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■■■ 魏志倭人伝の読み方 [2019.1.6] ■■■
[6] 持衰

 其行來 渡海詣中國
 恒使一人
  不梳頭 不去蝨 衣服垢汚 不食肉 不近婦人
  如喪人
  名之爲"持衰"

 若行者吉善 共顧其生口財物
 若有疾病遭暴害 便欲殺之
  謂其"持衰"不謹


"持衰"だが、衰を持つでは意味が通じないから、そのような中国語語彙があるとは思えない。そうなると、どうしても仏教用語の"持斎"を考えてしまうが、まさかこの時代にそんなことはあり得そうにない。
そうなると、倭語を漢語表記した語彙と考えざるを得まい。「古事記」で該当しそうな表記としては、"以ちて○○○神"しか見つからぬ。そうなると、「持ち斎つく[以伊都久]神」との言葉を表記したと考えざるを得ない。
 此三柱綿津見~者 阿曇連等之祖~ 以"伊都久~"也
"持衰"とは、海神"伊都久~"が憑依した姿ということかもしれぬ。特別な訓練に勤しんできた神官かも。Yes or Noの最終判断を"持衰"に委ねるのではあるまいか。

もっとも、渡航に際しての潔斎は、程度の差はあるものの、どこでも見られる風習に過ぎない。自然に逆らって無理をする場合は、自然を差配する神霊の怒りを買わないように態度で示すのは当たり前のコト。
遣唐使の時代でも家族の潔斎は当然視されていた訳だが、現代でも命を賭けるような挑戦に当たっては、事故を心配する家族は似たような心情になるもの。お守り[チャーム]をつけてあげたり、留守宅では、敬虔で穏やかな気分で慎み深い生活に徹するのは、古代人から脈々と受け継がれた感情だろう。
閏三月、衛門督大伴古慈悲の宿禰が家にて、入唐副使同じ胡麿の宿禰等を餞する歌二首(@752年の壮行/送別会)[「万葉集」巻十九#4263]
  櫛も見じ 屋内も掃かじ 草枕 旅ゆく君を 斎ふと思ひて
作主未詳 右の件の二首歌伝へ誦めるは、大伴宿禰村上、同じ清繼等なり。


ただ、持衰は家族という訳ではないし、陸に残って渡航の無事を願っているのでもない。しかも、潔斎的行為だけでなく、シャーマニズムや神への生贄的信仰が被さっている点が特徴的である。
前者は神と繋がりその指示を仰ぐことでご利益を頂くことができる霊能者が意思決定する信仰だが、失敗するとシャーマンは殺されることになる。ツングース系の原始信仰と考えられている。

と言っても、決して珍しい風習ではない。
航海では予期せぬ時化に遭遇するもの。その場合、人身御供で逃れようとする行為は海人世界ではどこだろうと共通的にみられる風習。荒れ狂う神に人柱を捧げて鎮めようとの行為と書くと強権的に映るが、自分の命と引き換えに皆を助けようとの心根から生まれたものである可能性が強い。
ただ、それを儀式化すると、祭祀集団の権力維持の手段化はさけられない。一旦、始まってしまうと強権的に止めさせない限りいつまでも続く。
(唐代の書「酉陽雑俎」には南方の祭祀集団の人身御供儀式をどのように無くしたか実話が記載されている。)

「古事記」でも、波浪が酷く難儀いているので、弟橘比売命が入水して鎮めた話が収載されている。
 自其入幸
 渡走水海之時 其渡~興浪廻船不得進渡
 爾其后名弟橘比賣命白之
 妾易御子而入海中 御子者所遣之政遂應覆奏
 將入海時 以菅疊八重皮疊八重疊八重敷于波上而
 下坐其上


人身御供は、対象者の要件や、どのように選出するかは、決まっている訳ではなく、祭祀集団のボスの考え方一つ。幼児をご神託で供出させて、その役割を担うように大人になるまで隔離して育てていてもおかしくはない。その発祥は自明である。
危険な渡航は、漁撈100%の海上生活民にとっては不可避な成人儀式。家族は引きこもって一心に無事帰還を願い、周囲はそれを暖かく見守ったのである。そんな部族のリーダーとは、内部の誰が認める超人だった時代のお話。(日本では、漁撈100%の海上的生活者は存在しているものの、全体からみればほんの一部でしかない。)

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