表向きの話で、旬が特にないのだから、一寸涼しくなってからか、寒さを感じるようになってから、熱い鍋というのが一番だと思う。

 --- 参照 ---
(1) 上田信道「名作童謡ふしぎ物語」創元社 2005年1月
(2) http://www.d-score.com/ar/A02011525.html
(3) http://www.city.yasugi.shimane.jp/p/2/10/11/2/
(4) http://www.dozeu.co.jp/yurai.html
(5) 割き泥鰌の柳川は全国どこでも見かけるが, 丸泥鰌は少ないようだ. 鰻屋のメニューに並ぶことはあるが.
  東京でも泥鰌専門店はほんの僅かである.
 

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