↑ トップ頁へ |
2008.7.7 |
|
|
移民の話…1908年に笠戸丸でブラジル移民が始まって、100年。現地では、盛大に行事が行われたようだ。(1)よい機会だから、歴史を振り返っておこう。 移民が始まった原因は、明治政府による近代化だろう。これが、人口増加と農村経済の低迷を引き起こし、移民政策が不可避となったということ。 言うまでもないが、近代化が遅れていたら、植民地化されていた可能性が高い。しかし、移民の当事者にとっては大変なことだったに違いない。 初めは、もっぱらハワイへの移民だったようだが、結局、日本人は締め出されてしまう。その結果、次の地として、ブラジルを選んだのだろう。 一方、ブラジル側から見れば、奴隷制度が廃止されてから、欧州からの移民労働者を受け入れてきたが、条件劣悪のせいか労働者が来なくなったので、日本からの移民に大いに期待したということでしかなさそうだ。 初期移民の方々はさぞかし苦労されたたに違いない。 と言っても、大規模移民が行われたのは、その頃ではなく、関東大震災から大恐慌に至る1920年代の、日本経済の最悪期だったようである。日本は、人を外に出す以外に手がなかったのだろう。 農業の技術革新は皆無。狭い国土に山ばかりという状況で、農村地帯が食べていくのは並大抵のことではなかったのである。職も無く、軍人になることしか、夢は描けなかったに違いない。おそらく、どんな政権だろうが、海外展開で打開を図るしかないから、遠からず戦争の道に突き進んだに違いなかろう。 戦争が軍隊同士の戦いだけでなく、国家の総力戦になってしまったのだから、国力が無い日本が勝てる訳がないこともわかっていたと思うが、食えなくなって自滅するよりはましということかも。 第二次世界大戦後も、人口過密状態が解消された訳ではないから、移住は続いた。ブラジルの国土は広かったということだろう。 こうした歴史を見ると、さぞや移民の総数は多かろうと思ってしまうが、ブラジルの人口比率では1%以下だ。しかも宗主国でもないから、政治に影響を与えることはできまい。にもかかわらず、大統領から始まって日系移民に対して敬意の念が表明されている。農業を通じてブラジル社会の発展に多大な貢献をしたのである。 当時の日本人は人格者でもあったということだろう。 そんな歴史も今や昔。 移民が逆転したからだ。 日本の「定住ビザ」を取得した、ブラジルの“dekassegui”移住者が増えているのである。その数30万人以上だという。 歴史を考えれば、これが再び逆転という可能性は捨て切れまい。 日本は資源はないし、農業基盤は弱体で、人口稠密な国であることには、何のかわりもないからである。 と言うより、もう始まったのかも。 何故、こんなことを語るかといえば、このところ、小泉改革が進めた格差拡大の労働政策批判ばかり耳にするからである。グローバル企業が海外の労働力に頼るように仕向けた方が、国民は、もっと良い生活ができたと本気で思っていると思っているのだろうか。 そんなことは、移民とは直接関係ないと言えば、その通りだが、この現実感を喪失した主張が閉塞感を生んでいる大元になっている気がする。下手をすれば、これが移民を生む原動力になりかねないと思うのだ。 なんといっても圧巻は、格差是正策が、好調な一部の企業への正社員化要求だった点。こんなことで、解決できる問題でないのは働く人達なら直観でわかる。 労賃を上げれば、職自体を削るか、事業をたたむしかない企業だらけなのを肌でわかっているからだ。 早い話、グローバル企業が国内生産を続けているから、経済が成長しているにすぎない。その一方で、生産性が低く、低収益な数多くの企業が低賃金労働者を膨大に抱えているのだ。そのお蔭で、雇用問題が発生していないだけのこと。大部分の労働者は後者なのである。 この構造を変えない限り、どうにもならないのである。 まあ、今のところは、グローバル企業に自信があるから、ある程度は様々な要求に答えるに違いないが、そんな一部の問題を対象にしたところで事態はかわらない。 もし、そんなこともできない状況に追い込まれたらどうなるか。考えてみるだけでゾッとするではないか。 話がなんだかわからなくなっただろうが、これを踏まえて、次に示す現代移民の例を考えて欲しい。 あくまでも仮想例であるが、業界によっては珍しい話という訳ではない。 専門家というほどの力はないが、それなりに一つの分野で経験を積んできた独身の若いサラリーマンがいたとしよう。 仕事の質からいえば、グローバルで見て低い訳ではない。ただ、勤める企業は完璧にドメスティック。人は慢性的に足りないが、業容が伸びているという感じではないし、好収益という訳でもない。 従って、どう考えても、この先の収入増は期待薄。 残業だらけだから、今の状態で、家庭を持つなどとても考えられない。東京で、家を借りて生活しているので、貯金と呼べるような資産は無い。車など持てば赤字だから無理。余った時間といえば、疲労回復のため寝るのが現実。 問題は、これではたして将来の夢が描けるかだ。 そこに、突然、中国で働く話が持ち込まれる。8時間労働。諸物価は安い。余った時間で中国語や専門分野をさらに勉強して、もっと高度な仕事ができるように頑張ったらとのお誘い。 当たり前だが、リスクは高い話である。しかも、日本には、中国帰りの人を受け入れる仕組みはない。戻れば、以前より厳しい道しかないかも。 さあどうする。 これに乗るのが、現在始まっている移民の典型例である。実態を語る人が少ないから、よくわからないが、数だけは大幅に増えていることは間違いない。 日本には、労賃の低い単純労働者の流入が続いている。しかし、その一方で、スキルを持つ労働者の移民が始まっているのである。 日本の国力はそこまで落ち込んだということ。 --- 参照 --- (1) COMISSAO NACIONAL Organizadora das Comemoracoes do Centenario da Imigracao Japonesa no Brasil http://www.japaocentenario.mre.gov.br/ (移民史) サンパウロ人文科学研究所: 「ブラジル日系移民」 http://www.100nen.com.br/ja/jinmonken/ (移民事業広告のポスター) [Wikipedia] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Affiche_%C3%A9migration_JP_au_BR-d%C3%A9b._XXe_s..jpg 歴史から学ぶの目次へ>>> トップ頁へ>>> |
|
(C) 1999-2008 RandDManagement.com |