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■■■ 魏志倭人伝の読み方 [2019.1.26] ■■■
[26] 印綬

中華帝国における冊封とは、外交的に宗主国と属国の関係を結ぶこと。その標章が印綬である。

正式には属国首長に称号を与えた上で任命書類を授けることで関係樹立になるが、これと同時に、公的外交書/物品類認証封印用に印章を与えることになる。
帝国外の東夷・北狄・西戎・南蛮に、帝国内の仕組みをママ適用できる訳がないが、帰属させ帝国に取り込んでいくべき民族と考えているのかも知れない。
受領側は個々人が印章を身に着けることになり、帝国に認められた第一級の人物であるとの印章を与えるから、後ろ盾を得たようなものでそれなりに嬉しかったに違いない。

印章制度自体は、秦代に確立されたようである。
 璽…皇帝
 印…官
 章…将

始皇帝により、支配地での標準化が一挙に進んだ結果である。
契約・指示命令を明瞭化させるために、文書(漢字)仕様、度量衡を一挙に揃え、広域交易基盤を整えた訳だ。そのなかで印章はIDでもあり、鍵を握る仕組みと言ってよいだろう。これを機能させるためには、文字読解権威を振りかざす儒学者勢力を壊滅させる必要がある。焚書坑儒はある意味当然の流れ。

漢代に入ると、官僚制度がさらに整い、印章制度にも細かな規定が入ってくる。

おそらく初期はこんなところか。
 虎鈕玉璽朱綬…皇帝
 虎鈕…皇后
 亀鈕金印紫綬…太子,列侯,将軍,丞相
 亀鈕銀印青綬…高位官
 鼻(環)鈕銅印墨綬…下層官


虎は早晩龍に代えられただろうし、身分制度でもあるから規定の細分精緻化が進むことになる。例えば、天子は六采綬、諸国王は綟(=萌黄)綬で、冊封国王は紫綬という風に。

印は冊封関係の標章であり、記載文章のトーンから見て授与は極めて重要な行事だと思われる。"極南界"まで天子の威光が及んだことを、帝国内に示すことが権力強化に繋がるからだろう。
 建武中元二年
 "倭奴國"奉貢朝賀使人自稱大夫
 倭國之極南界也
 光武賜以"
印綬"

魏王も天子を任じていたから同じ発想の筈。
 今以汝爲"親魏倭王"
 假"
金印紫綬"
 装封付帶方太守假授・・・
 順汝來使難升米牛利
 渉遠道路勤勞
 今以難升米爲率善中郎將牛利爲率善校尉
 假"
銀印綬"
 引見勞賜遣還・・・
 正始元年
 太守弓遵遣建中校尉梯儁等
 奉詔書"
印綬"
 詣倭國拝假倭王
 并齎詔賜金帛錦刀鏡釆物
 倭王因使上表荅謝詔恩・・・
 其四年
 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人
 上獻生口倭錦絳緜衣帛布丹木 𤝔短弓矢
 掖邪狗等壹拝率善中郎將"
印綬"

東夷・北狄・西戎・南蛮の扱いとして、特別なのは匈奴である。印ではなく、"璽"であり、天子と同格ということになる。
 匈奴単于璽
諸民族は同じようなもの。
 烏孫金印紫綬
 親魏倭王蛇鈕金印紫綬
 漢委奴國王蛇鈕金印紫綬
 王蛇鈕金印紫綬


マ、もともと"奴"が付くかどうかは、異民族としての扱いか否かで決まったのだ訳なのだから。"奴隷"はそこから来た言葉で、本来的には身分用語ではなかろう。高級難民が渡来して来た倭には、"奴隷"的な身分はもちろんあったが、本来的な意味での"奴隷"制度はなかったと思う。

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