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2015年12月24日

葦の風土(西洋)

人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦(roseau pensant)である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一適の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。[パスカル-前田陽一&由木康 訳:「パンセ」]

誰でもが知っている言葉だが、それは葦が用いられているからだろう。マタイ福音書を踏まえたものと言われている。聖書文化圏であるから当然だろう。・・・
"彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。」[11:7]・・・彼が正義に勝ちを得させる時まで、いためられた葦を折ることがなく、煙っている燈心を消すこともない。[12:20]・・・また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。[27:29/30]・・・するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。[27:48]"
"また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。[イザヤ書 42:3]"

言うまでもなく、ここでの傷ついたアシは植物名称と言うより、直立する茎とか棹の意味と考えるべきもの。
ただ、同時に、「ひとくきの葦」とは違った意味でもつかわれていそう。悪辣な支配者たるエジプト王の国の比喩的表現でもあるようにも思えるからだ。

しかし、翻訳聖書でアシと記載されている単語は、こうした解釈ですべて通用する訳ではない。

先ず、出エジプト記だが、ここでは「葦の海」での奇跡が語られる。明らかにこれは特定の海の名称。素養に欠けるので、調べていないが、原語が、マタイ福音書の葦と同じなのか気になるところである。
一般にはこの言葉が指す場所とは紅海とされているが、その説に特段の根拠がある訳ではない。シナイ半島との名称も後世のものだと思われるし、肝心のシナイ山には未だに遺跡が発見できないのだから間違いの可能性もあろう。代替地としては、アカバ湾や地中海側の砂州で囲われた海湖が有力だが、さしたる根拠があるとは言い難い。
ここでの議論とは無関係なので、この話はここまでとして、さらにアシを見ておこう。

直立茎なら生物体だが、それを用材としてつかえば棒になる。従って、それは、折れやすい杖にもなる。・・・
"そしてエジプトのすべての住民はわたしが主であることを知る。あなたはイスラエルの家に対して葦のつえであった。彼らがあなたを手にとる時、あなたは折れ、彼らの肩はことごとく裂ける。彼らがまたあなたに寄りかかる時、あなたは破れ、彼らの腰をことごとく震えさせる。」 [エゼキエル書29:6/7]
今あなたは、あの折れかけている葦のつえ、エジプトを頼みとしているが、それは人がよりかかる時、その人の手を刺し通すであろう。」 [列王記18:21]
"

ただ、用材としては、そのようなものばかりではない。ヨブ記では小舟用材としてのアシが登場する。・・・
"葦の小舟に乗せられたかの如く流れ去り。[9-26]"

同時に、生きている植物としてのアシの情景を描いたものも。・・・
"水があれば葦は太陽にも負けず[8-16]
、「葦は生き生きとして道を探り他の土から芽を出す[8-19]
"

何故にクドクドと書いているかとえば、これらのアシは葦とは限らないから。

と言うことで、エジプト王国でのアシを眺めておこう。

有名なのが、死者の本に記載されているアシ。
死後に審判と数々の関門を通過して辿り着く地は永遠の葦原。その名称は、"Sekhet(神格の野原) Aaru(アシ)"。
太陽が昇る東にあるナイル川河口三角州の島々のイメージらしい。そこは、謀殺され遺体をバラバラにされたエジプト王オシリス(Osiris)が最終的に治めることになった死後の世界(Ka/精霊の棲家)であり、狩猟や漁獲で生活できる理想郷でもある。
古代語Aaru(or iArw)はアシ(Reed)と訳されているが、エジプト辺りでは藺草/Rush/燈芯草のこと。日本の藺草はSoft rushだが、エジプトに生えているのはもっぱらSea rush。酸性土壌や海水の塩分に強い種である。地域によっては、Sharp rushと呼ばれるタイプも生えているらしいが。
藺草の茎は中空ではなく、葦/"common" Reed/蘆葦[古代語:isy]とは全く異なる植物であり、間違うことは考えにくい。
そうそう、死者と運ぶ船ても知られる、エジプトの葦舟だが、通常使われていたのはアシ製ではないようだ。蚊帳吊草類(紙蚊帳吊/Papyrys/紙莎草, 等)[古代語:mHyt]である。このパピルスだが、もともとはナイル川上流の河岸に生えていた植物。ただ、毎年の洪水の度に株単位で下流に流されるから下流でも馴染みがあり、生えていておかしくない。
紙として使われるようになったきっかけは、水中で腐敗した茎の粘着性に直目したからだろう。表面の皮を取り除いて叩き伸ばして並べれば紙になるからだ。そのパピルス紙に、葦ペンで文字(ヒエログラフ)を筆記した訳だ。茎が筒状だから、ペンは葦が最適だと思うが、藺草の茎も使われたようだ。
葦は茎(棹)が中空なので、縦笛にも使われたに違いないが、特段の価値が与えられていたようには思えない。(現代では、北アフリカから西アジアにかけてNayが残存している。)
  パピルス v.s. アシ
 茎の断面・・・三角形 v.s. 丸
 茎の中心・・・芯あり v.s. 中空
 葉の配列・・・三枚葉 v.s. 二枚葉


こうして眺めるとわかるように、全く違う植物を恣意的に一緒に扱っていることがわかる。身近な植物であり、間違えようがないにもかかわらず。
考えられる理由としては、「聖なる葦原」概念を消し去ろうとの目論見があげられるのではなかろうか。
つまり、下エジプトでのアシ原とは、あくまでも狩猟・漁撈民にとっての豊穣の空間で、牧畜・農耕民にとっては不快ということでは。(冥界にもかかわらず、日が昇る東方の地ということは、朝一番の狩猟・漁撈を基本としていたということか。)しかも、そのような地に「選良」たる死後の精霊が集うという観念は潰さねばというのが、聖書の思想なのであろう。

そんな風に考えると、「古事記」と「死者の本」の差違はとんでもなく大きいことに愕然とさせられる。
古事記冒頭で語られるアシとは、豊穣感を与える植物ではなく、混沌をものともしない力強い生命力のみ。
"國稚く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へる時に、葦牙(アシの芽)のごと萠え騰る・・・"

そのアシの芽のエネルギーが移植されて出来上がったのが「葦原の中つ國」。そこは、現実世界であって、冥界ではない。

その国を協力して作り上げたのは、伊耶那岐の命と妹たる伊耶那美の命。そして、死せる妹と一緒に還るべく黄泉國を訪問するが、禁忌を破ってしまい脱出を与儀なくさせられる。お蔭で、黄泉國の千五百もの軍勢に追われるが、桃の実で撃退に成功。そして、"桃の子に告りたまはく、「汝、吾を助けしがごと、葦原の中つ國にあらゆる現しき青人草の、苦き瀬に落ちて、患惚まむ時に助けてよ」"と。

ここでのアシは、明らかに現世の人々の集合体である。実質的にはトーテムのようなものだ。(アシの語源が「青之」である可能性も高かろう。)
黄泉國が冥界だとすれば、そこからの「死」の侵略に対して、戦うことを宣言している点にも注目すべきだろう。そこには神として選民というか、選靈をほどこして冥界に送り込むような姿勢は微塵も感じられないからだ。

話の筋はここでオシマイだが、付け加えておくべき話があり、以下はオマケ。
上記では恣意的にメソポタミア平原の話をしていないことにお気づきになっただろうか。
ここを流れるチグリス+ユーフラテス川にはとてつもなく広大な河口デルタがあり、そこには多数の洲(嶋)がある。エジプトの光景とはいささか異なり、数mにも達する巨大アシが群生している。ここに住んでいたのは水上生活民マアダン(or マーシュ)。エデンの園の原形を築いた人達と見なされたり、シュメール都市国家の伝統を引き継いでいるとも言われたりするが、証拠がある訳ではない。
当然ながら、カヌー型のアシ舟交通。それ以外は無理。日本の葦と違って茎(カサブー)が強靭なので家の骨組み材に用いられ、驚くほどの大型家屋(ムーディフ)が建造されていたようだ。茎を叩き潰して編めば、敷物や籠になる。(但し、一般的には、この巨大アシは刈り取られて水牛の餌に使われている。)アシ原では魚、鳥、等がいくらでも獲れ、食料にもことかかなかったようである。古代エジプトの楽園イメージはココが発祥の可能性もある。
[(参考)ウィルフレッド・セシジャー:「湿原のアラブ人」 白水社 2009年]
尚、アシ原から外れると、植生は一面スゲ原に替わり、さらに乾季のある水辺になるとガマ原だと思われる。

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