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2005.11.21 |
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北斎を見直す…飛と魂で ゆくきさんじゃ 夏の原 葛飾北斎 辞世の句太田記念美術館で、『富嶽三十六景』を一度に眺めることができ、楽しかった。 → 「全揃い冨嶽三十六景展」 (2005年9月) 引き続き、上野の国立博物館で「北斎展」が開催され、喜びが重なった。 → 「北斎展」(2005年10月25日〜12月4日) 北斎といえば、『富嶽三十六景』のような風景を中心にした作家と思っていたが、間違いだったことを初めて知った。 富士山版画に注力したのは、1980年頃のほんの数年間にすぎないのである。様々な題材や、洋画の技法も含め、新しい描き方に挑戦し続けている。 北斎の画に対する情熱は並みのものではない。 75歳になって出版した『富嶽百景』跋文には以下の如き文章が載っているという。 「己六才より物の形状を写すの癖ありて 半百の此より数々画図を顕すといへども 七十年前画く所は実に取るに足るものなし」 そして、 「七十三才にして稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり 故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶其奥義を極め・・・」 ということで、さらに精進して進もうと考えていたが、1849年4月逝去。 1760年生まれだから、享年九十。 中学・高校で習った日本史を思い出すと、幕府の検閲にもかかわらず、経済力をつけた町民が独自の文化を追求した時代に当たる。 政治的には、自由な表現はできなかったとはいえ、絵師は、欧州や中国の技法を積極的に取り入れたり、精力的に新しい表現に挑戦していたのである。鎖国といっても、関心を持つ人々の間には、海外文化は怒涛のように入ってきたのである。 同時代の人を並べてみると、当時の状況が見えてくる。 滑稽本作家では、「東海道中膝栗毛」の十返舎一九(1765〜1831)、「浮世床/浮世風呂」の式亭三馬(1776〜1822)。 読本作家では、「南総里見八犬伝」の曲亭[滝沢]馬琴(1767〜1848)や、「雨月物語」の上田秋成(1734〜1809)。 秋成は同時に、国学文献学者の本居宣長(1730〜1801)と論争を繰り広げたことでも知られる。 思想的にも、陽明学者の頼山陽(1780〜1832)や神道学者の平田篤胤(1776〜1843)が登場してきた頃だ。 一風変わった人々も現れた。 戯作者だが狂歌人として有名な大田蜀山人(1749〜1823)、俳諧師で逆境を謳った小林一茶(1763〜1828)、子供達とよく遊んだ禅僧の良寛(1758〜1831)といった人達である。 絵画でも、異質な人達が登場し始めたのがこの頃だ。 武士を捨てて文人画家の道を歩んだ浦上玉堂(1745〜1820)。同じく、武士でしかも重職にあった政治家、渡辺崋山(1793〜1841)は、蘭学者でもあり、谷文晁(1763〜1840)の流れを汲む南宋系の墨画家でもあった。 蘭学者の司馬江漢(1747〜1818)は銅版画や油彩の洋画でも知られるが、もともとは浮世絵師だった。 余り思い出せないが、「文化が爛熟し、脱皮に向かって“芽生え”が始まった」と教わったような気がする。 要するに、浮世絵は民衆芸術であり、官許芸術の枠を越えたと言わないまでも、そんなイメージがふりまかれていたのは確かだと思う。 正直なところ、この説には、納得できかねた。 そもそもが「浮世」という発想である。そんな役割を果たしているとはとうてい思えないかったのである。 どう見ても中心は廓文化の紹介だ。これに役者ブロマイドと名所案内が加わったに過ぎない。おそらく商売上では、裏エロ画集も重要な収入源だったに違いない。 いくら、細部の技術で優れていようが、良質な大衆エンタテインメントと考える訳にはいくまい。 しかし、北斎を見て、この人は違うとの印象を受けた。 浮世絵出版産業(1)で上手く立ち回ってきた絵師ではあるが、追求しているのはメディア産業での成功ではない。 富士山を題材にしていても、それは名所案内とは全く違う。様々な角度から、どう見るかを徹底的に解剖している。 などとつい考えてしまったのは、漫画は「日本の文化」という主張をよく耳にするからである。 浮世絵の評価とどうしてもダブってくるのだ。 --- 参照 --- (全般) 永田生慈監修「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい 葛飾北斎 生涯と作品」 東京美術 2005年8月 (1) 浮世絵出版業界のビジネスプロセス: ・版元 (1)浮世絵版画の内容の企画 (3)出版検閲承認の取得 (8)試し摺立会 ・絵師 (2)企画に合わせた版下絵作成 (6)校正摺での色指定 (8)試し摺立会 ・彫師 (4)版下絵に対応した主版彫刻 (7)色毎の版木彫刻 ・摺師 (5)主版から墨色の校正刷作成 (8)試し摺 (9)初摺[200枚] ・絵草紙屋 (10)販売 歴史から学ぶの目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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