表紙 目次 | 「新風土論」 2017年4月26日 中国の神話喪失の理由小生は、白川静の凄いところは、漢字の部首「口」とは祝詞容器と看破した点に集約されていると見るが、その書きっぷりが鮮やかとか、鋭い論旨と見ている訳ではない。それどころか、自然科学の領域での論文審査的視点で眺めたら、査読に回せない代物と言ってよいだろう。しかし、だからこそ、この主張は光って見えるのである。 つまり、甲骨文字とは、状況証拠から見て、言葉になっている概念が指す物体を簡略図絵にした"形象"ではないのだヨと、人々に諭した初めての主張なのである。それは、長く甲骨文字を研究してきて、俯瞰的に眺めることができるようになって生まれた気付きであるのは間違いなかろう。 ポイントは2つ。 ○ 甲骨文字とそれ以後の文字は 概念的に全く異なるものである。 呪術用 v.s. 国家内のコミュニケーション用 ○ 甲骨文字を使用していたのは 神権政治国家である。 殷は創作伝説ではなく、実際に存在した。 前者は人々に受け入れられている訳ではない。 後者は今では当たり前かも知れぬが、夏同様に伝説と見なしたい人々が多かった。考古学上の成果で、それができなくなりつつある。 白川論を引いておこう。・・・ "中原をめぐって(それぞれの神話を持つ多くの種族が)角逐し、それぞれの適地を求めて漁労、遊牧、牧畜、農耕の生活をつづけたが、そのような自然条件と生活のなかから、それぞれ異質の神話が生まれ、その(守護神を擁した)闘争の過程は、神話的表象として展開した。敗れた神々は悪神として辺裔に放竄せられ、勝者の神々はまたその序列を争った。" 結局、"殷の神話は、殷周の革命による殷の滅亡のために、挫折、…継承されなかった。" ここらは、納得できるが、問題は周の風土の見方である。 "自然神の祭祀は、その高祖化の定着しないうちに滅びるのである。そしてこれに代った制服王朝である周は、ほとんど何らの神話体系をもたなかった。" 確かに、このように考えれば、中華帝国に神話体系が無い理由はわかるし、種族の紐帯である神話を抹消し、血族である宗族崇一本にして独裁帝国化を図ったことの流れに合致する。 そうなると、周だけが、例外的な体質だったということになる。 しかし、ここは、殷と周の2段階革命により、神話による統治の時代が終わったと解釈するのが自然では。 殷は自らのトーテムがあったが、それを勢力範囲全体の表象にはしかねたであろう。見かけは帝国ではあっても、都市国家連合体に近かったであろうから。 しかし、覇権を握るには、どうしてもすべての勢力の統合的表象が必要であり、そこで生まれたのが天帝概念と考えるべきだろう。殷王は甲骨文字を用いた占術により天帝の意向を伺うことができる、唯一の天子ということになるからである。この時点で、被征服者の神話は不要化したといってもよかろう。神権国家樹立ということになる。 しかし、殷や、力のある国家は神話を棄てることはなかったであろう。 そこに、周が登場する。文字を統治のコミュニケーション用にしたことで、革命的な転換を図ったのであろう。それを支えたのが、天帝と宗族の結合だと思われる。人格神となった天帝を、周王の祖先とすることで覇権を宗教的に正当化した訳である。宗族型封建制政治の誕生である。 そうなると、種族としての神話はかえって邪魔になってしまう。 白川は以下のように論述している。・・・ "黄帝を中心とする古帝王の系譜は、秦、楚のような独自の伝承をもつ異質な国家をも、その体系のうちに包摂する。それは道徳的原理として道統説となり、五行の運旋の理法を示すものとして五帝徳説となり、さらには革命の理論とさえなる。それはもはや神話ではなく、政治的主題をもつ思想であり、神話としては観念の虚構にすぎない。" 考古学的にまとめてみた。・・・ ◆黄河◆ <磁山文化@河北南+裴李岡文化@河南+老官台文化@陝西西〜甘粛> <後李文化@山東><北辛文化@山東> 低温焼成土器+紅陶萌芽 ↓… B.C. 5,000年頃 <仰韶[半坡,姜寨]文化@河南西〜陝西〜山西南> 鋤耕農業+漁猟/採取+豚犬飼養 紅陶(彩陶)使用 環濠[野獣対策]小集落 トーテム <大汶口文化@山東> ↓… B.C. 3,000年頃 <斉家文化@甘粛蘭州><馬家窯文化@甘粛〜青海> <龍山文化@山東〜河北南〜安徽北西> 麦粟農耕+牧畜+漁猟/採取 黒陶使用 邑(都城[王邑]前駆的集落) 大規模墓葬 【青銅器】 ↓… B.C. 2,000年頃 <二里頭文化@河南偃師> 初期王朝(都市-宮殿) ↓ <二里岡文化@河南鄭州> 殷[大邑"商"]の建国時期の神権政権 甲骨文字+【青銅器】,象牙,鼈甲,子安貝 白陶 祭政一致神権政治 ↓ <周@渭水 鎬京[長安]> 宗族型封建制政治 ◆長江◆ <彭頭山文化@湖南北西> <跨湖橋文化@浙江(杭州デルタ)> ↓… B.C. 5,500年頃 <河姆渡文化@浙江東部(寧波,舟山)> <馬家浜文化@江蘇南〜浙江北(長江河口付近の太湖〜杭州湾北岸)> <大渓文化@三峡〜湖北-湖南> ↓… B.C. 3,000年頃 <宝墩文化@成都> <屈家嶺文化@湖北-湖南> 彩色紡錘車 環濠集落 <良渚文化@浙江(杭州デルタ)> ↓… B.C. 2,500年頃 <石家河文化@湖北> 灰陶 原始都城的城郭都市 <青蓮崗文化@江蘇〜浙江> (参照) 白川静:「中国の神話」中公文庫BIBLIO 2003/改版 (C) 2017 RandDManagement.com |