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2006.6.29
 
 


水時計技術をどう見るか…

 「日本書紀」によれば、中大兄皇子が初めて漏剋を造り人々に時刻を知らせたという。7世紀のことである。
 飛鳥の水落遺跡は、この水時計だと見られている。(1)

 中国では、水時計は紀元前にすでに使われていたことが、出土品から判明している。中国は世界の最先端を走っていたのである。

 これは、そこらじゅうで聞かされる古代の話。

 それでは、その後、水時計はどうなったか知りたいと思うのだが、こちらの情報は極端に少ない。ただ、中国では、結構最近まで使っていたことは知られている。北京で廃止されたのは、なんと1924年のこと。
 2005年、その時計が復元され、どんなものなのかわかってきた。(2)

 中華民国誕生1912年までは太陰暦を使っていた国だから、ここまで長く使われたということもあるが、それ以外の理由もありそうだ。

 中国では、天命で政治を司るとの思想が根強く、為政者にとっては、天に繋がる天文学と時刻管理は極めて重要な業務だったらしい。(3)
 当然ながら、水時計は技術の粋を集めたものになる。おそらく、北京の水時計は、世界最大の超精密科学装置だったろう。そして、各地に小規模な水時計が設置されていたに違いない。

 このことは、一般民衆にとって、時計は不要ということでもある。正確な時間はお上が決める。一方、民衆の日常時間には「定刻」は無い。おおざっぱな「時」の感覚で日々の生活が流れていたに違いない。

 お蔭で、中国では機械式時計の普及は遅れることになる。
 時計が必要なのは、「定刻」感覚を持つ外国人とつきあう人だけで、それ以外は、時計とは単なる高級装飾品でしかないからである。(今の腕時計も装飾品だが.)

 機械式時計は、欧州では、1300年頃に作られていたそうだから歴史は古い。ただ、振り子の投入で精度が向上した17世紀あたりから、分針に意味がでたようだ。(4)

 つまり、機械式が、精度の点で、中国の水時計にどうやら太刀打ちできるようになるのは、ずっと後のことである。しかも、機械式はしょっちゅうメインテナンスが必要だったから、正確に時を刻むという観点では、水時計は格段に優れていたようである。社会の仕組みから見ても、中国では、機械式のメリットがなかったのだと思う。

 ところが、中国の技術を習ってきた日本は違った。
 ここが不思議なところである。

 日本では、機械式の時計が登場したとたんに、水時計は廃れてしまった。日本は、実利主義で、高い精度など追求しなかったのであろう。
 機械式の技術が入ってきたのは室町時代らしいが、一気に発展したのは、江戸時代。驚いたことに、至るところに時計が入っていったようだ。そして鎖国にもかかわらず、海外の先端技術を学び続け、独自技術を発展させ、ついには、からくり儀右衛門に象徴される超複雑な和時計技術へと繋げていく。(明治になって太陽暦になり和時計は廃れる.)

 同じように水時計を使っていても、時刻を告げるという目的や、その技術体系は、中国と日本は全く違っていたことがわかる。

 その後、殖産興業に繋げて世界の大国化した“技術の後進国”日本と、眠れる獅子と呼ばれるまでに没落した“技術の先進国”中国の違いは、こんなところにも現れている。

 --- 参照 ---
(1) http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA4/mizutokei/tatemono.html
(2) http://www.takungpao.com/inc/print_me.asp?url=/news/05/12/24/MF-502555.htm&date=2005-12-24
(3) http://www.gishodo.jp/suiwn/suiwn.html
(4) http://www.jcwa.or.jp/knowledge/trivia.html


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