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■■■ 魏志倭人伝の読み方 [2019.1.20] ■■■
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 食飲用
 手食


唐突に、食器の話が登場する。
箸や匙を使用せず、手掴みの食事であることを見て、下品な民だと指摘したかったようだ。

"豆"は高坏型の盛食器で竜山文化期は陶器製。日常使用品らしい。禮器になると青銅製だ。当然ながら玉製も。主に肉を盛る食器だったと思われる。
木製品もあったようで、""ある。漆塗りであろう。こちらは飯用か。
竹製が"/"。果実類を盛ったのだろう。
瓦製が"登"。

倭では土器高坏が遺跡から出土するから、伝統的食器形態と考えて間違いなさそう。この時代に好まれていたのは、木刳貫高杯ではないか。
もっとも、碗/椀//鋺/のように使い分けがあったということかも知れぬが。

ただ、ここでは食器類云々を記載したかったのではなく礼儀話であろう。以下の言葉を踏まえてのこと。

 曾子有疾,孟敬子問之。・・・
 豆之事 則有司存之

   [「論語」 泰伯第八]
孟敬が疾病を患う曾子を見舞うと最期の言葉として"心がけ(道)"3ッを聴かされる。そして、上記の言葉。祭祀の器具についてなど、担当の司直が居る訳で、そんなことに煩わされるな、と。

つまり、倭は食器の扱いについての礼儀はありそうなのに、箸や匙を使わないとう可笑しな仕来たりに染まっていると感じたのであろう。

この辺りの事情はよくわからないところだが、「古事記」にも登場するから、倭に箸がなかった訳ではない。祭祀様式から判断すると、その箸は竹製のトング的なもので、共食時に個別皿に分ける用具だった可能性が高い。
現代の手食民は、食器は汚れモノで、手は清潔との感じているが、倭の作法もそのような見方が根底にあろう。現代でも碗と箸は個人専用だし、昔から使い捨ての割り箸やカワラケも多用していた位で、大陸とは全く違う。
当然ながら、古代は個人別の柏葉皿を使用していており、置いたママの皿には取り箸があり、葉皿を手でつかんで食するのが礼儀だったと見てよかろう。 椅子とテーブルでの食事しか知らないため、この辺りの倭の作法が理解できなかったのだろう。

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