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魚の話  2005年12月9日
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ぼらの話…

 鰡はねて 海のさびしさ まぎらわす 林蓬生

 東京に住んでいると、湯量豊富な伊東温泉や城ヶ崎海岸に遊びにいくことが多いが、その奇岩のお散歩(ハイキングと称されているが)コースの出発点にあたるのが富戸(伊豆急行起点の伊東から南伊東、川奈の次にあたる.)の「ボラ納屋」である。
 単なる郷土の磯料理屋という印象だが、何で「ボラ」なのか、ずっと気になっていた。
 ボラといえば卵がカラスミになる魚との印象しかなかったからである。

 今ではほとんど幻だが、昔は春になると何十万尾ものボラの大群が富戸に来たという。そして、盛大なお祭りが開催されていたらしい。(1)
 大漁節の一節を示されると、当時の剛毅な遊びの情景が浮かんでくる。

 “二ツとセー 二人揃って川奈番 今日も二ツ召上げて来る ハマー 大漁だネば留り魚 万余の群れで貝を吹く ハマー 大漁だネー”

 ボラは「トドのつまり」や「青二才」の語源らしいが、幼魚の時は河口にいる雑魚だというにすぎない。
 紀州藩がこの魚を出世の縁起ものにして、定番化したから、ここまで知られるようになったのだろう。  (もともとは縁起ものだったらしいが。[*])

 それにしても、ボラの話はほとんど聞かないから、河口環境は激変した訳だ。

 釣り人に訊ねると、今でも、ボラ釣りを楽しみにしている人は結構いるらしい。
 たいした美味しい魚ではないのになにが魅力なのか不思議な気がするが、寒ボラだけは絶品なので、つい釣りに出かけてしまうのだと。

 よりによって寒い時期の釣りとは大変だと思うが、この時期を逃すと魅力ゼロの魚らしい。
 但し美味しく食べるには、それなりのスキルが必要らしい。釣り上げた直後に活き〆することが鉄則だという。腹を割いて内臓と鰓を取り去らないと食べる気にならないそうだ。

 --- 参照 ---
(1) 田畑正徳「富戸ぼら漁物語」 http://izukogen.com/bora/

 [ * 附記 ]
 紀貫之「土佐日記」には、船中で、都の元日を思い出すくだりがある。時は935年。
 “今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「九重の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」とぞいひあへる。”
  http://www.aozora.gr.jp/cards/000155/files/832_16016.html
 『なよしの頭』とは鯔の幼魚の名吉のことだという。
 当時は、注連縄に柊と鯔を挿していたことがわかる。
 宮中では大晦日に鬼払いの行事があり、これは今でも節分の行事として残っている。
 柊を門口に飾る風習は続いているが、魚は鯔ではなく鰯に変わってしまった。


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