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魚の話  2006年4月14日
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あか貝の話…

  バチだけど これみてくれと 叩きつけ    寿司職人語る

 貝は、貝殻の見映えで、名前が決まりそうなものだが、赤貝は別である。単純明快に、身の色で決まった。情緒なき命名方法だが、身の赤さにインパクトがあるから致し方ないのだろう。
 寿司ネタといえば、先ずはコレという人もいる位である。

 単なる貝に過ぎないから、握りに身を乗せて完成と思い勝ちだが、結構、下処理に手間がかかる。(1)目立たないが、寿司職人の腕の見せ所なのかもしれない。

 尚、佃煮や缶詰に使われるのは、ほとんどが猿頬貝だという。確かに、表記をよく見ると「赤貝 (サルボウ貝)」とされているものもある。
 この他にも、似ているものとして、サトウ貝(江戸時代末期に渡来した英外交官Satow)がある。この貝は、九十九里浜産だから面白くなかったのか、二流品と見なされて「場違い(バチ)」と呼ばれたという。(2)何事にもこだわる江戸っ子らしい対応である。

 両者ともに、赤貝より殻の筋の数が少なく、小ぶりなだけで、身の方はたいして変わらないと主張する人もいる。
 確かに、赤い水がでるほど鮮度が良ければ、多少は違っても、十分美味しい筈である。

 これらの貝は、泥の中に棲んでいるため、採取は結構面倒である。
 従って、独特な漁法が必要となる。
 島根県の中海では、大正時代まで「そりこ船」漁が行なわれていたそうである。(3)へさきの板が極端に反っているのが特徴的な船である。写真を見ると、なんとなく神代めいた感じがする形状だ。

 この原型は、一本木をくり貫いて作った、特殊な構造船だと思われる。
 舳先に足をあてて、船を揺らすような設計のようだ。泥中に沈む「けた」を繋げておき、漕ぎながら、船全体を揺らすことで、泥中の貝を浮かして掬いとるのである。
 こんな船を櫓で漕ぐのだから、相当な技術を要する。海の民でなければ操れまい。
 出雲が栄えた時代からの伝統が、大正期まで、受け継がれていたのだ。

 古事記によれば、大国主命は、八神比売を訪ねる途中の出雲国境の手間山で、八十神から焼けた大きな岩を落とされ死んでしまう。これを救ったのが、蚶貝比売命と蛤貝比売命である。前者が赤貝の殻を焼いて、後者がそれを蛤の汁で溶き、塗ることで命が救われる。
 この2神は、出雲大社の天前社(あまさきのやしろ)に祀られている。
 赤貝(蚶貝)は、大昔から重要な海産物だったのである。

 --- 参照 ---
(1) http://www.mizkan.co.jp/edomae/vol2/fish01.htm
(2) http://www17.ocn.ne.jp/~ishibue/aka.html
(3) 中海とそりこ船 http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/hyakunen/shimane_01.html


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