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■■■ 魏志倭人伝の読み方 [2019.1.17] ■■■
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 以朱丹塗其身體 如中國用粉也

入墨の上、全身真赤に塗られた姿にはさぞ驚かされたことだろう。倭では、朱色にするのは、ご神託を伺う際の決まりだったのである。そう考えるのは、今でも、巫女用袴が朱色と言うに過ぎぬが。

縄文期の朱色顔料はもっぱら弁柄(鉄の赤錆)。簡単ではないが、その気になれば手に入る訳で。一種の呪術塗布だったのだろう。その後、遺骸塗布には朱丹=辰砂(硫化水銀)を利用するようになる。それなかりせば、面子を失うことになる程重要な威信表現だったと見てよかろう。

しかし、日々消耗する化粧品に貴重な朱丹を使っていた程に豊かな社会であったとは思えない。経済力を考えれば、良質な弁柄を主丹と見なしていたのではなかろうか。

但し、倭国では、水銀原料は調達はそれほど難しいことではなく、各地に製錬所があってもおかしくないから、各地の上流層はその気になれば必要と判断すれば化粧に使用してもおかしなことではない。

 出真珠(Pearl)(Sapphire) 其山有

"丹生"(丹の生産地)は各地にあるが、中央構造線に沿った地域に多いと言われている。代表的な地は以下らしいが、あくまでも"青丹よし"を支えた頃の見方だと思われる。
 ○伊勢(勢和@三重多気)〜紀伊山地(吉野川上流@丹生都比売神社)〜紀ノ川河口
 ○阿波吉野川上流
(@徳島阿南若杉山)
 ○大分坂ノ市〜姶良溝辺

この線から外れるが、九州北西部の松浦辺りや丹後半島〜敦賀〜若狭等にも鉱床があったようだし。
   [参照: 矢嶋澄策:「日本水銀鉱床の史的考察」地学雑誌72 1963年]

倭魏の外交を見ると、返礼品にも"丹"がでてくる。
"丹"を生産している国への送り物としては奇異な印象を与える記述だ。

 今 以
  絳地交龍錦五匹 絳地十張 絳五十匹 紺青五十匹
  荅汝所獻貢直
 又 特賜汝
  紺地句文錦三匹 細班華五張 白絹五十匹
  金八兩 五尺刀二口 銅鏡百枚
  真珠
チ丹 各五十斤

倭の献上品への返礼の、別枠として、特例的に下賜したとされる。"鬼道"の国なら、これは大喜びするに違いないと踏んだのだろう。

よく読むと、ここでの真珠は通常のPearlとは違うことに気付く。珠の数詞としての孔(丸状)や枚(板状)が使われず、チ丹と同様に扱われ、重量の単位で計測されているからだ。
と言うことは、粉末化したモノと考えるしかない。("真の丹"、辰砂を指すと見なすと、"其山有丹"が余計な文章になってしまうので無理がある。)
鉛丹は赤橙色をした酸化鉛。日本列島では生産されていなかったようだでが、せいぜいが鉄器の防錆用、弁柄や辰砂が豊富なら朱の顔料として必要とは思わない。しかし、特別下賜品なのだから、これは、"神仙薬"と考えるしかない。

薬のテキスト「本草綱目」の記載を確認しておこう。・・・
介之二蛤蚌類二十九種には、真珠。
金石之一金類二十八種には、鉛,鉛霜,粉錫,鉛丹。
金石之二玉類一十四種には、青玉/玉英
金石之三石類上三十二種には、丹砂(=朱砂),水銀,水銀粉,粉霜,銀朱,靈砂
始皇帝の死因は丹薬服用ではないかという説があるように、処方書を添えた朱色と白色の特別高貴薬を贈呈したと見てよかろう。

 其(景初)四年
 倭王復遣使 大夫"伊聲耆掖邪狗"等八人
 上獻 生口 倭錦 絳 緜衣 帛布
丹木 𤝔(=ケモノ) 短弓矢

"丹, 木𤝔"の可能性もあろうが、丹を魏に献上するほどのことはあるまい。従って、"丹木, 𤝔"。
丹木(=蘇木/赤木/蘇芳)はおそらく芯材乾燥品(医薬品)

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