→INDEX ■■■ 魏志倭人伝の読み方 [2019.1.11] ■■■ [11] 鬼道 名曰"卑彌呼" 事鬼道 能惑衆 年巳長大 無夫婿 有男弟佐治國 鬼とは、死霊信仰を意味し、"道"とされているから祭祀様式が完成している信仰なのだろう。よく見かける解説は、"卑彌呼"は巫女あるいは齋王的役割を果たしていたというもの。要するにシャーマニズムということ。 しかし、「魏書」で"鬼道"という用語が使われているのだから、その語義と同一と考えるべきだろう。 「魏書」巻八 張魯伝には、張陵が創始した教団 五斗米道の信仰を"鬼道"と呼んでいる。土着の道教的教団創成期の活動を指すようだ。 祖父陵、客蜀、學道鵠鳴山中、 造作道書、以惑百姓。 從受道者出五斗米、故世號米賊。 : 魯遂據漢中、以鬼道教民、自號師君。其來學道者、初皆名鬼卒。 受本道已信、號祭酒。各領部衆、多者爲治頭大祭酒。 (五斗米道とは仏教勢力の道教揶揄用語であろう。) 北部の黄巾(太平道)も同様な勢力とされているが、その実態がわかっている訳ではない。 皆ヘ以誠信不欺詐、 有病自首其過、 大都與黄巾相似。 倭国も同類と判断したに違いなかろう。 "鬼道" は、「蜀書」巻一 劉焉伝にも記載あり。 張魯母始以鬼道教民、又有少容。 教団組織設立は鵠鳴山だから、長江上流の蜀。老子のテキストとこの地の西王母信仰を結び付けたことが、人々の琴線に触れたのであろう。換言すれば、「山海経」西山経の恐ろしき崑崙の虚に棲むキメラ的獣神が、長生を約束してくれる神仙女神に変わったということ。 以後、各地の土着信仰を官僚的組織に位置付け取り込むことで大発展したのだろう。 魏は、五斗米道の力を借り、農民基盤勢力である黄巾を制圧。これを切欠に、その黄巾兵を常備軍として配下に取り込んだことで、軍事強国化に成功したとも言えよう。おそらく、黄巾兵の核は故郷を失って疾病蔓延の都会にたむろするしかなくなった退役兵であり、外面的には宗教組織だが風土的には軍隊組織と見て間違いないから妥当な判断と言えよう。 本来的には、天子の座を狙うなら天を祀ることが最重要となるから、それとは合わない"鬼道"の指導層を敵視してもおかしくないが、地主階層に依拠してきた漢の没落に乗じ覇権を握るには"鬼道"勢力の力を取り込み、官僚組織を統率できるリーダー層を厚くしていく以外に手はなかろう。"鬼道"推進型リーダーを重用することになる。 一方、統治機構に起用したい知識階層は、漢代に進んだ儒教的個人精神統制を嫌って神仙思想に傾いていただろうから、それに親和性が高いタイプの"道教"は優遇したに違いない。方術士と隠遁者が融合し、それに黄老道が被ったような宗教を主流化させることになる。 こうなると、農民基盤勢力"鬼道"とは一線を画すようになる訳だが、本質的には信者層が違うだけの"鬼道"に過ぎない。 (唐代の書「酉陽雑俎」を読むと、インターナショナルな仏教と、神仙の道教の魅力が見えてくる。) 倭国の支配層が、入墨親衛隊をことさら強調し、「南行」を演出したとすれば、それは魏の政治状況を知っていたということになる。つまり、外交使節到来前に、太平道や五斗米道の実態や、それに対する魏の対応情報を予め入手し周到に準備していた訳である。 そうなると、"卑彌呼"の"鬼道"もフェイクとまではいかないものの、かなり大げさに伝えた可能性があろう。ヒコ・ヒメの近親相姦婚の天皇は少なくなかったから、解釈のしかたではそうなるに違いないと踏んで。 要するに、正式の外交代表が来訪しても女王拝謁はさせなかったのである。 自爲王以來 少有見者 以婢千人 自侍 唯有男子一人 給飲食傳辭出入 居處宮室樓觀城柵 嚴設 常有人持兵守衞 「古事記」には、女性天皇の記載はあるものの、"卑彌呼"に合致しているとはとうてい思えず、他に女王存在を示唆する記述も見当たら無い。隠す必要も無いから、祖神のご託宣を伝える巫女役を天皇の姉が司る仕組みだったというだけの話ではなかろうか。特別な扱いの地位とされているが、巫女が不可触的存在なのは当たり前。 ご託宣で政治的決断をする訳だが、その言葉を解釈するのは専任官僚。仕組みは明確だが、意思決定権が何処にあるのかよくわからないシステムなのである。大陸の発想ではまずもって理解不能な筈。 この仕組みだと、倭の支配層から見れば、巫女の第一義的役割は御陵(前方後円型古墳)祭祀ということになろう。だからこそ、ただならぬ数の人々が巫女を防衛しており、会うこともままならぬ体制を敷いているのである。 日本列島各地から、ローカルな首長の娘を預かり、巫女として育て上げる神聖にして犯さべからずの空間を確保するにはそれ以外の手はないからだ。 これこそ、各地の代表を奈良盆地に集めた二重構造統治の核となる仕組みと言えよう。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |