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魚の話  2005年11月11日
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かにの話…

 落栗や 谷にながるる 蟹の甲 祐甫

 蟹と言えば、普通なら、啄木の歌を引用するところだ。

   東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

 しかし、たまたま、栗と蟹が登場する句に出会い、妙に惹かれてしまった。

 その理由がすぐにはわからず、もやもやしていたが、ふと気付いた。

 勘の鋭い方ならお見通しかもしれない。お伽話の「猿かに合戦」だ。栗が助太刀に登場するのである。
 そこで、久方ぶりに読んでみた。
  → 楠山正雄「猿かに合戦」 [青空文庫]

 握り飯と柿の種との交換を上手くもちかけられ、蟹は応じてしまい、柿の木を育てることになる。柿が実ると、悪党の猿は、木に登って美味しいところを自分だけ食べて、あげくの果てに、樹上から青柿を蟹にぶつけて殺してしまう。
 ここで、どういう訳か、栗と蜂と昆布と臼が登場し、親を殺された子蟹の味方となり、仇を取るのである。

 芥川龍之介は、この話の後日談「猿蟹合戦」を書いた。もちろん、蟹は死刑。栗と臼は無期徒刑だ。
 エスプリが効いていると言うより、諧謔に近いと思うが、時代を考えれば鋭さが光る作品だ。思わず笑ってしまう。
 古い作品だが、今、読んでも、当時(大正12年)の時代感覚がわかって結構面白い。
  → 芥川龍之介 「猿蟹合戦」 [青空文庫]

 時代背景(昭和8年頃)を考えながら、寺田寅彦の「さるかに合戦と桃太郎」も併せて読むと楽しい。
  → 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」 [青空文庫]

 寅彦は、お伽話を題材に善悪を議論するのはナンセンスと主張している。イデオロギーで御伽噺を云々語る風潮に我慢ならなかったようだ。

 これを読んでいると、啄木の歌の“東海”とは、鍬と鎌の旗の国から見た、日本という意味であることがわかる。
 実は、なかなか意味深長な歌なのかもしれない。

 ともあれ、寅彦は、実際にこの世の中に起こっている事実を伝えただけの話に、評注など無駄で、滑稽だと主張している。
 正論であるが、つまらぬ。

 こうして蟹の御伽噺の話を続けて読んでいると、蟹は人気動物のような気がしてくる。

 そうそう、平成の世になっても、猿蟹合戦を題材にした作品がヒットをとばしている。
 司馬遼太郎著「夏草の賦」の語り口の「猿蟹の賦」(1)と、丸谷才一調の「猿蟹合戦とは何か」(2)である。

 それにしても、日本人の心に住みついている「蟹」とはいったい何者なのだろう。

 そういえば、蟹にまつわる不思議な話が残っている。(3)

 山背古道の蟹満寺に、蟹にまつわる縁起が伝わっているのだ。
 村人が食べようとして捕らえた蟹を買い上げて逃がしてやった、信仰あつい娘さんに、蟹が恩返しした話である。婚姻をせまった蛇を蟹が鋏で切り刻んだという。
 蛇が無理難題を吹っかけた訳ではない。もともと、食べられそうになっている蛙を、娘の結婚話と引き換えに、助けてやったのであり、蛇にしてみれば、約束を守れというだけのことなのだが。
 蛇はえらく嫌われものなのである。

 ところで、この話に登場する、蟹、蛙、蛇は同属である。文字を見れば自明だが、蟲類だ。(4)

 う〜む。

 ここまでなんとなく書いてきたのだが、これ以上続ける気が失せてしまった。
 蟲類の美しい図鑑を思い出したのである。

 “エビ・カニから昆虫まで、黄金期の博物画1000点を収載!”との触れ込みの、執念の塊のような本だ。(5)

 美しい蟹の絵もあるから、お近くの図書館でご覧になることをお奨めする。もっとも寄生虫を見ると気持ち悪くなる人は止めた方がよい。

 蟹の話をするつもりが、つい大きく脱線してしまった。

 --- 参照 ---
(1) 清水義範「蕎麦ときしめん」 講談社文庫 1989年
(2) 清水義範「国語入試問題必勝法」 講談社文庫 1990年
(3) 今昔物語[16-16] http://homepage3.nifty.com/butsuzo-jidai/page044.html
(4) 栗本丹洲「千蟲譜」 http://www.lib.a.u-tokyo.ac.jp/tenji/125/02.html
(5) 荒俣宏「世界大博物図鑑(1)蟲類」 平凡社 1991年
  http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=518021


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