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■■■ 魏志倭人伝の読み方 [2019.1.5] ■■■
[5] 鄭重賜汝好物

よく見れば、SVOO構文である。中国語の常識に従えば、倭国の好物を下賜した訳ではない。今頃になって気付いた。

魏が倭を哀れんでいることを知らしめるために、「素晴らしい物」を特別鄭重に下賜したのだゾ、という意味。

実際、中華帝国への朝貢に治する返礼品としては不釣り合いな程、矢鱈に豪華。女王国が呉越地域の海側の島国ということで、冊封国化が戦略的に重要と考え、破格扱いに踏み切ったのだろう。ヤマト外交成功の図。
  景初二年六月(明帝曹叡:238年)
  倭女王遣大夫"難升米"等詣郡
  求詣天子朝獻
  太守"劉夏"遣吏將送詣京都

  其年十二月
  詔書報倭女王曰 制詔親魏倭王卑彌呼
  帶方太守"劉夏"遣使送
  汝大夫"難升米"次使"都市牛利"
   :
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  今以 汝爲親魏倭王
   假金印紫綬
   装封付帶方太守假授
  汝其綏撫種人 勉爲孝
   :
   :
  又 特賜汝
   紺地句文錦三匹
   細班華五張
   白絹五十匹
   金八兩
   五尺刀二口
   銅鏡百枚
   真珠チ丹各五十斤
  皆裝封 付"難升米""牛利"
  還到 録受悉可以示汝國中人 使知國家哀汝
  故 鄭重賜汝好物也


冊封国は毎年の朝貢が義務となるから、景初三年も行われなければならぬが、明帝曹叡の詔は十二月であり、翌年一月に崩御とあわただしい。斉王曹芳が即位しその翌年の改元でかまわぬとなったのであろう。
なんと、記載は、朝貢ではなく、魏の使者のヒミコ(日巫女)詣の方。
  正始元年(斉王曹芳:240年)
  太守"弓遵"遣建中校尉梯儁等
   奉 詔書 印綬
  詣倭國
  拝假倭王并齎詔賜
   金 帛 錦 刀 鏡 釆物
  倭王因使上表荅謝詔恩


太守は新任。早速、倭王との外交折衝開始のご様子。どう見ても、景初二年と内容的に同じ下賜品持参で倭国へ。
倭の大夫"難升米"が巧者で、倭国に持ち帰らなかった可能性があろう。魏王から直接的に官位を授かって、その最初の役割として、詔書や印綬を女王に運ぶ仕事は避けたかったのではあるまいか。
結果、魏の太守に直接返礼させたのである。
事実上、魏王の命に背いて、魏のお遣い役を果たすことを拒否したことになる。この態度、魏の正式遣使に対して答謝を上表した、倭王の姿勢にも繋がっていると見てよさそう。遣使に対して、文書を帝に渡すように命じたのである。

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